コラム「風車」2022年2月

東京電力福島第一原発事故の汚染水を海に放出するなと年賀状に書いたところ、「放出というより投棄と言うべきでは」との指摘を受けた。確かに、廃棄とか投棄とかと呼ぶほうが理にかなっている。

とはいえ本紙2面の「月間情報」のようなところでは、放出とするほうがおさまりがよいようにも思う。そのあたりの考え方は、けっこう難しい。盛んに語られる「風評被害」も、かぎかっこをつけただけで実害だという思いが伝わるかどうか心許ない。昨年4月17日付福島民報で福島大学の林薫平准教授は「政府と東電は、放出によって福島の漁業が低迷してしまった場合には『風評被害』だと主張するだろう。それは国民に責任を押し付け、黙らせようとする行為である」と述べていた。そんなニュアンスまではとてもあらわせない。

その昨年4月の政府による「放出」方針決定までは、マスメディアも「汚染水」という言葉を使っていた。ところが今では「処理水」に変わってきている。それでも「ALPS処理水」ではなく「原発事故処理水」などと報じられているのを目にすれば、事故がなければ存在しなかったものなのだと少しは本質が見えるように思える。

年賀状には「汚らわしき無責任体質に染まった原発事故由来の水」と書いたのだが、ならばこそ「投棄」とすればよかった。