視点:福島に戻る?戻れない?

『原子力資料情報室通信』第456号(2012/6/1)より

視点:福島に戻る?戻れない?

 さる4月16日、南相馬市の一部の避難区域が解除準備区域とされた(年間20ミリシーベルト以下)。南相馬市には、警戒区域と計画的避難区域とが設定されていた。事故から1年余をへて、一種の政治判断がされたわけである。

 だが、懐かしの故郷に還りたい気持はあっても二の足を踏む人たちは多い。心配している人たちの声に耳を傾けてみると――

 東電福島第一原発事故以前の暮らし、そこまでいかなくともそれに近い暮らし、ができるのか。ほんとうに空間線量が年間20ミリシーベルトを超えないことが達成できるのか。そもそも、1ミリシーベルトだって判断基準として妥当なのか。近くの山や森からセシウムが移動して来ないのか。そしてまた、内部被曝をどう考えたらよいのか。外部被曝の数倍はあり得る、と言う専門家がいるいっぽうで、たいしたことはない、と言う専門家もいる。ほんとうのことは判らないのではないか。後々になって、あれは間違っていました、と謝られても、取り返せることではない。とくに、これから長い人生を生きるであろう子どもたちは大丈夫なのか、どうか。

 まことにもっともな疑念である。専門家や行政の信頼がこれほどまでに失われてしまったら、回復はむずかしい。徹底的な情報公開は未だされていないからでもある。南相馬市の場合、水が出なかったり、産業廃棄物の仮置き場が整備されていなかったり、放射能の影響を受けた結果のいろんな生活基盤が復旧していない。

 除染といい、がれき処分といい、正解が無い問題にわたしたちは直面している。科学から言うと、放射能の半減期の10倍~20倍の時間を待つしかない。セシウム-137なら、300~600年という時間になる。待てる時間ではない。こんなことにならないようにと発してきた反原発、脱原発の主張は残念ながら、多数に受け入れられて来なかった。わたしたちの力不足でもあった。そのツケがいま来ているんだと言っても、現実には、何とかしないといけない状況にある。

 故郷に戻りたいと強く望む人たちには、放射能の心配よりももっと大切な、墳墓の地こそ、という思いがあるのだ。年配の人に多いだろう。この人たちには、放射能対策としてわたしたちが出来うる最大のことをしなければならない。精神的に、社会的に、経済的に福島の人たちは選択を迫られている。それは、この地震列島に50基もの原発を抱えてしまった日本列島に住むすべての人の明日の現実であろう。

 つい先日、フランスのサイエンスジャーナルの記者から、南相馬市に戻れるのかと質問をうけて、こんなふうに応えたのだが、これでよかったのか、自信はない。

(山口幸夫)

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