福島はいま(29)責任とは何だろうか
『原子力資料情報室通信』第616号(2025/10/1)より
■ 3.11から14年半という歳月は、セシウム137の半減期のようやく半分ほどだ。90年して放射能濃度はやっと8分の1、300年すると千分の1になる。現在の中長期ロードマップでは2041~51年を廃止措置終了としている。だが、その時に至っても、放射能濃度は2分の1余りにしか減っていない。「廃止措置」という中身も未だ決められないでいる。
深刻な放射能汚染地域には、あと100年は人が住めないときく。その面積は300平方キロ余りに及ぶという。2号機からの核燃料デブリを、初回に0.7グラム、2度目に0.2グラム取り出した。分析して得られた情報はごくわずかだ。1~3号機で核燃料デブリの総量は880トンと推定されている。そもそも全量を取り出す必要はあるのか、大いに疑わしい。
■ 原発事故当時の双葉町長だった井戸川克隆さんは、放射線被ばくから逃れようと町民を率いて彷徨(さまよ)いつつ、250キロ離れた埼玉県加須(かぞ)市の旧騎西(きさい)高校体育館に町ごと、避難した。福島県で県外にまで移転したただ一つの自治体である。町民の全人口は6,971人、旧騎西高校には187人(2012年9月18日現在)。避難所の様子は映画『フタバから遠く離れて』(監督・船橋淳、音楽・坂本龍一、2012)で世界的にも広く知れわたった。
2025年8月1日現在では、双葉町の全人口は5,157人、うち59%は福島県内各地に、41%は43都道府県に避難している。井戸川さんは「何としても帰りたい 町民みんなで安全なふるさとへ みんなそろって帰りたい」と願っている。だが、帰還者数はわずか87人を数えるのみ(2025年8月現在)。
■ その井戸川さんが2015年5月、国と東電に7億5,560万円の損害賠償を求めて起こした訴訟の判決が2025年7月30日に東京地裁であった。国の責任は認められず、東電には不動産への損害や避難生活に対する慰謝料などとして、約1億円の賠償が命じられた。
判決は、国が津波対策を東電に義務づけていたとしても、同様の事故が発生した可能性は相当にあったとして、国には責任が無いという理屈である。国の責任を否定した2022年6月17日の最高裁判決に従ったようにみえる。
また、井戸川さんが避難の途中で被ばくし、健康障害を受けたとの主張に対しては、これを認めなかった。日本の原子力行政に忠実に従ってきた身からすると、ひどい判決だと井戸川さんは怒っている。
■ かつてない規模の悲惨な原発事故を引き起こしたのは、「平和利用」の名のもとに国が採用した原子力というシステムには根本的な欠陥があったからだと考える。当時の、政治家、官僚、科学者、事業者たちが中途半端な検討で犯した大きな過ちだったと言わねばならない。
地震・津波・火山による自然災害のおそれから、日本列島で安定した大地は望めないことをプレート・テクトニクス論が教えている。フクシマ原発事故の解明は未だ道半ばである。にもかかわらず、歴史の検証を軽視して、国は第7次エネルギー基本計画で原発回帰を明確に謳(うた)った。「安全第一に」を条件とするつもりであっても、事故解明が済んでいないのだから、安全のための対策を尽くすことはできない。「安全第一に」を確かめようがない。矛盾している。
日本列島に原子力発電所を設置すること自体が間違っていたのだ。2012年にできた新規制基準を満たしたとしても、安全を保証するものではないことは、初代の原子力規制委員会の委員長が公言しているところである。今日でも、原発を進める側がしばしば言う常套句「安全第一に」は、虚構である。無責任と言わねばならない。
(山口 幸夫)


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