原子力資料情報室 設立50周年の集い「市民の科学」の実践と継承

『原子力資料情報室通信』第619号(2026/1/1)より

2025年11月29日、東京・カタログハウスセミナーホールにおいて原子力資料情報室設立50周年の集いを開催した。当日は全国から100名を超える方が参集し、多くのみなさまに支えられて50年を迎えられたことを実感する集いであった。長谷川公一さんの基調講演では、高木仁三郎さんが存命だったら日本社会の現状をどう評価するかという思考実験的な問いを切り口に、日本の社会運動・市民運動の50年の歩みを振り返り、社会状況の変化や運動の課題をめぐる問題提起がおこなわれた。パネルディスカッションはコーディネーターに村上正子さんを迎えて、「市民の科学」の実践と継承をテーマにおこなった。スタッフの取り組みや思いの共有がなされ、1960年代以降の原子力や化学物質をめぐる状況と人々の問題意識を振り返り、高木さんが将来世代に残したメッセージが共有された。内容を以下に報告する。

基調講演「1975年と2025年の間」

基調講演は、環境社会学や社会運動論を研究してこられた長谷川公一さん(盛岡大学学長/原子力資料情報室理事)にお願いした。
1975年から現在までの半世紀、市民運動は何を達成しどんな課題を抱えたままなのか、原子力に限定せず考えたい。ご存命なら87歳の高木さんは日本の現状をどう評価するだろうか? 福島原発事故の発生にもかかわらず原発稼働が進みつつある状況、脱原発運動の力不足、世論やメディアの右傾化、現状肯定的な若者の傾向などを批判するのではないか。一方、原子力資料情報室(情報室)が50年間存続してきたことは喜ばれるだろう。高木さんの思想や理念は社会から認められ、「市民の科学」というコンセプトは現在広く受け入れられている。情報室とともに、高木学校、高木仁三郎市民科学(高木基金)が持続していることも喜ばれるだろう。在野にありながら、高木さんが自身の仕事を存続・継承する仕組みを残したことは高く評価されるべきことだ。
この半世紀でインターネットの普及などをはじめとする大きな社会変化があった。少子化、非婚化、単身化が進み、国際社会における日本の地盤が沈下した。気候危機が深刻化し、自然災害が日常化した。再生可能エネルギーが拡大し、NPOが増加した。変わっていないのは、日本の原子力政策、環境政策、政治の相対的安定性、中央集権的なありかた、女性の社会的地位の低さ、東京一極集中などである。
戦後の社会運動は1960年安保闘争以前と以後で違いがみられる。政治運動的、政党や労組中心の組織化された運動から、多様な争点やスタイルをもつシングルイッシュー型運動が増大した。社会運動は文化的フレーミング、動員構造、政治的機会構造の観点から分析できる。高木さんから継承したものは、文化的フレーミングにおける市民科学者、市民の科学という考え方、動員構造としての情報室、高木基金、高木学校である。そして政治的機会構造としては政府の審議会への参加などがある。亡くなられた伴英幸さん、現在では松久保肇さん、高野聡さんが委員として参加してきた。
日本の社会運動は台湾や韓国の運動と比較すると全国規模での成功体験に乏しい。市民運動出身の国会議員が少ない上、大学闘争を経験した団塊の世代で継続的に運動に関与している人も少ない。全国的な組織化が困難という特徴がある。安保闘争以降、成功したフレーミングも少ない。
「アンポハンタイ」という言葉は当時全国に広がり、地方の子どもにまで浸透した。小学生の姉が「アンポサンセイは戦争が好きなこと、アンポハンタイは平和が好きなこと」と幼稚園の弟に教えるほどだった。「市民科学者」「市民の科学」は成功したフレーミングの一つといえる。近年、脱成長のフレーミングが認知されるようになったが、高木さんは脱成長論の先駆者ともいえる。残念ながら、日本では政治や運動の魅力的な言葉が乏しい。
NPO/NGOでは予算不足のため常勤の専門スタッフが少なく、スタッフの養成も困難であり、学生にとって魅力的な就職口になりにくい。NPO/NGOから常勤の研究者になる例も乏しい。情報室で活動した鮎川ゆりかさん(集いの司会)が大学教授として活躍されたのは希有な例だ。
福島原発事故以降の脱原発運動の盛り上がりを国政選挙に反映できなかったのは、残念でならない。2011年の大震災と原発事故を仙台で経験し、日本再生の契機となることを願ったにもかかわらず、復興はハード中心のものになってしまった。また、近年の国際的な大きな課題として、普遍的な理念(人権、正義、公正、平和)が人々の心をどうとらえうるかという問題がある。
脱原子力社会を実現するためには脱原発運動の盛り上がりを政治的な回路に反映させる必要がある。可能性のある回路は、司法が止める、地方行政が止める、行政府の権限で止める、住民投票や国民投票で止める(1996年巻原発住民と投票)、政治主導で止める(ドイツ、台湾)、立法府が止める(ドイツ、台湾は政治主導ののち立法化)、市場が止める(電力会社の経営判断)があげられる。日本の現状では、運動とビジネスが連携し、市場によって止めるのが最もありうるのではないか。
普遍的なリベラリズム(正義、公正など)の再生、団塊の世代に変わる新しい政治世代の誕生、脱成長をベースにした新しいビジネスモデルの展開の可能性が、脱原発社会の実現に向けての今後の焦点だ。

パネルディスカッション「市民の科学」の実践と継承

核をめぐる現状への危機感や問題意識を共有し、市民の科学の実践をキーワードに、市民運動をどう広げていくのかをともに考えたいと企画した。高木基金事務局長の村上さんをコーディネーターに迎え、パネリストに当室の松久保肇※1、上澤千尋※2、高野聡※3、川﨑彩子※4、共同代表の山口幸夫※5、高木久仁子さん※6が登壇した。高木基金は高木仁三郎さんの遺志を受け継ぎ、市民科学者を資金面から支援している。2026年に設立25周年を迎える。

◆自己紹介と情報室での取り組み

松久保:福島原発事故を受けて、原発の問題を認識していながら何も取り組んでこなかったことに反省し、2012年からスタッフとなった。金融取引所の監視やシステム開発をしていたため、原発事業の経済分析を得意とする。入室後、大学院で社会学(政策)の勉強をした。原子力小委員会や革新炉ワーキンググループの委員。
上澤:1992年からスタッフ。数学が専門。原発の事故解析、事故被害シミュレーション、地震や活断層の問題に取り組む。福島原発事故国会事故調査委員会の協力調査員。現在はその流れを引き継いだ「もっかい事故調」での研究や、六ヶ所再処理工場の裁判の協力もしている。
高野:2022年からスタッフ。研究者であり活動家でもあると自認している。2010年から2021年まで韓国で暮らし社会運動を見てきた。脱原発運動団体のスタッフとしても働いた。被ばく労働問題に衝撃を受け差別や犠牲で成り立つ原発に反対する意思を強くした。地層処分に関する政府の審議会委員を務める。韓国の運動の盛り上がりを日本に導入したい。
川﨑:2025年4月からスタッフ。学生時代に気候危機を学び、日本の社会システムが他国に悪影響をあたえることに衝撃を受けた。公平な社会を求める運動であるFridays For Futureに参加し、現在も活動している。脱炭素のために原発がすすめられることに抗いたい。若者が運動に参加するための後押しや、福島原発事故の記憶がない若者世代に被災者の経験を受け継ぐ企画をしたい。

◆核をめぐる状況をどうとらえるか。

松久保:原発の設備容量の実績と予測曲線を比較すると、1980年時点の高位予想では2025年に6000ギガワットが見込まれていた。現実はそうなっていない。原子力業界は現在でも原発の将来に過剰な見積もりをしている。日本がNPTに署名したのは1970年だったが批准するまで非常に長い期間がかかった。当時、国内で核兵器保有オプションを持っていようという議論があった。今、原子力潜水艦を保有する議論が巻き起こり、非核三原則を見直す議論すら起こっている。当室の設立前後と現在は同じような状況だ。福島原発事故の収束の見通しは立っていない。

◆過去から学べること、未来へ引き継ぎたいこと。

山口:高木さんは「象牙の塔の外側で、市民と関心を共有し、その目線の高さから市民と共に活動でき、しかも、それなりの専門性を有する科学者、活動家」という考えにたどり着き、そういう人を育てようと高木学校を設立した。
60年代は危機と希望が混在する時代だった。高木さんと私は日本で原子力が始まりかけたころに大学で学んだが、科学者が好奇心や功名心によって自分の関心のあることしか考えないのではと危惧し、科学と技術の問題を考えるグループを作った。アメリカの科学者はJASON機関をつくり安全で快適な会議室で議論しベトナム戦争を指導した。それに対して世界の若い科学者が反対運動をおこした。高木さんは三里塚空港建設反対運動で重要な役割を果たし、その闘争は彼に思想的衝撃を与えたと思われる。化学物質が人々に希望を与えた時代でもあった。新規に開発された様々な機能を持つ化合物が生活に便利さを生み出したが、DDT、プラスチック、PFASなどは今では問題となっている。98年12月の高木学校設立時のカリキュラムに「化学物質と生活」がある。
70年代は、科学の問題だが科学者だけでは決められない問題群、トランスサイエンスの問題が提唱された。科学と政治が重なっている領域のことで現在まで続く考え方だ。市民の科学というとき、このことを考慮しなければならない。
情報室は以前から技術者との連携が深い。現代技術史研究会の中心的人物である後藤政志さんなどがいる。幅広い協力者を含めて情報室といっても良い。引き継いでいってほしい。

◆未来世代に伝えたいことなど自由に。

高木久仁子:高木仁三郎の「科学は変わる 巨大科学への批判」(1979)を若い人に紹介したい。この直後にスリーマイル島原発事故が発生した。
『環境破壊やエネルギー問題、核戦争の脅威といった私たちの生命と生活に直接かかわりあった問題として、いま科学と技術の在り方が問われています。現在の科学の在り方は根本的に変わっていくべきであり、またそれはじゅうぶん可能である。その際には科学の専門家たちの態度よりも、むしろ広範な大衆の態度がその方向をきめていくだろう、というのが一口に言った場合の私の考え方です』『どのような知の在り方が望ましいのか。現代科学の抱える困難にかわって、現在最も強調されなければならないと私が考えることは、不公平を減らすこと、抑圧を減らすこと、自然と人間の関係の総合化、実践を媒介とした知の相対化です。この四つの方向付けは、究極的には人間と自然との間に私たちがどのような関係を望もうとするのかという問題と、人間相互の関係、いってみれば、どのような社会を望もうとするかという二つの問題に関わっています。』この考えは晩年の著書「市民科学者として生きる」でもあまり変わっておらず、人と人、人と自然が相互に抑圧的でないような社会、平和的な暮らしが保証されること、公正な社会であること、このような世界が持続可能的に保証されることとまとめられている。この考え方は私たちより若い世代のほうが敏感に反応している。希望をつないでいきたい。
松久保:今の社会において人権意識は普遍化している。人権を軸にメッセージを届けられるのではないか。一方、インターネットのフィルターバブルをどう超えるのかが重要となる。原子力の平和利用の建前が薄まりつつあることも危惧している。
上澤:原子力については入室してから学んだ。先輩スタッフからだけでなく、協力してくださる科学者・技術者の方々からも教えていただき、仕事の中で知識を習得した。地域で反対運動をしている方々との対話のなかでも深まった。若い世代の参考になれば。
高野:核のゴミ問題の現場に行き反対する住民の話をきいてきた。北海道寿都町のある方はウェルビーイングのための未来世代法の考え方を知り「このような考え方こそ寿都に必要なのだと実感した」と目指すべき町の姿について話してくれた。単に核のゴミを持ってきてほしくないのでなく、寿都の素晴らしさを後世に残したいという希望の表現としての反対だ。
川﨑:私たちからことばが奪われている。いま社会で使われているのは、成長し続けることを前提とした“持続可能性”や、実際には対等に話せない市民と行政が対となって話す場を“対話”とよんでいる。運動では、私たちがどういう社会を作っていきたいかの語りが足りないと思う。
フロアからは多くのコメントをいただいた。勝利した住民運動(原発建設阻止や巨大ダム建設阻止)の事例から謙虚に学ぶべきだ、在野の科学者とプロジェクトを組んで活動をしてほしい、アカデミズムの視点のみならず生活者の視点も重要だ、高木学校の経験を共有し一緒に活動に取り組みたい、という助言や提案が寄せられた。

パネルディスカッションの様子。画面左から松久保、上澤、高野、川﨑、山口、高木、村上(敬称略)

50周年ミッションステートメント

設立50年にあたってのミッションステートメント案が示された。ミッションステートメントとは組織が共有すべき価値観や果たすべき社会的使命などを明文化したもの。これまで対外的にミッションステートメントを明確に発表してこなかったが、会場のみなさんに意見をいただきながら決定し、今後の活動の方向性を確かなものにしたいと考えた。たくさんの活発な意見が投げられたことにスタッフ一同感激している。この作業をとおして、日ごろから支援してくださるみなさまの原子力をとらえる視点や当室への期待の輪郭が鋭くなり、相互理解が深まったように感じた。近日中にブラッシュアップしたステートメントを発表したい。
最後にジャーナリスト金平茂紀さんからの録音メッセージと、福島県三春町の武藤類子さんからの祝辞をいただいた。
これからもみなさまと共に脱原発社会の実現に向けて努力していきたい。どうぞよろしくお願いいたします。

(谷村暢子)

※1 1979年、兵庫県生まれ。金融機関勤務をへて2012年7月よりCNICスタッフ。17年度より事務局長、2025年5月より共同代表。原子力小委員会委員。
※2 1966年、富山県生まれ。1992年4月よりスタッフ。原発事故問題担当。
※3 1979年生まれ、神奈川県横須賀市出身。ソウル大学環境大学院博士課程。2022年2月よりスタッフ。特定放射性廃棄物小委員会委員。
※4 2000年生まれ、北海道伊達市出身。大学在学時に若者の気候運動のメンバーとなり現在も活動。都議会議員の政策スタッフをへて2025年4月より当室スタッフ。
※5 1965年、東京大学数物系大学院修了、物性物理学専攻、工学博士。1998年より共同代表。
※6 原子力資料情報室監事、高木基金代表理事。故高木仁三郎さんのお連れ合い。

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