2006年、脱原発をめざして―新しい年の初めに―
2006年、脱原発をめざして―新しい年の初めに―
山口幸夫(共同代表)
I.ゆらぎの中の混乱
2005年という年を後になってふり返ってみると、政治、軍事、経済、社会システムにおいて、日本も世界も激動の中で大きな変化を経験した年、ということになるのではないでしょうか。その動きは新しい年に引き継がれていこうとしています。
戦後そしてヒバク60年目の去年、はたして核エネルギ?は制御可能かという問いに、否定的な答えがはっきりしたと思います。
5月、ニューヨークの国連本部で開かれた核不拡散条約の再検討会議が失敗におわったことは周知のとおりです。アメリカの憂慮する科学者連盟が「六ヶ所再処理工場の無期延期を求める」声明を発表して、核不拡散への日本の寄与を求めましたが、日本政府は耳を傾けず、この2月にホット試験を強行し、2007年本格運転の構えです。
同じ2005年5月、最高裁は高速増殖原型炉もんじゅについて、名古屋高裁判決を覆しました。改造工事をすすめ、もんじゅを動かすというのが国の方針になりました。
一昨年6月からハイペ?スでおこなわれてきた原子力の新しい長期計画策定会議では、青森や福井や電力代表たちの利益誘導の主張が繰り返されました。原子力委員会は、多数を頼んで案をかため、「原子力政策大綱」の名称とし、政府は10月にこれを閣議決定しました。この策定会議ははじまってすぐに、六ヶ所再処理問題を討議し、核燃料サイクル政策の踏襲を決めました。技術的展望があるわけでもなく、経済性はまったくないにもかかわらずでした。
推進側は明確な理由を提示できず、従来の政策を変える力がない現状がうかがわれます。エネルギ?の安定的供給・地球温暖化問題が高声に語られ、あたかも『原子力を』という風が再び吹きだしたかのように見えますが、そうではないでしょう。おおきな脱原子力の流れの中の一時的なゆらぎで、混乱し、矛盾が明らかになったと私たちは考えています。
II.新しい年の取り組み
六ヶ所再処理工場では、これまで沢山の不手際やミスが発覚して、試運転が何度も延長されてきました。最終試験の一つ前のウラン試験がおわったとされていますが、ほんとうかどうか、私たちは疑っています。試験の中身の公開を求めても、肝心なところはすべてシロヌキになって出てきて、批判的な検討をくわえることができません。従来どおり、推進する側だけで判断しています。非常に危険だと思います。破局的な事故は回避せねばなりません。それには行政を変えさせるための広範な人々の力が必要です。知恵の結集も欠かせません。2月18日、青森市で予定されている全国集会がこのための力強い集まりになるように期待しています。
プルサーマルを進める計画が電力会社から提出されてきました。力を尽くしてこれをやめさせましょう。なにしろ日本は43トンを越えるプルトニウムをすでに持っています。もんじゅが試験的に動いたとしても、こんな大量のプルトニウムを消化する予定がありません。そして、もんじゅの先の高速増殖炉はまったく霧の中です。このたびの「原子力政策大綱」の中でも、高速増殖炉の実用化は2050年ころが目標です。まるで神話のレベルで、プルトニウム利用の見込みはありません。
女川原発3基が去年8月の宮城県沖の地震で自動停止しすべての原発の耐震安全性が問われることになりました。とりわけ、浜岡原発の強度は近々やってくる大地震に耐えられないと、専門家をはじめ多くの人たちが心配しています。一刻もはやく、浜岡原発を停止させねばなりません。
最近の地質学、地震学など地球科学の進歩をふまえて原発の耐震設計指針の改正が国側で議論されてきました。もう4年目で、そろそろまとまりかけています。この結論に私たちは重大な関心をよせています。原発の老朽化が進むいっぽうでの地震の恐怖です。国は高経年化対策と称して、60年という寿命を言いだしました。私たちは、これには研究会を組織し技術的検討を加え、徹底的に批判していく準備をしています。
今年はチェルノブイリ事故から20年目です。4月16日にシンポジウムを開催します。この悲劇をくりかえさないよう、そして全国の皆様と手をとりあって脱原発へ着実なあゆみを進めたいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
『原子力資料情報室通信』379号(2006.1.1)
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