「風車」2012年2月号
脱原発世界会議で聞いた慶應義塾大学の金子勝さんの話が新鮮で興味深かった。電力会社がなぜ原発の運転再開を望むのか。電力が足りるか不足するかなどという問題ではない、と金子さんは言う。
再稼働できないと原発は「不良債権」と化し、電力会社の経営が赤字になるから、電力会社は必死なのだ。原発を重荷と感じ原発離れが本音の電力会社がなぜ、それとは裏腹に原発の維持を言い募るのかという疑問への答がそこにありそうだ――というのは聞いた話から逸脱していて、間違っていたら金子さんの責任ではない。
が、新しい原発をつくるのはイヤで、現にある計画も毎年先送りしている一方で、既設原発は、つくってしまった過ちのために当面は動かし続けるしかない。それは許認可権を握る国への迎合などではなく、将来より大きな損失があるとしても、目先の利害からは他に道がないからなのだろう。
六ヶ所再処理工場の運転への固執また然りだ。いまやめると日本原燃は破綻し、債務保証をしている電力会社も損失が避けられない、と金子さん。ここからまた余分な話だが、12月2日付毎日新聞も報じたように、東京電力と経済産業省は再処理からの撤退を画策していた。その時やめていれば、傷は浅くてすんだのだ。一時凌ぎの無策が、次の其の場逃れの悪足掻きを呼んでいる。いつまで続けるのか。