コラム「風車」2009年4月

「風車」2009年4月号

何をいまさらと言われるかもしれないが、原発推進派と呼ばれる人々には、想像力がまるっきり欠如しているのではないだろうか。

『日本原子力学会和文論文誌』の今年第1号で、和田隆太郎、田中知、長崎晋也という3人の東大大学院教授が、高知県東洋町における高レベル廃棄物処分場候補地応募反対運動を分析し「立地確保に向けた社会受容プロセスモデル」の検討とやらを行なっている。いわく、市民団体の反対の理由として「『ガラス固化体1本で、広島原爆の約30発分に相当』という説明が使われたようであるが、これは技術的な根拠がない」。

なぜかと言うと「原子爆弾には核燃料物質が必要であり、他の放射性物質は必要ない」からだ……と読んできて、はて、これは何を言っているのかしらと困惑してしまった。何のことはない。ガラス固化体には数十グラムのウラン‐235しか含まれておらず、広島原爆の数百分の一でしかないとのご批判なのである。

広島原爆の約30発分とは、もちろんウランの量の比較ではなく、原爆が爆発して生まれた長中寿命の放射能の量との比較だとは、3人も揃っていて誰ひとり思いもよらないらしい。そんな人たちが「社会的受容」だなんて、笑っちゃうよね。