トリチウム水問題を考える
『原子力資料情報室通信』第532号(2018/10/1) より
トリチウム水問題を考える
トリチウム水の海洋放出の是非をめぐって、大きな議論になっている。これは、原発を運転すると必ず出てくる放射性廃棄物をどう考えるのか、誰にとっても、知らないでは済まされない難問のひとつである。わたしの考えを以下に述べてみよう。
かねてより経産省は検討委員会をつくって、トリチウム水をどうするか、5つの案を検討してきた。地層注入、海洋放出、コンクリート固化して地下埋設、水蒸気にして大気放出、水素にして大気放出についてだ。長期に保管する案はなかった。技術的課題、処分期間、監視期間、処分費用などが議論されてきた。(注1)
他方、原子力規制委員会の田中前委員長・更田現委員長は、トリチウム濃度を告示濃度以下に薄めて海洋に放出せよと発言してきた。
海に出して捨てていいか、8月末に福島県富岡町、郡山市および東京都内の3会場で、経産省は公聴会を開いた。公述人44名のうち42名が反対の意見を述べた。当室の伴英幸・共同代表もそのひとりである。(注2)
三重水素とも言うが、トリチウムは半減期が12.3年でベータ崩壊をし、ヘリウムになる放射性物質である。いくら薄めるとはいえ、いったん海洋放出されれば海中生物だけでなく陸上の植物や生物への影響がありえる。漁業にもダメージを与える。生物濃縮も懸念される。水なので人体に取り込まれて遺伝子を傷つける恐れがある。生命系に対して安全とはいえない。こういう反対意見が次々に述べられた。
薄めれば安全といえるか
トリチウムに限らず、放射性物質に関しては、排液中のその放射性物質の濃度を制限する告示濃度というものが法律で定められている。公衆の安全を守るための判断基準である。だが、この基準値をきめることは厳密には不可能なのである。一口で言えば、条件が複雑すぎて、計算できないからである。因果関係が一筋縄ではいかないので果たして信頼できる数値かどうか、誰にも証明できない。多分、その辺りだろうくらいの判断になる。推進する側も努力を重ねるが、疑いのない唯一の数値を得ることはできない。新しい見方、考え方が出てくれば、また、観測や測定によって新たなデータが得られれば、改訂せざるを得ない。それはより厳しい数値へと改められる。その作業に終わりはない。
ある濃度の放射性物質が入っている水を、生まれてから70歳まで飲み続けると仮定して、1年あたり1ミリシーベルトの実効線量限度に達するときの濃度が濃度限度とされる。ただし、放射性核種は1種類であると仮定している。ここで、1ベクレルの放射能が何ミリシーベルトになるか、換算の線量係数という値を用いる。これはもちろん核種によって異なる。
こう聞いて、たちどころに疑問が湧いてくるだろう。他の核種が入っていたら? 被ばくする人の健康状態がいろいろだったら? 吸入摂取か経口摂取かの違いは考慮されてはいるが、線量係数は一意的にきめられるか? シーベルトで表される被ばく線量は人の被害の程度をあらわしているか? そもそも、1年あたり1ミリシーベルトというのは甘すぎるのではないか?
告示濃度以下に薄めて海洋放出せよとの規制側の考えは、なんと大雑把な考え方かと思う。報道によると、更田規制委員長は、トリチウム水の保管が長引けば長引くほど廃炉に影響が出る、と記者会見で述べたらしい。原子力規制委員会の姿勢がわかる。 手元に、さまざまな放射性物質のクリアランスレベルの評価値の変遷を示したデータがある。クリアランスレベルとは、原子力施設の解体や運転中に出てくる放射性物質で、これ以下なら公衆の健康への影響は無視できるとされる境界の値のことである。複数の放射性核種が存在する場合は全核種を考慮に入れる。算定の目安値は、現実的なシナリオに対しての個人線量基準は10マイクロシーベルト/年、発生頻度の小さいシナリオでは1ミリシーベルト/年とする。ストロンチウム90やセシウム137などに比べると、トリチウムは格段に基準値が大きい。広く文献を参照し、また、摂取する経路を考え直し、原子力安全委員会の部会ではkg当たり71ベクレル、200ベクレル、60ベクレルと二転三転してきたが、けっきょく100ベクレルとされたのである。
科学的に考えると
自然界には、宇宙線によって生ずるトリチウムがある。環境中には、核実験と原子力施設で人為的につくり出されたトリチウムがある。原子力発電では、重水を使うCANDU炉(カナダで開発された)からの放出が大きい。軽水炉では、加圧水型炉のほうが沸騰水型炉よりも多く発生する。再処理工場では桁違いに大量のトリチウムが発生する。
水の分子式はH2Oだが、水素Hが1つだけトリチウムTと入れ替わったものがHTOであり、これがトリチウム水である。また、有機結合型トリチウムOBTと呼ばれる物質がある。これらの環境中における振る舞いや魚類、貝類、植物、動物など生態系への影響については多くの研究があり、科学論文として発表されている。それらは、個々のケースの研究である。おおむね、注意して対処できるとの報告である。
しかし、カナダ、日本、ドイツ、アメリカ、イギリスなどの原子力施設近傍の住民に小児白血病、新生児死亡、遺伝障害などの増加が観察されている。
これらも個々のケースの研究ではある。原子力推進もしくは容認の立場からは、無視されるか、否定的な扱いを受けている。不都合なデータとみなされているふしがある。
このような、評価が分れるケース研究の場合、科学的に明快で統一的な結論をみちびくことは困難である。経験と根拠に基づき、論理的・体系的に、機序を明らかにして判断しなければならないからだ。実験室内でも条件を厳密に設定することに苦労するが、自然界ではそれが不可能である。因果関係を突き止めようとしても、原因となる要素が無数にあるのが通常のことで、しかも思い及ばない要素もありうる。それぞれの軽重の判定にも価値判断が入る。だが、観測事実を否定するわけにはいかない。
放射線被ばくの影響を考える際の、「直線しきい値なしモデル」(LNTモデル)は、“いくら低線量であっても、放射線の影響を無視してよいというしきい値は存在しない”という考えだ。
故アリス・スチュアート博士は「たとえ1本の放射線であっても、ピンポイントに遺伝子を破壊することがあるのです」と明言している。
海洋に出たトリチウム水が均一に薄められるという保証はない。出入りの複雑な海岸があり、その沿岸を流れる海水の挙動は多様である。シミュレーションもいろいろである。海水の大循環は自転する地球に大きく影響されている。台風も異常気象も制御はできない。海は静かで無限に広いのではない。当然のことだが、計算通りにはいかない。
世界中の原子力施設から一定の濃度制限のもとに放出されたとしても、総量が何処まで増えるだろうか。どこかの濃度が際立って大きくなる心配がある。総量に対する規制も不可欠である。
わたしたちには、大気が汚染され、川と海が汚染され、公害にひどく苦しんだ経験がある。人為的に作り出された放射性物質は、環境に漏れ出ないように、厳重に閉じ込めておくしかないのである。それができないなら、原子力をやめるしかない。
(注1) 経済産業省,トリチウム水タスクフォース報告書
www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/tritium_tusk/pdf/160603_01.pdf
(注2) 本号9ページ, 谷村暢子, 「福島第一原発事故 汚染水処理問題の現状と市民の反応」
NIT,No.186,2018 The Fukushima Daiichi Nuclear Accidennt ; Current State of Contaminated Water Treatmennt issues and
Citizens’Reactions
伴英幸,「【トリチウム公聴会】発言者のほぼ全員が反対! トリチウム等汚染水の海洋放出」 cnic.jp/8163
(山口幸夫)