大飯原発訴訟高裁判決にびっくり

大飯原発訴訟高裁判決にびっくり

編集長の独断偏見録① 2018年7月9日

西尾漠(『はんげんぱつ新聞』編集長)

7月4日午前、原子力規制委員会は、日本原子力発電の東海第二原発が新規制基準に適合しているとする「審査書案」をまとめた。同日午後、名古屋高裁金沢支部は、関西電力大飯原発3、4号機を運転してはならないとした福井地裁判決(2014年5月21日)を逆転し、住民の訴えを棄却した。

この二つの出来事は密接につながっている。そのことを教えるのが、高裁支部判決だ。長い引用になるが、ともかくもこう言っている。

「現在の我が国の法制度をみると、原子力の研究、開発および利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上に寄与することを目的として、原子力基本法が制定され(同法1条)、また、同法の精神にのっとり、原子炉等の利用が平和の目的に限られることを確保するとともに、原子力施設において重大な事故が生じた場合に放射性物質が異常な水準で当該原子力施設の外へ放出されることなどの災害を防止し、公共の安全を図るために、原子炉の設置及び運転等に関し、大規模な自然災害及びテロリズム等の発生も想定した必要な規制を行い、もって国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、原子炉等規制法が制定されている(同法1条)。すなわち、我が国の法制度は、原子力発電を国民生活等にとって一律に有害危険なものとして禁止することをしておらず、原子力発電所で重大な事故が生じた場合に放射性物質が異常に放出される危険性や、放射性物質の生成・保管・再処理等に関する危険性に配慮しつつも、これらの危険に適切に対処すべく管理・統制がされていれば、原子力発電を行うことを認めているのである。そうすると、このような法制度を前提とする限り、人格権に基づく原子力発電所の運転差止めの当否を考えるに当たっても、原子力発電所の運転に伴う本質的・内在的危険があるからといって、それ自体で人格権を侵害するということはできない」。

明記こそされていないが、原子力基本法に「原子力規制委員会を置く」と書かれている原子力規制委員会が、原子力推進という基本法の目的のもとに置かれていることを思い出させてくれる判決である。東海第二原発の「審査書案」の奇妙さの理由がわかろうというものだ。勝訴した電力会社側も恨めしく思っているかもしれない。

原発推進派が勝ったというのに産経新聞は、4日のインターネット配信で「各地の原発には『司法リスク』がくすぶる」と強調していた。上述の論理では今後は負けると考えたのか、そもそも論理自体が原発推進にとって好ましくないと考えたのか。

判決の論理の一例を示そう。

「確かに、現在の科学では地震発生のメカニズムは未だ十分に解明されていないし、地震の予知予測を正確に行うこともできないことは、疑いのないところである。[中略]本件ストレステストにおいてクリフエッジとされた基準地震動Ss(当時の最大加速度700ガル)の1.8倍を超える地震動は将来的に来ないとの確実な想定は本来的に不可能であることも、原判決の指摘するとおりである。そうであってみれば、世界有数の地震国である我が国において、地震の発生や規模について正確な科学的予測を立てることが不可能であることなどを理由として、1審原告らの主張するように過去最大又は既往最大の考え方に基づいて基準地震動を策定したり、更に進んで原子力発電所の建設または運転そのものを否定したり禁止したりすることは、政策的な選択として十分にとり得るところであろう。

しかし、前記のとおり、現在の我が国の法制度は、原子力の平和利用としての原子力発電を行うことを認めているのであって、司法判断として人格侵害との関係を考えるに当たっては、最新の科学的・専門技術的知見に照らし、原子力発電に内在する危険に適切に対処すべく管理・統制がされているか否かが問題とされるべきであることからすると、原子力発電所に来襲する可能性のある地震動に関しても、最新の科学的・専門技術的知見に照らし、その想定が合理的な内容となっているか否かが問われるべきである」。

どうにもよくわからない理屈だが、それではどのように最新の科学的・専門技術的知見に照らし、その想定が合理的な内容となっているか否かが問われたかというと、驚くべきことに198ページという大部の判決書の大部分が、審査の手順の説明と、関西電力がどう手順通りの申請書をつくったかの経緯に費やされているだけなのだ。これまでいくつもの判決書を見てきたが、まさに前代未聞、おそらく空前絶後の珍判決だろう。

そんな無責任判決の極め付きが、冒頭の引用に続いていた。「もっとも、この点は、法制度ないし政策の選択の問題であり、福島原発事故の深刻な被害の現状等に照らし、我が国のとるべき道として原子力発電そのものを廃止・禁止することは大いに可能であろうが、その当否を巡る判断は、もはや司法の役割を超え、国民世論として幅広く議論され、それを背景とした立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべき事柄である」。

7月6日づけ電気新聞は大喜びをして「司法でなく政治的判断を」と見出しに掲げた。「安易に司法に訴える風潮にくぎを刺しているともいえる」そうだ。勝訴になっても、やっぱり「司法リスク」がおそろしいらしい。

写真提供=脱原発弁護団全国連絡会