2011年6月号
4面「原発推進者の発言から」に採録したように、電気事業連合会は資源エネルギー庁長官あての要望書で、「原子力は国策で遂行されてきた」のだから、その責任を国が取るようにと求めている。「国のエネルギー政策で原子力をやっているのだから、廃棄物も国が全責任を持ってほしい」と嘗て発言した電事連会長もいた。
切羽詰まると、本音が出てくるらしい。「国策民営」という言葉があるように、国策に従って原発をつくらされてきたことは事実である。その代わり電力会社の経営者たちは、資本主義の原則を外れて、原発が経営を圧迫しても「国策ですから」と開き直ることで、株主からの追及を免れてきた。
とはいえ、事故の責任までというのは、虫がよすぎる。これまで「原発はすばらしい」と宣伝をしてきた舌の根は、まだ乾いていない。そもそも「すばらしい」原発なのだから、国の助けなど期待せずに推進を堅持して、住民や株主に信を問うべきだろう(事故の責任は、誤った規制をしてきた国にこそあるが、「異常に巨大な天災地変」を主張する電力会社としては、その点では国も免罪とするしかない)。いや、「国策だから協力したまで」と言うのであれば、自己批判の上で協力拒否をはっきり宣言すべきだ。
自らの責任には頬被りをして、国の責任=電気事業の救済を願う姿は見苦しい。
原発推進者の発言から
◎責任回避の居直り
原子力は国策で遂行されてきたこと等から、東京電力だけでなく国も賠償責任を果たしていくべきと考えます。
(電気事業連合会「『原子力損害賠償に関する政府支援の枠組み』への要望」、2011年5月18日)