末田 一秀
1978年の本紙創刊から編集に携わり、高木仁三郎さんが退任してから34年間編集長を務めてきた西尾漠さんが後期高齢者の仲間入りをしたことから、後任に指名されました。西尾さんにはお疲れ様でしたが、引退ではなく、慣れない新人編集長を補佐する副編集長を引き続きお願いしています。
かくいう私も、そんなに若いわけではありません。脱原発運動の担い手自体も年齢を重ねた人が多くなり、本紙の購読部数減も続いています。なんとか私の編集長在任期間中に、脱原発運動の状況にあわせて求められる情報を共有していくために「はんげんぱつ新聞」がどうあるべきなのか、皆さんと議論を重ねていきたいと考えています。
「はんげんぱつ新聞」は財産を持っています。それは全国をカバーする人と人とのネットワークです。もともと発行主体は、反原発運動全国連絡会の名のとおり、各地の運動体の連絡会。そこから現在19人の編集委員と財政の責任も負う経営委員9人(編集委員も兼任)が選出されて、毎号の編集は各地の編集委員が持ち回りで担当し、編集長と相談して発行しています。
年に2回開催している経営委員会兼編集会議では、財政や編集の議題だけでなく、各地の状況を持ち寄り、分析し、対処の方向性を議論してきました。ここでの議論から全国集会を開催しようとか、対政府交渉を一緒にやろうとか何度も企画がスタートしました。 最近でこそオンラインの会議も可能になりましたが、各地から集まって膝突き合わせて議論し、時には2次会で酒酌み交わした信頼関係が大きいんです。
過去にも何度か廃刊の危機がありましたが、読者の皆様に支えられてここまで来ました。事務所を間借りしている原子力資料情報室は市民のためのシンクタンク、運動関係は全国連絡会と役割分担があり、十分機能しているとは言い難いとしても、まだなくなると困るというのが編集長を引き受けた動機です。
兵庫県の自宅で作業にあたり、事務所に詰めるわけではありません。ご迷惑、ご不便をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。