訃報: ドイツの脱原発運動の先駆者、マリアンネ・フリッツェンさんのご冥福を祈ります。
訃報:ドイツの脱原発運動の先駆者、マリアンネ・フリッツェンさんのご冥福を祈ります。
昨年9月、ドイツで高レベル放射性廃棄物処分場問題について、ヒアリング調査を行いました。その目的地のひとつ、以前の高レベル処分場候補地ゴアレーベンでマリアンネ・フリッツェンさんのお話を伺った。91才という高齢にもかかわらず、お元気に私たちの質問に丁寧にお答えいただきました。そのマリアンネさんの訃報が飛び込んできた。
マリアンネ・フリッツェンさんは、ドイツの脱原発運動における、伝説的人物です。マリアンネさんの死を悼み、連邦環境大臣バルバラ・ヘンドリクスさん(社民党)が、追悼文を同省プレスリリースとして発表しています。大変異例のことです。ここに仮訳を掲載し、ドイツを脱原発へ導いた先駆者の約92年の生涯に畏敬の念を表します。
1970年代初、エルベ川沿いのランゲンドルフ原発計画が浮上した時、彼女の原子力との闘いが開始されました。1973年、ルヒョウーダンネンベルク環境保護運動の創設に参加し、82年まで議長として係わります。また1970年代後半には、後の緑の党の前身であるニーダ-ザクセン州の「環境保護緑のリスト」に共同設立者として参加。1986〜1991年には緑の党の郡議会議員、1991〜1996年まではルヒョウ郡副市長を歴任します。原子力利用と闘う先駆者として、彼女の数十年の政治的経歴や、幅広いベントランド(ゴアレーベンのある)地域の社会運動や非暴力抵抗運動の象徴としての活動は、多くの人々から賞賛されてきました。
原子力資料情報室・核燃料サイクル問題担当
澤井正子
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ドイツ連邦環境省プレスリリースの日本語仮訳を掲載いたします。
ドイツ語本文は下記を参照ください。
マリアンネ・フリッツェンの死を悼む
ドイツ連邦環境省プレスリリースNo. 047/16, 2016年3月7日
マリアンネ・フリッツェン(1924年4月7日〜2016年3月7日)の死について連邦環境 大臣バルバラ・ヘンドリクスは次のように語った:
マリアンネ・フリッツェンの死の知らせに、私は驚くと共に悲しみを覚えます。 我々は、彼女の家族と友人たちと共に彼女の死を悼みます。マリアンネ・フリッ ツェンの死によって、我が国は、自分の命を原子力の利用という誤った道に対す る抵抗のために、類まれな形で、捧げた一人の人間を失いました。彼女は、リュ ヒョウ・ダンネベルクの市民運動の創立者の一人でした。70年代の初めから彼女は、ゴアレーベンを核のごみ捨て場にしようとする計画に対する抵抗運動の最前線に立ちました。この市民社会的な抵抗は、政治家と原子力産業を打ち負かしました。
彼女を取り囲んだ、ヘルメットを被った警察官たちにひるまない、毛糸の帽子を 被った、小さな女の写真は、原子力とゴアレーベンの核のごみに反対する市民運 動のシンボルになりました。マリアンネ・フリッツェ ンは、非暴力の抵抗の本 質をなす覚悟、勇気そして忍耐力を体現しました。彼女 は事柄について妥協は しませんでしたが、つねに、相手との話し合いに喜んで応じ、また話し合いをする能力をもっていました。反原子力運動、そして我々 社会全体がマリア ンネ・フリッツェンに多くのことを感謝するべきです。彼女の賢さ、彼女の揺るぎない姿勢、彼女の親切心は、反原子力の抵抗運動の数十年にとって特長的でした。私は、この偉大な女性、一人の心の温かい人間にお辞儀します。(仮訳:望月浩二)
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【関連情報】
▶地元運動団体のHP(Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg)
▶Die Tageszeitung
www.jungewelt.de/2016/03-09/022.php
▶Das Gorleben-Archiv
gorleben-archiv.de/wordpress/2016/03/07/marianne-fritzen-ist-gestorben/