福島はいま(20)ひとの時間、放射能の時間

『原子力資料情報室通信』第560号(2021/2/1)より

東北地方太平洋沖地震と福島核惨事から、間もなく満10年という日を迎える。
巨大な地震と津波が引き起こした災害から、住宅、道路、防波堤などハード面の〈復興〉は、それなりに進んだ面がある。20年11月のアンケート調査(共同通信)によれば、順調に進んだと答えたのは、宮城県80%、岩手県66%、福島県30%だった。福島県では、順調ではないが41%もあり、どちらかといえば順調ではないが29%だ。放射能による影響からすれば、10年という歳月はほんの一瞬の間に過ぎないからであろう。
2011年3月11日に発せられた原子力「緊急事態宣言」は、ずっと生きつづけてきた。今後も、ながく続くのではないか。今はもう1つ、新型コロナウイルスによる2度目の「緊急事態宣言」が発せられ、2つの「緊急事態」の下に生きていることになる。
福島事故はどのように起こり、メルトダウンにまで進展していったか。1号機は新潟県技術委員会の課題別1で議論されたが、はっきりしない点が多い。原子炉の上蓋のシーリングが輻射熱による高温のために緩み、大量の放射性物質が外部に漏れ出た疑いも指摘された。これに関連しているように思われるが、その後、原子力規制委員会の調査で、2、3号機シールドプラグに極端に濃度の高い汚染が見つかった。
列島上に降った放射能の核種の分布はどうなのか。内部被ばくに大きな影響を及ぼす不溶性セシウム粒子は人体にどれだけ取り込まれたか。3号機の爆発はどのようなプロセスをたどったのか。10年経ってもよく分からないことだらけといってもよい。放射線レベルが高くて、推論や仮説を検証するための現場調査ができないからである。津波さえ防げていれば、という主張があるが、地震そのものの影響評価が、津波と同様に、あるいはそれ以上に大事ではないか、という疑念をぬぐいえない。それをはっきりと実証することができないでいる。
2002年のトラブル隠しだけではなく、東電にはすくなからず、検査データの偽装や改ざんなどの忌まわしい過去がある。この度の核惨事においても、未公開の資料があり、事実解明の障害になっている。どれが肝要な資料であるのか、東電自身が判断できないところもあるようにみえる。企業秘密を掲げ、都合が悪いデータは隠すという心理が働いているところもあるだろう。国会事故調委員のひとりであり、その後、新潟県技術委員会の委員として福島事故検証のための6つの課題別テーマのひとつのコア委員を務めた田中三彦氏によると、公開で議論しても、東電が計算書や図面を出してこないので、やむなく、非公開で議論を進めざるを得なかった(本誌554、557号、田中三彦稿)。
日本の原子力が始まるさい、ヒロシマ・ナガサキの経験から、若手の研究者たちが強く反対した。日本学術会議は「公開・自主・民主」(原子力3原則)の声明を発し、それが取り入れられて原子力基本法ができた。だが、この3原則は、早い時期から軽視、無視されてきた。よく考えれば、この3原則は基本的に非現実的なものだった。企業秘密だの、機微な核技術に属するからだの、それらしき言い訳は通りやすい。「原子力ムラ」という利益共同体が形成され、異論や反論に見向きもせず、原発を取り仕切ってきたことは、3原則に反している。
「白地(しろじ)」と呼ばれる、大阪市の1.4倍ほどの広さの土地が福島県の帰還困難区域に指定されている。将来にわたって住民が居住できない土地をいう(16ページ、資料紹介参照)。放射能の半減期はいろいろだが、福島核惨事で最も大量に環境に放出されたセシウム137のそれは約30年なので、300年して、やっと1,000分の1に減る。原発から出てくる死の灰は万年単位の時間を待たねばならない。

(山口幸夫)

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