「革新的エネルギー・環境戦略」についての私見
9月19日の閣議は、エネルギー・環境会議が14日に決定した「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定とはしないこととした。で、どうするかといえば「関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」って、何じゃこれは。
「革新的エネルギー・環境戦略」というのも全編これ冗談のような、わけのわからない代物だった。「過去の延長上にはない、新しい未来を創造する戦略。無謀な夢物語ではない、実現可能な戦略。そして、これまで国策に協力し、我が国の経済社会の発展を支えてきた原子力関連施設の立地自治体に対する、感謝と配慮に満ちた戦略」なのだ。その中身が、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」といったあやふやな方針と、矛盾を指摘するのもあほらしい再処理継続とかの政策(どうせ再処理はうまくいかないから大丈夫と、反対派以上に確信をもってのことかもしれないが)であるとしても、まさに「関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ」つくられたと「戦略」は自負していた。「これらの確固たる方針の下、私たちはここに、『革新的エネルギー・環境戦略』を策定する」「私たちは、この国際的にも歴史的にも意義を有する、高き目標に挑戦する決意を持って、『革新的エネルギー・環境戦略』の遂行に着手する」とうたいあげていたのである。
やっぱり冗談っぽいな。それを「見直しを行いながら遂行する」とは、ご冗談にさらに輪をかけたことになる。
9月20日付の電気新聞の大見出しは「見せかけの『原発ゼロ』」である。その通りであって、これに猛反発した経済団体はいったい何を怖がっているのだろうか。
大飯原発3、4号機の再稼働が強行されたとはいえ、48基は止まったままである。この状態から、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう」わざわざ再稼働してよいものとよくないものを峻別し、再稼働したものを一定の条件の下で順次廃止していくというのは、およそ現実的でない。原発ゼロによってどのような不都合が起こるかは、机上の心配事ではなく、いま具体的に目の前に現れるはずである。ならば、それに具体的に対処することで、段階的廃炉より早く課題の解決が可能になるのではないか。原発ゼロを迎える以前に声高に論じられていた不都合の多くが誤りであったと明らかになっていることこそ、その証である。つまり「即時ゼロ」こそが現実的なのだ。
「国民的議論で決める戦略」に対し、思惑をはるかに超えてゼロシナリオ支持が多く、しかも圧倒的多数が「即時ゼロ」を求めていた。そのため、「見せかけ」にせよ「言葉だけ」にせよ「ゼロ」と言わざるをえなくなった。そこまで追い込まれたことからは、「即時ゼロ」が現実的だと多くの人が気づくのも時間の問題だと経済団体などは恐怖したのかもしれない。
「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」なら、即時ゼロへと進む道も開かれたと言える。自信を持って進んで行きたい。
(西尾漠)