長計策定委員になって

長計策定委員になって

共同代表 伴英幸

 原子力開発利用長期計画の策定会議の委員を引き受けました。委員就任の要請を原子力委員会の事務局から受けたからですが、これを契機として、策定会議を脱原発の立場からの意見を活発に述べる場としたいと考えています。

 1996年4月に初めて原子力政策円卓会議なるものが開催されたとき、当室前代表の高木仁三郎が参加しました。同年1月に提出された新潟・福井・福島の三県の知事が行った「今後の原子力政策の進め方についての提言」を受けて、「地域からのこの提起に連携していくことは、私たちの活動の重要な一環だと考えられ、「形作り」に終わらせないように努力していかなくてはならないと考えた」(『原子力資料情報室通信』第264号)ことが、参加の理由でした。

 その後も原子力政策円卓会議は2度ほど続けられ、共同代表の西尾漠や伴が参加して意見を述べました。2000年には原子力長計が改定されましたが、当室は長計改定時に策定委員を招いて公開討論会も実施し、また、一般からの意見を積極的に提出しようと呼びかけました。果たして、応募意見の過半数は再処理プルトニウム利用を含めて、原子力利用に反対する意見で、推進意見を圧倒しました。これらの意見は長計には反映されませんでした。しかし、こうした意見が寄せられたことは重要でした。「形作り」は失敗に終始しています。これらの流れの延長上に今回の委員要請があると思います。

 知事提言からおよそ10年を隔てた今、原子力政策への市民の「合意」が得られていないことはますます明らかになってきています。今回の原子力長計策定会議では、2000年に寄せられた貴重な意見を出発点として、これらの意見を反映したものを作るべきであると主張していきます。利害関係者が市民の意見を蔑ろにして計画を作り、作られた計画への理解を求める活動を繰り返しても、理解など得られません。市民の意見を反映した計画を作ってこそ、理解は得られると考えます。その計画とは原子力からの撤退の道筋を作る計画だと考えます。

 今回の長期計画の焦点が再処理政策の行方であると報道されています。原発推進の立場であっても、再処理は(当面)必要ないといった意見が主張されるようになり、また、自民党内からも再処理反対の声が聞こえてきます。全量再処理か直接処分かの定量的な比較検討を行なうとの近藤駿介座長の発言もあり、この問題が今回の改定の焦点となるのは必然でしょう。筆者は、飽くまでも再処理からの撤退を主張していきます。

 原発裁判などでは法廷での論争に加えて、法廷外の運動の重要性を指摘されます。この策定会議も同様なものと理解しています。原発現地での運動があってこそ国の会議の場で発言できるのだと思います。プルサーマル計画をめぐって佐賀県鎮西町では反対の議会決議があがりました。島根県西ノ島町では放射性廃棄物などの持ち込み禁止の条例が全会一致で可決されました。高知県の佐賀町での高レベル放射性廃棄物処分場誘致の動きに対して周辺4市町で反対の決議があがりました。こうした動きに勇気付けられて、会議の場で脱原発が自信を持って主張できるように思います。また、一般からの意見募集が行なわれますが、その意見募集に皆さんが参加してくださることが、策定会議を大きく変えていくことに繋がると確信します。

 6月21日には早くも第1回の会合が開催されました。これからおおよそ1年半近く続く策定会議の始まりでした。筆者は人選問題、脱原発の議論の要求、再処理政策議論は六ヶ所再処理工場のウラン試験に入らずに、総合的な検討をするべきとの3点を求めました。会合の印象は、原子力政策に批判的な意見を持った数名以外は原子力村の利害集団の集まりのようでした。

 1956年にはじめて行なわれた長計策定会議以降、脱原発派が策定会議に参加したのは初めてのことであり、大きな時代の変化を感じずにはいられません。変化ではあっても、実際の会議はそれほど易しいものではなく、第10回の改定で撤退の道筋がつくれるとは到底考えられません。筆者の発言や提出文書などは記録に残されます。多くの要求を出しながら、その次へ繋がる形ができればよいと考えています。策定会議へ筆者が提出した文書や会議の印象などを当室のホームページや『原子力資料情報室通信』などを通して報告させていただきます。

 どうか、皆さんのご支援・ご協力をお願いいたします。(2004年7月4日)