コラム「風車」2009年3月

「風車」2009年3月号

六ヶ所再処理工場の竣工ともんじゅの運転再開が、また延期された。さらに先送りされる日も遠くなさそうだ。建設許可が申請された当時の計画と比べれば、六ヶ所再処理工場で12年、もんじゅは20年ほどの遅れとなっている。

実を言えば六ヶ所再処理工場は、もんじゅの次の次の高速増殖炉「実用炉」とセットで構想されていた。1967年の原子力長期計画では、高速増殖炉「原型炉」の建設は70年代前半に着手され、「実用炉」は90年頃、民間再処理工場がその5年前の85年頃と見込まれていたのだ。

ところが、再処理工場の計画も四半世紀近く遅れたが、高速増殖炉の開発は半世紀以上の遅れとなった。

しかし、いったん計画が動き出すと、それぞればらばらに進められるのが、日本の原子力開発に特有のおかしなところと言える。結果として、六ヶ所再処理工場ももんじゅも竣工や運転再開が自己目的化して、その後の運転はほんらい無用のものとなってしまった。

ほんとうは早く見切りをつけたいのだが、いまやめたら事故で失敗したことになる。何とか竣工や運転再開に漕ぎつけて少しでも動かし、「役割を果たしたので運転終了」と恰好をつけるしかないという次第。

動き出した計画を中止する責任をとれる者がいないために、失敗を取り繕うだけの原子力開発が、なお続けられようとしている。いまこそ転換を!