原子力安全委員会:耐震指針を25年ぶりに改訂

原子力安全委員会:耐震指針を25年ぶりに改訂

■原子力安全委員会は9月19日、原子力発電所等の「耐震設計審査指針」を、25年ぶりに改訂した。「(旧)耐震指針」は1981年(昭和56年)に作成されたもので、時代遅れも甚だしいものだった。特に大きな震災を伴った1995年の兵庫県南部地震や2000年の鳥取県西部地震、2004年の中越地震の発生によって、(旧)指針の信頼性は大きく揺らいでいた。

■志賀2号機訴訟において、金沢地方裁判所は原発が「国の安全審査に合格しているからといって安全とはかぎらない」、耐震性に問題があるとして、住民の主張する運転差止めを認める判決を下した(2006年3月24日)。裁判所が、「(旧)耐震指針」は間違っていると断じたのである。
【参照:判決等】
cnic.jp/339

■地震、地盤などに関する科学的・社会的な知見の著しい進展が反映されていないのではないか、地震多発地帯である日本の原発の耐震安全の考え方がこのままで良いのかなど、多くの問題点が指摘されてきた。検討に5年以上の歳月や費やされ、国民の期待も大きかったのではないだろうか。

■しかし新「耐震指針」が最新の知見を反映し、十分な耐震性を求めるものになっているのか?と問えば、それは「否」である。原子力安全委員会の意見募集に応じて寄せられた約700もの貴重な意見は、多くが「指針(案)」を批判する内容となっていた。ところがこれらの意見はほとんど新「耐震指針」に反映されていない。例えば、どんな地震を想定するのか、活断層の有無、大きさ、位置等々が正しく把握されなければ、その規模を設定することさえできない。そのためにいま広く行われている最新の手法を取り入れるべきとの専門家の意見さえ、まったく相手にされていない。

■さらに、寄せられた意見を吟味している時間などないとばかりに、「議論の蒸し返し」が批難され、8月22日には鈴木原子力安全委員長が検討会の議論打ち切りを宣言し、小泉首相退陣までというタイムスケジュール優先で出来上がったのが、新「耐震指針」である。出来上がった瞬間から、この「耐震指針」は旧態依然の内容なのである。原子力安全委員会は、即刻「耐震指針」の改訂作業を開始するべきである。

■このような原子力安全委員会の手法を批判した委員は、「私は地震科学の研究者として自分の知識や考え方を極力その社会に役に立てたいという気持ちでこの会に参加してきたわけでありますけれども、このような分科会のありさまでは、このままここにとどまっていても私は社会に対する責任が果たせないと感じます。むしろ今これだけのパブコメが寄せられてそれを取り上げて議論している中で、この状況ではむしろ私としてはパブコメを寄せてくださった方に対する背信行為を行いつつあるような感じすらいたします。」として委員を辞任している。

【石橋克彦・私の考え「原子力安全委員会・耐震指針分科会について」】
historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/bunkakai060919.html

■原子力安全委員会
・耐震安全性に係る安全審査指針の改訂について
www.nsc.go.jp/anzen/sonota/kettei/kettei_f.htm
・耐震指針検討分科会の議事録、資料等は
www.nsc.go.jp/siryo/siryo_f.htm から、
原子力安全基準・指針専門部会、耐震指針検討分科会を参照