コラム「風車」2013年4月

「風車」2013年4月号

東京・明治公園での集会では「つながろうフクシマ!」とカタカナのフクシマが使われた。福島市での県民集会は「原発のない福島を」と漢字の福島だ。「福島は福の島であって、フクシマではありません」というお手紙も頂いた。

広島で被爆した『ヒロシマとフクシマのあいだ』(インパクト出版会)の著者、加納美紀代さんは言う。「かつてわたしは、カタカナのヒロシマが嫌いだった。『ヒロシマ』は『世界平和』と同じように空疎なものであり、『わたしの広島』ではないと思っていた。たぶんいま福島のひとびとも、『フクシマ』に違和感を感じているのではないだろうか。にもかかわらずあえて使うのは、人類史的意義を感じるからである。ヒロシマがそうであったように、フクシマも人類史を画するものである。そしてそれはヒロシマが開いたものを終わらせ、人間と地球の新しい未来をひらくための画期でなければならない」。

もちろん、加納さんとは別の思いでフクシマを使う人もいる。決して使わないという人も。安易に使われたら、違和感以上に苦痛だろう。あえて使うなら、そのわけがきちんと伝わるように使ってほしいと思う。フクシマを使った東京での講演会で内橋克人さんは「フクシマを再び漢字の福島に戻して」と願う子どもの訴えを紹介していた。