原発情勢2009→2010 既設地へのツケまわしからの転換を!
『原子力資料情報室通信』第427号(2010/1/1)より
原発情勢2009→2010
既設地へのツケまわしからの転換を!
西尾漠
2009年は、原発既設地へのツケまわしが、これまで以上に顕在化した年だった。その最たるものがプルサーマルである。
各原発で発生する使用済み燃料は、もともとの計画では再処理工場に送られ、そこで取り出されたプルトニウムは高速増殖炉で利用されるはずだった。つまり原発の地元からは出て行くのみだったのだ。
ところが、高速増殖炉の開発が頓挫し、そのツケが原発既設地にまわされた。プルトニウムがプルサーマル用のMOX燃料となって戻ってくるのである。プルサーマルが行なわれた後の使用済み燃料は、さしあたり出て行く先がない。ウラン燃料より高熱で放射能量が多く、プルトニウムやTRU(超ウラン核種)を余分にふくむ、よりやっかいな使用済み燃料として原発内の貯蔵プールに残り続けることとなる。
そんなプルサーマルが、11月5日から玄海3号ではじまった。ごくわずかのMOX燃料を使って実施された小規模試験から一足飛びに、しかも20年のブランクをおいての商業運転である。おまけに、MOX燃料を製造した仏メロックス社の安全意識の低さと発注元である日本の電力各社の品質管理能力の欠如が8月19日、関西電力・高浜3、4号用燃料ペレットの不良品問題として露呈した中で、それは強引に開始された。
玄海3号用とともに3月5日にフランスからMOX燃料が運ばれてきて、5月18日から27日にかけて搬入された伊方3号、浜岡4号で、2010年には続いてのプルサーマル開始が予定されている。
一方、プルサーマルの全体的な目標は6月12日、2010年度までに16?18基とされていたのが、15年度までと先送りされた。ともかくスタートしさえすれば、「日本は余剰プルトニウムを保有する意志はなく、プルサーマルによって確実に使用する考えである」とのメッセージを国際社会に発信できるということらしい。スタートの強引さからは、何らかのトラブルで計画遂行にまたもつまずくのは覚悟の上と思われる。それでもよいということなのだろう。
老朽原発の寿命延長
2月17日に敦賀1号、11月5日に美浜1号と、2010年中に営業運転開始後40年を迎える原発の寿命延長の方針が打ち出された。新増設が進まないというツケが、老朽化した炉を動かし続けるという形で既設地にまわされたわけである。2011年3月には福島第一1号も40歳となる。7、8号の増設問題と絡んで、増設を求める町と慎重な県の関係も予断を許さず、こちらは一筋縄ではいきそうにない。
他方で浜岡1、2号が1月30日、運転を終了した。運開後32年と30年での終了である。6号増設とセットというが、増設までの間、10年以上にわたって約140万キロワットの原発は、電力供給上、必要ないことになる。
このことからは、敦賀1号や美浜1号の寿命延長が必ずしも電力供給力の維持のためではないことが透けて見える。新増設が進まないツケまわしと言っても、原発の基数を減らしたくないというメンツのためだけのツケまわしなのだ。
新増設が進まないと言っても、推進の動きが2009年に見られなかったわけではない。1月8日には川内3号の増設申入れがあり、上関1、2号をめぐって、4月1日の準備工事入り、9月10日からの海面埋め立て策動があった。
川内3号が159万キロワットと超大型化した計画となっているのも、基数を増やせないツケが出力の大きさにまわされたと言える。上関1、2号は各137.3万キロワットだが、1998年11月13日の電気事業審議会専門委員会で当時の古川隆副社長は「電力の需要が増えない中で巨大な原発を推進していかなければならない」と苦境を訴えていた。
2009年夏の最大電力需要は、冷夏のせいもあって過去15年間で最小を記録した。これで7年間、電力9社合成の最大電力は更新なしに終わっている。電力会社が本音では新増設に二の足を踏む状況は、今後も変わらないだろうが、巨大原発の危険性というツケは、地元が負うことになる。
定検間隔延長と出力向上
2009年1月1日、定期検査の間隔を最大24ヵ月まで延長できるようにする電気事業法施行規則の改正が施行された。当初は現行と同じ13ヵ月で保全計画の届出がなされているが、いずれ18ヵ月以内(たとえば16ヵ月)での申請を行なう原発も出てくることになる。これも、新増設が進まずCO2削減の数字合わせに失敗したツケを設備利用率の上昇にまわそうとしているからだ。
定期検査の間隔延長は、トラブルを見つけにくくすると同時に、運転期間が長くなるだけ燃料を傷め、炉心溶融という最悪の事態を招きやすくする。ここでも安全軽視というツケが既設地にまわされることになる。
同様のことが、総合資源エネルギー調査会原子炉安全小委員会の原子炉熱出力向上ワーキンググループで2月25日から検討されている出力向上の推進についても言える。これも運転暦が31年を超える東海第二で、2011年に110万キロワットから115.5万キロワットにアップする計画が認可を申請される予定だ。
第二再処理工場のゆくえ
原発から出て行くはずだった使用済み燃料が、再処理工場の建設の遅延のツケで、原発内滞留を余儀なくされている。
いわゆる第二再処理工場の計画に関しては7月28日、文部科学・経済産業両省と電気事業連合会、日本電機工業会、日本原子力研究開発機構の5者協議会とプロセス研究会(5者の実務クラス+学者で構成)が、進め方と技術的論点を整理。軽水炉と高速炉の使用済み燃料再処理施設の共有化の可能性などに言及した。
本来なら2005年10月11日に決定された原子力政策大綱の改定が2010年には行なわれるべきだが、ツケの大きさにたまりかねた原子力委員会は先延ばしを図り、2010年度予算の概算要求方針で「改定の必要性に係る総合的な検討等を行う」と逃げを打っている。
高レベル廃棄物処分計画
2009年3月15日付朝日新聞は、福島県楢葉町長が高レベル放射性廃棄物処分場の受け入れ検討を表明、と報じた。19日の町議会全員協議会で「国から要請があれば」の意だと釈明したが、このことは国が申し入れをするとすれば、やはり原発や関連施設の既設地だろうとの感触を強くもたせた。国が申し入れをするとなると、全国に数多くの市町村があるなかでそこを選んだ理由が必要となる。文献調査段階の申し入れで「適地」と言うわけにいかないとすれば、既設地に白羽の矢を立てるしかないだろう。
2002年12月の公募開始から7年を経て1ヵ所の文献調査地点(処分場候補地の候補)すら決まらない立地失敗のツケは、2010年にも原発等の既設地にまわされてくるかもしれない。
2010年は、高レベル放射性廃棄物処分のための法律の成立から10年となることを考えれば、立地失敗の根本に立ち返り、地層処分計画の全体が見直されるべきだろう。
将来の世代にかける負担を少しでも小さくするには、安易に地層処分に走るのでなく、どうすればもっとも危険の少ない後始末ができるかの研究を真剣に進めながら、技術の進展に応じてより適切に場所や方法を変えられるやり方で管理を続けることだと思う。高レベル放射性廃棄物の量が少なければ少ないほど、管理の方法その他の選択肢もひろがる。できるかぎり早く原子力発電をやめて「負の遺産」の量を減らす必要がある。
ツケまわしをひっくりかえせ
何より2009年は「転換」の年だった。8月30日の衆議院議員選挙は、日本の政治の本格的な転換をもたらした。いつまでも原子力だけが「聖域」であり続けることはできない。10月3日に東京・明治公園で行なわれた「NO NUKES FESTA 2009」は、約7000人の参加で賑やかに開催され、鳩山内閣に原発推進・プルトニウム利用政策の転換を求める大きな声を届けた。
ツケまわしをひっくりかえす地域の力が、2010年にははっきり示されることだろう。