[もんじゅ]さすが最高裁! と賞賛される判決を期待する
さすが最高裁! と賞賛される判決を期待する
もんじゅ訴訟弁護団事務局長 福武公子
※原子力資料情報室通信371号に掲載
※図版は省略
3月17日に最高裁判所第一小法廷で口頭弁論が開かれた。1983年の原子炉設置許可処分を無効とした名古屋高裁金沢支部の画期的な逆転勝訴判決(2003年1月27日)に対して国が上告して開かれた口頭弁論だったから、「高裁判決見直しか?」との新聞報道もなされたが、もんじゅ設置許可処分が有効か無効かを争う、最高裁で初めての原発に関する無効確認の行政訴訟であるから、口頭弁論が開かれるのは当然だ。
ところで我々は、1992年7月17日、最高裁判所第三小法廷において開かれた口頭弁論において、「住民には訴える利益=原告適格がある」ことを主張し、9月22日、全員に原告適格を認める画期的判決がなされた。最高裁は、「もんじゅは研究開発段階にある原子炉である高速増殖炉であり、その電気出力は28万キロワットであって、炉心の燃料としてはウランとプルトニウムの混合酸化物が用いられ、炉心内において毒性の強いプルトニウムの増殖が行われるものであることが記録上明らかである」とした上で、原告全員について「原子炉設置許可の際に行われる原子炉等規制法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する各審査に過誤・欠落がある場合に起こりうる災害により、直接的かつ重大な被害を受けるものと想定される地域内に居住するものというべき」として原告適格を認めたのである。その後の地裁・高裁における審理が「安全性に関する審査に過誤・欠落があるか否か」をめぐってなされたものであることはいうまでもない。
■国は、「無効原因には違法の明白性は必要」と主張するが……
最高裁は法律審であり、地裁や高裁のような証拠調べを行なわない。最高裁は、高裁が適法に確定した事実を前提として、それに法令解釈を当てはめ、許可処分が有効か無効かを判断する。そもそも、高裁判決は、「原発は潜在的危険性を有する構造物であってひとたび重大事故が起これば脅威にさらされるのは人間の生存そのものであり、許可処分後に新知見が得られて新知見を前提にすれば安全審査に看過しがたい過誤・欠落があることが判明した場合には違法となるのだから、無効確認訴訟でも処分時に違法が明白である必要はない」として、「違法が重大かどうか」だけを論じている。
国は、「高裁判決は、行政処分の無効原因として重大かつ明白な違法性を必要とする最高裁の判例に明らかに反する」と主張するが、動燃(現:核燃料サイクル開発機構)も国も安全審査において重要な知見を故意又は過失により見落とすという誤りを犯したのであるから、「違法が一見明白ではなかった」などと主張するのは、あまりにも住民を軽視するものであり、不合理である。マスコミも法学者も高裁の判示を支持しているのは言うまでもない。
そうなると、最高裁における攻防のテーマは、①ナトリウムが鉄板上で燃焼すると鉄板が腐食して穴があくことを知らなかった、②蒸気発生器伝熱管に孔があいて水がナトリウム中に噴出すると伝熱管が高温になって、高圧の水・水蒸気のために破裂することについて審査していなかった、③燃料が溶融してゆっくりと再臨界に達して爆発するケースを考慮していなかった、という過誤・欠落がある安全審査を、「重大な違法」とみるかどうかだけとなる。
■国は、「稼働させた場合に重大な事故が起こる可能性が高いと認定される場合のみ、違法と言うべき」と主張するが……
法的に言えば、事物には「違法か合法か」の区別の外に、違法の場合でも「重大な違法と軽微な違法」の区別がある。取消訴訟の場合には、違法と判断されれば取消が認められるが、無効確認訴訟の場合には、違法が重大でなくてはならないとするのが判例である。
ところで、国は、「許可処分はそもそも違法ですらない」と主張し、「違法ではあったが、重大な違法とはいえない」という主張をしていない。これは、もんじゅ訴訟が伊方訴訟のような取消訴訟ではなく、無効確認訴訟であることをことさらに無視し、取消訴訟と同じレベルで論じようとするものである。
95年にナトリウム漏洩事故が現実に起こり、ナトリウムとコンクリートが直接接触することを防止する鉄板に穴があく恐れがあることが判明してもんじゅが運転できなくなり、核燃料サイクル開発機構は、2001年に、ナトリウム漏洩事故が起こった場合には配管からナトリウムを早く抜き取れるように設備等を改良する変更許可申請をしたのだから、素直に考えれば、基本設計がまちがっており、許可は違法だったと認めればよさそうである。ところが、国は、「鉄板の厚さや形状は安全審査の対象ではなく、後日、詳細設計で考えるべきもの」「変更許可申請は従来の基本設計の適否とは無関係」と主張してきた。また、蒸気発生器についても、検出計を増強する変更許可申請を行なっているのだから、これまた、基本設計がまちがっていたことを認めればいいのにそうしていない。それはなぜだろうか。「安全審査については、原子力安全委員会等の専門技術的判断が尊重されるべきである」と主張しているところから見て、「裁判所は専門技術的知識や経験がないのだから、行政がおこなった判断を尊重すべきだ。越権行為をすべきではない」との意識があるのだろう。ただ、それを法律的に言おうとして、「裁判所は、原子炉を稼働させた場合に重大な事故が起こる可能性が高いと認定する場合だけ、違法と言うべきで、そのように認定ができない限り、許可は違法などというべきでない」としたのである。
ところが、こうすると、今度は国の主張が伊方判決に抵触することになる。民事訴訟の場合には、原子炉を設置・運転した場合に、周辺住民の生命・身体に危害が加わる恐れがあるかどうかを裁判所が判断することになるが、行政訴訟の場合には、許可に至る過程における手続きや判断過程に過誤欠落があるかどうかをチェックし、過誤欠落があれば、もう一度行政に差し戻して判断させるのが裁判所の役割だと考えられているからである。施設や設備が安全であるかどうか見るために一定の事故を想定して、いろいろな仮定のもとに事故が収束するとして許可を下しているのだから、安全審査においては仮定が間違っていたときどうなるか等と言うことはそもそも検討されていない。それなのに、裁判所が、「事故がさまざまな経過を経て放射性物質放散の結果をもたらす重大な事故となる可能性が高い」などと認定・判断することができるはずはない。そう考えると、国の主張がいかに裁判所に不可能を要求するものであるかはよくわかる。
■取消訴訟と無効確認訴訟の異同
高裁判決に対しては、「安全審査に過誤欠落があることが、『看過しがたい過誤欠落』へ、さらに『重大な瑕疵』へと無条件に結びつけられて取消原因と無効原因の区別があいまいにされている」とか、「放射性物質放散の具体的可能性まで言わなくても『重大な瑕疵がある』と認定出来る場合があるのではないか」という批判がなされている。確かに高裁判決は、違法の重大性をいうために、積極的に「原子炉格納容器に閉じこめられている放射性物質が外部に放散される具体的危険性を否定することができない」と認定している。しかし、前述したとおり、安全審査における事故解析において、重大な知見を見落として解析したことが判明し、その結果、判断基準に適合していると判断したことは誤りである、と認定できたとしても「その結果、事故はどのように進展していくか」は裁判所としては認定できないと考えられる。原発は他の工業施設と異なって比類のない高度の危険性を有しているのであるから、原子炉等規制法はその危険性を顕在化させないための極めて高度の規制を行なう法律であり、その判断基準は厳格に解釈されるべきである。そうすると、高裁のように踏み込むべきではなく、判断基準に適合しているとした審査がまちがっていれば、それだけで「看過しがたい過誤欠落」であり「重大な違法」と認定すべきである。
■口頭弁論で我々が訴えたこと
最高裁第一小法廷は、泉徳治(最高裁事務総長・東京高裁長官)、横尾和子(厚労省・駐アイルランド大使)、島田仁郎(大阪高裁長官)、甲斐中辰夫(東京高検検事長)、才口千晴(弁護士、企業再建実務に詳しい)の5裁判官で構成され、もんじゅ裁判では福井県出身の泉氏が裁判長である。最高裁に係属した事件はまず調査官が調査するが、阪下勝調査官が担当であり、主席は高世三郎調査官である。
3月17日午後1時30分、口頭弁論は開かれた。原告(被上告人)本人11名、代理人8名、元補佐人(小林圭二先生)1名、司法修習生3名が出頭して、バーの中には本人2名と代理人8名が着席した。傍聴席は、マスコミや特別傍聴券を受け取った当事者以外は、長蛇の列を作って12枚の一般傍聴券を獲得した傍聴人で埋まった。
口頭弁論において、国は非常に消極的な態度を示した。提出した書面は上告受理申立理由書のみであり、口頭陳述は、岩渕正紀弁護士(元訟務検事であり、原発訴訟を多く手がける)が3分間行なっただけであった。変更許可がなされていることについてもいっさい触れなかった(もっとも裁判所も質問しなかったが)。それに対し、我々は、2003年10月23日付答弁書、2004年9月29日付答弁書補充書、2005年2月28日付答弁書補充書を提出した上で、小木曽美和子さんが本人として、国が最高裁判決を待つべきという大方の福井県民と国民の世論を無視し、設置変更許可によるもんじゅ改造工事に着手したことの不当性を訴えた。続いて、代理人6名が「行政がもんじゅのずさんな安全審査について非を認めようとしない以上、最高裁が、原子炉設置許可処分の適法性に関する、あるべき司法判断を毅然と示すことによって、安全規制行政のあり方を正すことが求められている。司法本来の使命を全うされることを切に要望して、2度目の口頭弁論とする」と堂々と主張した。裁判官は熱心に我々を見て、我々の主張に耳を傾けていたことが強く印象に残った。
■来るべき判決は国の上告棄却である
適正かつ迅速な司法をめざして、裁判所における審理・判断が速くなってきた。最高裁で口頭弁論が開かれた場合、遅くとも数ヵ月で判決が言い渡されると見られている。国の主張が法的にみておかしいことに、最高裁は気づいているはずである。国の上告を棄却する判決が下されることにまちがいはない。万一、想定外の事故を起こして10年も運転を停止しているもんじゅにつき、安全審査に違法はなかったなどという判断を最高裁がしたならば、行政追随も極まったと言われ、司法の権威は地に落ちるからである。ただ、一つ気になるのは、変更許可がなされていることである。法的にいえば、変更許可によってもともとの許可処分の内容が一部にせよ変えられることになるから、場合によっては、変更許可の内容を審理すべきであるとして、高裁に差し戻す可能性も皆無ではない。
いずれにせよ、もんじゅを廃炉にするための重要な時が近づきつつある。
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もんじゅ改良工事入りは暴挙
伴英幸(原子力資料情報室共同代表)
※原子力資料情報室通信369号に掲載
※『原子力資料情報室通信』(月刊)は会員の皆様にお送りしております。バックナンバーは1部300円です。
西川福井県知事は核燃料サイクル開発機構(以下、核燃機構)に対して、2月7日に「もんじゅ」の改良工事入りを了解することを正式に伝えた。これを受けて、核燃機構は年度内に工事に着手するという。
年度内の了解と工事着工は予算をにらんでの政治的な暴挙である。同機構は改良工事の予算をすでに計上しているが、着工しなければその予算はカットされる。今回は2度目のカットの瀬戸際だった。他方、福井県は新幹線と県が進めるエネルギー研究開発拠点化計画への国の協力を取り付けた。どちらも予算確保を意識しての対応だった。
県民世論が無視されたことは言うまでもないが、加えて、最高裁判決を待たずに判断したことは司法の軽視だ。今回の判断は過去の反省の上に立ったものとは言えず、将来に禍根を残すものだと思わざるを得ない。
とはいえ、報道によれば福井県は「改造工事と運転再開は一連の事柄だが、節目で一つずつ着実に確認しながら、県民に理解できるような判断をしていく」と述べ、敦賀市は「運転再開とは明確に切り離し、工事のみを了承する」との態度だ。
工事内容は、温度計鞘の交換、ナトリウム漏洩早期検知システムの導入、漏洩ナトリウムの早期排出パイプの拡充、蒸気発生器の漏洩検知装置の追加などである。これで万全の対策とはいえない。例えば、漏洩検知装置の追加は同じ配管上に数を増やすだけである。また、排出パイプの拡充といった追加工事が新たな欠陥を作り出す恐れもある。
核燃機構は、工期は約2年、健全性確認に1年程度かけた後の2007年から本格運転に入るとしている。発電炉としての運転を10年程度行なった後は研究開発炉として利用するという。知事の了解発言に原発反対福井県民会議などの地元反対運動団体が相次いで抗議を行なうとともに、県民世論を再び盛り上げるために、上告棄却をもとめるハガキ行動を訴えている。
報道によれば、中山成彬文部科学大臣は「新原子力開発利用長期計画でも最終的に再確認され、積極的に推進されるよう最善を尽くす」と述べたという。6日の同大臣と西川知事との会談の席上のことである。しかし、新長計での再確認は行なわれていなかった。
新長計策定会議では高速増殖炉開発について何も議論されなかったに等しい。高速増殖炉でウラン資源が飛躍的に有効活用できるのかの議論、実用化の見通しがあるのかの議論、有力な選択肢となりうるのかの議論、これら重要な観点に対する検討・議論を求めたにもかかわらず、議論されなかった(「有力な選択肢」は2000年長計からの位置づけだが、しかし他の選択肢との比較検討は行なわれていない)。また、高速増殖炉開発なのか高速炉開発なのか、推進内での微妙な位置づけの違いも前回長計同様に表面化したが、高速炉に関する定義はなされないまま、論点整理という形でまとめられた。
策定会議の議論の中での電力委員の対応は高速増殖炉開発の行方を暗示している。第16回会合の時に電事連会長の立場から「高速増殖炉サイクルの実用化までには信頼性や経済性を含めて解決すべき技術的課題が多いと理解しており、国が主体となって開発を進めていくことを期待いたします」と藤洋作委員が述べたきり、2人の電力委員は黙して語らず。「電力、逃げるな」という某委員のヤジにも沈黙を守ったのである。高速増殖炉開発が(現状では)実用化につながらないと、電力サイドが見ていることが態度に出ている。
現行路線を追認した原子力委員会の言い分は以下のようだ。核燃機構が行なっている高速増殖炉の実用化戦略研究は2005年度末までに第2段階のとりまとめを行なう予定で進んでいる。そこで、少なくとも第2段階の取りまとめが出てくるまでは開発を加速するとか後退するとかの評価ができない。進行中の長計策定会議の審議日程からすれば、とりまとめを待つわけにいかず、とりあえず現状を維持するしかない。
2000年長計は「もんじゅ」の早期運転開始を求めているが、これでは「もんじゅ」早期運転再開に意義がないことを証明しているようなものである。
「もんじゅ」の意義とは、核燃機構によれば①発電炉としての信頼性の実証②ナトリウム取り扱い技術の確立をあげているが、発電プラントとしての実証が陳腐なものであることは言うまでもないだろう。またナトリウム取り扱い技術は「もんじゅ」運転前から声高に「確立されている」と宣伝していたはずだ。「もんじゅ」改良工事に合理性はなく、それは第2の「むつ」へ向っているようだ。