国策として押し通す?
新しい年を迎えました。なにはともあれ、おめでとうございます。
それにしても、2025年は多事多難な1年でした。世界のあちこちで戦争状態が続き、核の脅威がしばしば生じました。長年の良き慣習や約束事が容易に捨て去られ、日本の首相が「存立危機事態」を明言し、「非核三原則」は破られそうな気配があります。人類の将来に暗雲が立ち込めているような不安を覚えます。
もはや手遅れかと懸念される気候危機が地球規模で起こっています。大地の恵みの食料生産に異変の兆しが見られます。高温、集中豪雨、山火事、海水面の上昇、海流変動等々の原因が温室効果ガスと考えられています。
◆◆◆「安全を大前提に」は、成り立たない◇◇◇
国策という言葉があります。原発は「国策民営」と言われてきました。時が流れて国策が誤っていたと判明したとき、誰がどのように責任を取るのでしょうか。そもそも、「責任を取る」ことができるだろうかと思うのです。
国策に異を唱えるとき、どのような有効な手立てがあるでしょうか。かつて、この国は、戦争に明け暮れた長い年月がありました。途中で、その方針を止めることが何故できなかったのでしょうか。反戦運動がなかったわけではありません。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で発生した東京電力福島第一原発事故から15年になろうとしていますが、あの3.11の夕刻に発せられた「原子力緊急事態宣言」は今日でも解除されていません。国も東京電力も、福島県のみならず多くの市民たちも、事故がいまも続いている状態を認識しているからでしょう。
福島県とその周辺の自然は、数百年しないと、元の状態は還ってきません。環境にたっぷりと放出された放射性物質のセシウム137の減衰に、それだけの歳月がかかるからです。国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)の判定では、もっとも「深刻な事故」、その尺度で最高値のレベル7でした。大量に大地に降った放射性物質のせいです。自然を相手に、自然と共生し、先祖代々の土地と人々と慣習と、住み暮らして来た場所は、再び、住み暮らすことができなくなりました。日本国憲法が保障している「人権」は全く無に帰しています。
福島第一原発のプラントからは、放射能汚染水が、薄められているとはいえ、海中に放出され続けています。原子炉の核燃料デブリの取り出しに、関係者は難渋した挙げ句に成功した2回で、たったの0.9グラムです。デブリは880トン存在すると算定されています。1,400万立方メートルもの膨大な汚染土が蓄積されています。プラントの作業員たちは、果てしない後始末作業での被ばくに苦しみ続けています。政府と東電は、2051年廃炉完了をめざして「最後まで責任をもって取り組む」、と言うものの、「責任をもって」とは何を言うのでしょうか。
福島事故の原因解明は、現在も未だ道半ばです。国会事故調報告書では、「政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜』が生まれた」ことが事故の根本原因である、とされました。
国会事故調委員をつとめた田中三彦さんが新潟県技術委員会の委員となって東電とやり取りを続けましたが、重大な未解明の問題がいくつも残りました。事故プラントの現場の放射線レベルが立ち入り調査を困難にしていることも一因ですが、東電が資料を出し渋るのもおおきな原因でした。
その後の経過をみると、再稼働に向けた適合性審査に合格しても、「安全を保証するものではない」ことを原子力規制委員会委員長が何度も、公開の場で明言しています。したがって、誰も、どの組織も、「安全性を保証できる」とは言えないのです。判っていないことが多々あるからです。政府や原発を推進したい人たちが「安全を大前提に」といくら言っても、それを実現することはできません。「責任をもって」とは言えるはずはありません。
◆◆◆柏崎刈羽原発を再稼働させる?◇◇◇
福島事故を起こした東電の柏崎刈羽原発6号機の再稼働に、さる11月21日、実質的な同意を示した花角英世新潟県知事の判断をどううけとめますか。「脱原発の社会をめざします。新潟県の3つの検証が終わるまで再稼働の議論はしません! 再稼働の是非は、県民に信を問います!」を掲げて2018年6月の選挙戦をたたかい、当選したのです。そこで、県民にどのように信を問うたのかが、いま、大きな争点になっています(本誌前号、吉田裕史論考を参照)。
「3つの検証」について、説明が必要です。
2002年の夏に、東電の福島第一、第二原発、柏崎刈羽原発について、大がかりなデータの隠蔽、改ざん、偽造の「東電トラブル隠し」が発覚、前代未聞の事件になりました。危機を感じた当時の新潟県知事は「新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」(略称、新潟県技術委員会)を発足させて、原発の安全性をチェックし、事件が再発しないようにと議論を深めてきました。
2007年7月の中越沖地震では、東電柏崎刈羽原発は大小3,270件の被害を受けました。そこで、新潟県は「設備健全性、耐震安全性に関する小委員会」と「地震、地質・地盤に関する小委員会」の2つを追加し、原発に批判的な研究者を複数ずつ参加させました。「新潟方式」と呼ばれますが、政府関係の審議会が政府方針に従う委員大多数で形成されるのとは違って、全く稀有のやり方でした。
その後、米山隆一知事が2017年8月に設置したのが3つの検証委員会です。以前から存在していた技術委員会(事故原因の検証)に、健康・生活委員会(健康と生活への影響の検証)、避難委員会(安全な避難方法の検証)を加えて、3つとしたものです。それらを総括する委員会として検証総括委員会を翌年2月に立ち上げました。
ところが、肝心かなめの検証総括委員会(池内了委員長)が花角知事には不要だったようで、5年間で2回しか委員会を開かず、2023年3月31日付で委員長を解任し、同時に3つの検証委員会を解散してしまいました。これが、花角知事が再稼働への道を開いた最初かと思います。
その後、以前からの新潟県の技術委員会は、福島事故の原因を議論し、22項目の問題点を抽出しましたが、そのうちの4項目については委員間の意見が一致せず、技術委員会は合意を得ることができないまま、現在にいたっています。当初から、「豆腐の上の原発」と言われた柏崎刈羽原発の地盤・地質問題は不安のままです。2024年元日の能登半島地震は、事故時の避難の困難さを如実に示しています。
電気は便利だから、電力料金が下がるから、データセンターで電力が大量に増えるから、半導体工場に大電力が必要だから、温室効果ガスを出さないから・・・等々。国策と称して、国の方針が次々と打ち出されます。これに対して、未来世代への責任として現世代こそが、「非核三原則」を堅持し、再生可能エネルギーを選択し、地球環境の破壊を阻止し、かつての「無責任さ」に徹底的に反論し、無責任を繰り返さないことです。この国は、つぎの大地震、大津波、火山噴火と自然の脅威のもとにあるのです。
(山口幸夫)


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