コラム「風車」2013年5月

「風車」2013年5月号

前号1面のエッセイ欄で、槌田劭さんは「福島の有機農産物を共同購入に加えた」と書かれた。読者からは賛否それぞれの反響があった。どちらも有機農家の方からだ。

「福島を忘れないで下さい。でも、福島に来ないで下さい。福島のものを食べないで下さい」と訴えられた方がいるとも聞いている。他にもさまざまに、矛盾したり対立したりする考えが被災者の間にも、また反原発・脱原発の運動の間にもある。そうしたことに向き合うのにも、自らの信念は曲げないという対し方もあれば、悩み揺れながらの接し方もある。ひとりひとりの心の中でも、簡単に答は出せそうにない。

善意までもがより深い矛盾・対立を生んでしまう。それこそが、原発事故のもたらした最大の被害とすら、呼べるのではないか。とりわけ被災地では、時間が経てば経つほど、心の被害は深刻さを増していく。解決の見えない被害だ。いったん事故が起きてしまうと、あらゆることについて正しい答なんてなくなってしまうのだ。

冒頭の問題でも、そうだと思う。誰もが納得できる答は、もはや存在しない。そこで、多くの人の異なった思いを受けとめて、ひとりひとりが、簡単に見つからないなりに自分の答を出していくしかない――と言ったら、無責任だとお叱りの電話がかかってくるだろうか。