舩橋晴俊さんの急逝を悼む

 8月15日、舩橋晴俊さんがくも膜下出血で急逝された。知らせを聞いて、わたしは声を失った。そんなはずがないとまで思った。まだ66歳の働き盛りである。
 舩橋さんは、環境社会学者として、現職の法政大学教授として目を見張るお仕事の真っ最中だった。社会学部の舩橋研究室は「エネルギー政策と地域社会」が研究室としてのテーマで、2002年いらい、青森県の核燃料サイクル施設の立地問題に精力的に取り組んできた。3月半ばに毎年ひらかれる公開の研究発表会では、作成した分厚い報告書をもとに、1年間の調査研究成果が発表された。学生たちの発表を聴いて、学部と大学院の学生たちをよくもここまで指導されたものと、すっかり感心し、心底おどろいたものである。
 原子力発電所がつくりだす高レベル放射性廃棄物をどうすべきか、難題中の難題である。原子力委員会からこの問題の解決へむけた提言の依頼をうけて日本学術会議が検討委員会を組織し、2年の慎重な検討をへて回答書をつくり上げたのが2012年9月である。この検討委員会で舩橋さんはもっとも中心的な役割を果たされた。閉じた専門家だけで論ずる従来のやり方を改めて、「公論形成のためのアリーナをつくれ」と舩橋さんは力説された。日本の近代化の歴史を振り返るとたいへん難しいご提案だとわたしには思われ、その旨を伝えると、でもそれをやるしか展望はひらけません、と強い口調で言われたのである。
 また舩橋さんは、座長として原子力市民委員会をひきいて、船出したばかりでもある。残された私たちは力をつくしてご遺志を実現しなければならないと思う。 

 (山口幸夫)