戦争は環境と食料を破壊する-長く続く放射能の恐怖

 戦争は環境と食料を破壊する-長く続く放射能の恐怖

『食べもの通信』2005年8月号
特集:食と平和?命と環境を守るために
に掲載

渡辺美紀子(原子力資料情報室)

 チェルノブイリ事故(1986年)後、ヨーロッパ各地で市民による放射能測定機関が起ち上がり、食品汚染のデータが、私たち原子力資料情報室にも届くようになりました。故・高木仁三郎さんとともに、私も独語・仏語の辞書と首っ引きでデータをまとめ、どんな食品がどのくらい汚染されているのか、どんなことに注意すれば少しでも放射能から身を守ることができるのかなどを『食卓にあがった死の灰?チェルノブイリ事故による食品汚染』にまとめ、発行していました。

■食べものから体内に蓄積する放射能

 キノコ、野生動物の肉、ナッツなどとならんで汚染値の高いもののひとつがベリー類でした。そのころ日本ではいちごといえばストロベリーで、ブルーベリー以外はまだなじみがなかったさまざまな種類のベリー類でした。
 ドイツに留学した経験のある高木さんが「ヨーロッパでは庭の生垣にいろんなベリーを植えて、ジャムやコンポート、パイなどを焼くのをみんな楽しみにしているんだ。ぼくもよくごちそうになったよ。それが、こんなに汚れているなんて……」と悲しそうに言っていたのを思い出します。
 日本でも「自分たちが口にする食べ物がどのくらい汚染されているのか、測定してみなければわからない」と、各地に市民による測定室や、自治体に測定器を購入させ市民がその運営に関わっていくなどの活発な動きが起こりました。実際に測定するなかで、チェルノブイリ事故以前、1960年代大気圏核実験のフォールアウト(放射性降下物)の影響で、キノコ類にかなりの汚染があることも明らかになりました。放射能の寿命が長いことをあらためて思い知らされたのです。

■20年後も事故の影は消えない

 セシウム137の半減期は30年。チェルノブイリ事故から20年近く経ったいまも60%程度は残っているのです。いまチェルノブイリ現地の汚染状況がどのくらいなのかは、チェルノブイリの救援活動をやっている人たちの地道な現地の人たちとの連携活動から知ることができます。チェルノブイリ救援中部が支援しているウクライナ・ジトーミル州北部のナロジチ地区の保健防疫所のデータによれば、事故から20年近くたった今でも肉類の5%、牛乳の18%、野生のキノコ類やベリー類は80?90%が基準値を超えています。
 建前では学校給食には非汚染地域からの食材を使ったり、家庭でも子どもには放射能測定済みのコルホーズの食材をと、放射能の影響を強く受ける子どもたちに対して特別な配慮をしていることになっています。しかし、ほとんどの住民は自給の野菜や牛乳、肉類を食べていて、子どもたちも家族と同じものを食べているのです。
 また、春から秋にかけて森はキノコやベリー類の宝庫です。汚染していることがわかっていてもつい食べてしまうのです。
 図(WEBでは略=原子力資料情報室通信299号参照)は、ロシア・サンクトペテルブルグ放射線衛生研究所ノボジブコフ支所の研究員V・ラムザエフ氏の体内セシウム137の量の変化を示しています。汚染の強いベリー類やキノコをたくさん食べる夏から秋にかけて、急激に増加します。そして、汚染の少ない食品に限られる冬から春にかけては、グッと下がります。
 また牛が牧草を食べる時期は牛乳の汚染が高くなり、人体内のセシウム量の多くを占めます。この季節変化の傾向は汚染地域で生活する住民に特徴的に現れ、その変化の大きさは集落ごとに、また年ごとに違うそうです。
 チェルノブイリではいまなお数百万の人々が汚染地に住み続け、汚染食品を食べ続けることを余儀なくされ、慢性的に低線量の被曝を受け続けています。健康な人はほとんどいないといわれるくらい体の不調を訴える人が多い現状です。

■原子力発電所が危険をもたらす

 これらの状況は、原発事故が起これば、私たちの生活がどうなるかを示しています。
日本では53基の原発が稼働し、燃料プールの漏れなどでトラブルが続いている六ヶ所再処理工場も2007年の操業が予定されています。英国ではソープ再処理工場が大事故を起こし、閉鎖をめぐる議論が巻き起こっています。私たちは、放射能の危険の真っただ中で生きているのです。