1954年3月1日を思い起こす
ビキニ水爆実験
1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁で大型水爆(Bravo)を爆発させた。図1に、放射線量率の分布を示す。風下のロンゲリック島(爆心地から240 km)でも半数致死量(LD50)に相当する線量率が観測された。
静岡県の焼津を母港とするマグロ漁船、第五福龍丸の船上に多量の放射能 [死の灰]が降下した。漁船員に急性放射線障害の症状が表れた。9月23日に久保山愛吉さんが亡くなられた。他にも多くの周辺島民や操業中の漁船が被曝した。
水爆の構造と放射能の生成
Bravoの構造は次のように推定される。
中心に原爆を置いて、核融合を起こすための高温を得る。外側にリチウム‐6の重水素化物(6LiD)を置き、3重水素(トリチウム)を製造し、核融合を起こす。さらに天然ウランで周囲を覆い、中性子に関する効率を高めている。なお、ウラン‐238は速中性子照射によって核分裂も起こる。生成放射能の大部分は核分裂生成物であるが、ウランの中性子照射によって生じる放射能も入っているはずである。
死の灰と海水に含まれる放射能
放射能の種類を知ることは被曝者の治療について重要であった。東京大学、静岡大学、大阪市立大学などの化学者が、懸命の努力をして多くの放射能を検出した。ストロンチウム‐89(半減期50.5日)、ルテニウム‐106(1.02年)、セシウム‐137(30.1年)などの核分裂生成物だけでなくウラン‐237(6.75日)も検出された。ウラン‐237の検出は天然ウランが用いられたことを裏付ける証拠となった。
海水の汚染は重要な情報である。アメリカは汚染を過小評価していたし、日本の外務省も問題を真剣に取り上げなかった。事態を重視した水産庁の調査船俊鶻丸(しゅんこつまる)は、5月下旬から6月初旬にかけて現地を調査した。その結果として海の汚染が確認された。
ビキニ水爆実験は、私に放射線の恐ろしさを再認識させ、核兵器が絶対に使用されるべきでないことを教えた。当時、化学科3年の夏休み中だった私は、問題の海水の放射能測定を手伝った。そのことも私の考え方に影響したように思っている。
(古川路明)