原発のない社会をめざしての40年

 『原子力資料情報室通信』第495号(2015/9/1)より

原子力資料情報室

 

 1975年9月に原子力資料情報室が発足して、もう40年である。
 2011年3月の東京電力福島第一原発過酷事故から4年半の現在、原発はゼロをめざすべきだという広範な世論の意思は、全国津々浦々の市民・住民の集会や勉強会で、また、各種の世論調査で明らかである。
 61年前、当時の政治家たちは科学者の好奇心・探究心を利用しつつ、原子力の研究開発を国家として重要な方針にきめた。ヒロシマ・ナガサキを経験した被ばく「国民」の多くも、核エネルギーの「平和的利用」という宣伝に希望と期待を抱いた。以来、国は総力をあげて原発にとり組み、原発建設をすすめてきた。
 だが、原発を拒否する人たちは、40年前の1975年8月、全国から51の住民団体と市民、研究者ら約600名で初の反原発全国集会を3日間にわたって開いた。すでに日本列島の58か所の海沿いに原発の運転、建設、計画が進行しており、「生存をおびやかす原子力」(集会副題)の姿は疑いえないものになってきていた。
 この動きに触発されて、9月に原子力資料情報室が発足した。『原発斗争情報』という名の情報誌は1972年11月から発刊されていたが、それを引き継ぎ、第152号(1897年3月)から『原子力資料情報室通信』と改題されて今日にいたる。
 2015年9月現在、40年前の58か所は18か所に減った。住民、漁民、市民のたたかいの結果である。しかし、3・11以後、43基の原発が残った。これらをゼロにするためには、日本という国のありかたを根底から変えねばなるまい。私たちがひとしく直面している課題である。     

(2015年9月1日)