長計策定会議日誌(2)

原子力長計策定会議日誌(2)

原子力ムラでは、都合の悪いことは隠すのが当たり前?

 第2回の長計策定会議は、当然にも、直前に暴露された直接処分コスト試算の隠蔽問題で始まるだろうと思い込んでいた。近藤座長が淡々と会を進め始めたので、まさか、このまま予定に従って進むのではないかと不安になり、あわてて挙手したが無視されてしまった。初めてのことと、発言者は札を立てて意思表示する形式なので、なかなか間合いが取りにくい。

 提出文にあるように、伴は核燃料サイクルコストに関連する資料すべての公開、隠蔽にかかわった人や経緯の調査・公表を求めた。また、94年に直接処分ケースの試算が検討された時の議事概要を添付した。策定会議事務局では、個人名が入っていることを理由に議事概要を公にしないことを検討したようだ。原子力委員会が了解済みで公表したとなると、責任が委員会にも及ぶ。事務局としては、それを気にしていたようだ。文書では、原子力委員会としても議事概要そして詳細議事録を公表して欲しいと要請していたので、情報室の責任で提出したことが明白であり、伴の意見書として同概要がそのまま公表された。委員になった意義を感じた瞬間だった。

 渡辺光代委員は怒りを通り越して呆れたと発言してくれた。原子力委員会についても隠していた94年のコスト比較の事実経過を調査せよと近藤座長に迫ってくれた。吉岡斉委員は「失われた10年」と表現した。その一方で、”再処理はコスト高で当たり前、サイクル政策はそれだけで判断するものではない”との意見や政策議論の場であって隠蔽行為を議論する場ではないといった意見が出された。また、近藤座長は、策定会議が過去の経緯を調べるのは時間の無駄として、筆者らの意見を避けた。こうした場の雰囲気から、原子力ムラの人たちの多くが、直接処分のコスト試算が行われたことを知っていた、と多くの方が受け止めたのではないか。

 「ロッカー」や「倉庫」を探したらあったといった言い訳といい、隠蔽し続けてきた行為そのものが問題になっていることを彼らはまったく理解していない。いやむしろ、わざと逸らそうとしているように見える。そして、発覚後も言いつくろう人たちと、これから、「国民・社会と原子力の調和」とか「情報公開と情報提供」「国民合意」といったテーマを議論していく。隠蔽を問題にできる機会はたくさんありそうだ。とはいえ、第3回策定会議に向けて、再度、「行為」に焦点を当てた意見書を作ろうと考えている。また、会員の一人から、委員一人ひとりに手紙を送り、隠蔽行為を問い正したいとの電話をいただいた。たいへん、勇気付けられた。