ノーニュークス・アジア・フォーラム参加記

ノーニュークス・アジア・フォーラム参加記

伴英幸

ノーニュークス・アジア・フォーラム(NNAF)2005が6月3日から8日までの日程で会際された。開催地は台北市(台湾)。会議は4日と5日に行なわれ、7日には低レベル放射性廃棄物の一時貯蔵施設である蘭嶼島への見学が予定されていた。会議を主催したのは台湾環境保護連盟(TEPU)を中心に非核台湾連盟、主婦連盟環境保護基金会、七星生態保育基金会の諸団体である。韓国側からの参加者は、韓国環境運動連合(KFEM)や統一グリーンコリア(GKU)から9名、日本側からは各地から9名、そしてWISE(アムステルダム)から気候変動問題の担当者1名が参加した。日本側の窓口はノーニュークス・アジア・フォーラム日本(大阪)。筆者は3日から5日まで参加したので、ここでは、その報告を行なう。

3日は見学の日で、午前中に建設中の台湾第4原発を、午後に第1原発と第2原発を見学した。台北県貢寮郷塩寮に建設中の第4原発の見学で最も驚いたことは、国定公園内にある台湾で随一といわれる福隆の砂浜が流失してしまっていることだ。海水浴もだんだんと困難になってきているという。3年前よりもさらに流出が進んでおり、すでに砂丘へ降りる橋の端はすでに海水に沈んでいた。第4原発のための港湾施設を作ったことが原因であると地元の漁師たちは主張していた。潮の流れが変わってしまったからだ。私たちが訪れたこの日は沖合で浚渫工事が行なわれており、温排水の放出口の工事をしているのだった。ここでは、第1原発や第2原発と違って海岸から直接の放出はしない。少し沖合までトンネルで運んでから放出する。さらに、漁師たちは、工事によって珊瑚の生息する海底に泥が入り、珊瑚が大きな打撃を受けていること、そのために魚が生息しにくくなっていること、工事の騒音も魚を遠ざけている原因の一つだという。それらの結果、漁獲量は極端に減って、漁師は現金収入のためのアルバイトに出ざるを得ない状況に追い込まれていると切実に訴えていた。

昨年、圧力容器が日本から輸出された第4原発の工事の状況をみると、2基の原発は1年程度の差で並行して建設されていて、1号炉はすでに圧力容器の据付が終わって、それらを囲む工事が行なわれていた。2号炉の圧力容器は保管庫に置かれているとのこと。タービン建て屋など工事は3年前よりも確かに進んでいた。しかし完成にはまだまだ時間がかかるといった印象を持った。台湾電力によれば工事進捗率は59.7%(2005年4月現在)とのこと。建設は、急ピッチと言うよりはむしろのんびりといった印象だった。どうやら溶接工事の不正(規格以外の部品使用が内部告発で明らかになった)の後始末がうまくいっていないからのようだ。

地元の反対運動は世代交代が少しずつ進んでいるようで、郷長で反核自救会の代表でもあった陳慶塘さんは亡くなって、郷長は息子の陳世男さんに引き継がれていた。また、反核自救会の会長さんは呉文通さんに引き継がれていた。お昼は陳郷長のおごり。街道沿いの有名な大王レストランで台湾海鮮料理を満喫。

5日の午前中に「こんにちは、貢寮」という映画を見て、監督の崔愫欣さんと地元の同地で緑色公民運動を行なっている頼偉傑さんの話を聞いた。この映画は第4原発に対する反対運動の足跡が丹念に追われているもので、崔さんが大学時代から大学院時代の6年をかけた卒業作品だ。第4原発の経緯を知るには優秀な作品である。この15年にわたる闘争の中では、力の衝突があり警官1名が死亡、結局は偶発的な出来事だったが、それにもかかわらず当時16歳の学生が終身刑の判決を受けて服役中である。禁固数年の判決を受けた地元の人々もいる。また、この間に幾人かは他界し、反対運動はその子供たちへと受け継がれている。民進党が工事の中止を決めたが結局は再開となり、閉塞感も少しずつ広がっているという。台湾電力の金と脅しの懐柔策も影響しているとのこと。住民合意なく強権的に物事を進める場合は洋の東西を問わず同じようなことが行なわれていると改めて思った。地元の人たちは決してあきらめないけど、運動には少しずつ変化がおきているようでもあった。

話は前後するが、3日の既設の原発への見学は施設内には入らずに、周りの様子を見るに留まった。時間の都合もあるが台湾電力と地元金山郷の人たちの対立関係も影響しているようだ。案内してくれた地元金山郷の郷民代表の許さんによれば、数年前(2002年らしい)に、彼は原発の閉鎖を求めてショベルカーでゲートを破壊した。禁固1年執行猶予5年の判決で、まだ執行猶予が解けていない状況だ。現在は抗議行動一本やりではないそうだが…。その代わりに第2原発排水口を見学した。周辺では奇形魚が多く釣れているという(前回のNNAFの時にはアルコール漬けの奇形魚を見せてもらった)。これが放射能の影響か排水に含まれている化学物質の影響かはわからない。許さんは温排水に含まれる化学物質の影響との見方をしていた。がしかし、原発からの温排水が影響しているとの判断には違いがない。

ここには2機の原子炉(沸騰水型、出力98.5万kW2基、1981年と83年の運開)があり、最大で日量759万トンの冷却水が排水されている。敷地の前は公道であり、そのすぐ前の海岸から直接に放水されている。それはものすごい勢いだった。やはりどこにでも釣り人はいるもので、ここでも排水口の堤防の先に釣り人が10名ほど竿を出していた。その後第一原発(沸騰水型63.6万kW2基、1978年と79年の運開)の裏山の風力発電を見に行った。台湾電力が環境に気を配っていることを示すために建てたもので、660kWの最大出力の風車が6機立っていた。定検中の1機を除き、みな軽快な風切り音を立てながらよく回っていた。建設費は1機あたり日本円にして約1億円、鹿児島大の橋爪先生によれば「ずいぶんと高い」風車だ。案内してくれた環境保護連盟事務局長の何さんは、風車とて多く建てば環境への影響があるので問題ではあるが、しかし、自然エネルギーの導入は不可欠なことであり、台湾電力の風力への投資を歓迎しているとのことだった。

その後、台湾側の20名ほどの人たちを加えたNNAFの一団は金山郷の役場に行き、許さんや役場の張課長と交流会を持った。年頃60恰幅の良い許さんはゲート破壊という力技だけでなく、戸籍を元に住民の死亡調査を行なった結果を報告してくれた。1976年から81年までの5年間の金山郷の全死亡約500人に占めるガン死の割合は77名だったのに対して1997年から2002年までの5年間では約600名中175人のガン死で、これは全台湾平均の3倍近いという(通訳を通した聞き取りの範囲である)。彼はこの調査を通して、この郷にガン死が多いのは第1原発、第2原発ならびに低レベル放射性廃棄物減容センターによる影響だと確信したとのことである。彼の確信が原発を止めるための実力行動につながったようだ。

事故情報は台湾電力から原子力委員会に伝えられ、その後、自治体に伝えられるというが、実際にはマスコミを通して知るとのことだった。日本では安全協定が通例となっているが、残念ながらこちらでは整備されていない。また、ヨウ素剤の配布が話題になっていた。政府は半径5km内の全住民に配布することを決めた(未実施)。環境保護連盟は半径30km圏内の住民に配布するように要求しているとのこと。第4原発でも同様で稼動すれば配布されるとのこと。見学日の夕食は郷民代表許さんからのご馳走。村の大食堂でたらふく食べながら賑やかなひと時をすごした。

ところで、第4原発は、沸騰水型炉で130万kWの出力が2基建設中で、運転開始は1号炉が2006年、2号炉が2007年の予定である。台湾電力から建設計画が発表されたのは1978年。当初は100万kWの規模で2基がそれぞれ88年と89年に運転を開始する計画だった。敷地は4基分のスペースがある。この建設計画は82年と85年の2度にわたって延期された。電力需要の低迷と国会議員請願からである。計画続行は1990年からである。環境影響評価が実施された後の91年に原子力委員会から建設許可が出た。翌年に国民党(KMT)は建設予算を国会で通過させた。94年になると同党は、向こう8年間の建設予算を国会で通してしまった。

96年に民進党は、国民党不在の中で脱原発法を成立させたが、これは半年後にひっくり返されてしまった。丁々発止のやり取りが続いてきた。2000年にDPPの陳水扁氏が総統選に勝利すると公約に従って第4原発の建設中止が発表されたが、立法院ではDPPが少数であるため4ヵ月後にはひっくり返されてしまった。これ以上の原発建設を行なわないことには国民党とも異論は出なかったが、第4原発の建設については根強い支持があったのである。その後も再評価委員会が設置されて建設中止が勧告されたり、丁々発止のやり取りが続いたが、結局は憲法裁判所において中止は違憲との判断が出て建設は続行されることとなり現在に至っている。そして、建設計画は2基に縮小されたが、1基の出力は130万kWに増強された。環境影響評価が100万kWでしか行なわれていないことから許可は違法と環境保護連盟は主張している。

第4原発は日本製の原発で、圧力容器などの主要機器は、1号炉は東芝が、2号炉は日立が輸出する。日本は1972年の日中共同声明に従い、台湾を国として認めていない非政府間の実務関係という位置づけだ。台湾との間の原子力協力協定がなく、従って、原子力機器の輸出に必要な平和利用の担保がない状態だ。このような輸出は認められないと日本の国会でも幾度か追及されたことがある。第4原発の輸出形態はアメリカGEが主契約者となって日本へ丸投げした格好だ。平和利用の担保はアメリカが保障するという頼りない状態だ。日米連合は、アメリカの企業に原発製造能力がない結果でもあるのだが…

4日は国際会議である。3年前のNNAFと同じ会場(国立台湾師範大学)で行なわれた。会議は中国語、韓国語、日本語、英語などが飛び交うもので、同時通訳は中・英で行なわれた。言葉の壁を越えるのは熱意しかない! そんな国際会議であった。配布資料も台湾の人々を主として対象としているため、中国語のレポートは翻訳とも完備しているが、すべてが英語になっているわけではなかった。

京都議定書の発効と原子力産業の動向そして参加国の反原発運動がメインテーマとなっていた。日本からは午前中のセッションで伴が京都議定書と日本の原子力産業について報告し、午後のセッションで鹿児島大学教授の橋爪健郎さんが風力発電について、柏崎市議の矢部忠夫さんが日本の反原発運動について報告した。

韓国からは韓国の原子力産業の状況をグリーン・コリアの石光勲(Seok Kwang-hoon)さんが報告した。韓国では現在20基の原発が稼動中で4基が建設中。韓国は京都議定書の第1部ループには入っていない。興味深かったのは後にも述べるように放射性廃棄物の施設外貯蔵に関しては大きな反対運動で止めているので、低・中・高レベル(使用済み燃料)すべてが施設内に貯蔵されている。韓国電力はそれらの管理処分費用として基金(NuclearLiabilityFund)を積み立てている(5?6ウォン/kWh)が、実際にはそれが原発の建設費に回っていると批判していた。韓国の発電に占める電源の現在の構成は、原子力38.7%、石炭38%、天然ガス15.4%となっているが、12年後の2017年には原子力の割合を46.9%に上昇させ原子力への依存を高める計画だという。また、韓国の反原発運動について、プアンの廃棄物処分場建設反対運動の報告を韓国環境保護運動連合(KFEM)の若き活動家のリー・ソンホァ(Lee Seung-Hwa)が行なった。韓国からの参加者は全員が若い。エネルギッシュな彼女は何ヶ月もプアンに住みながらこの運動に関わってきた体験から、本当に熱意のこもった報告を行なった。その熱意が伝わって、蝋燭がプアンの広場を埋め尽くしている集会の写真(1万人を超える住民が集まった)には参加者一同、感激の拍手を惜しまなかった。

台湾からはSPENAのメンバーでも合った徐光蓉さんと陳椒華さん、さらに施信民さん、林子倫さんらが報告した。林さんは世界の京都議定書達成政策について概略だったが、他の方々は、第4原発と国民投票についての報告が中心であった。

 環境保護連盟は国民投票の実施を政府に働きかけてきた。第4原発の建設をめぐる住民投票は自主的なものがこれまで4回行なわれてきた(表)。これらの動きは主として、初期には環境保護連盟が、後には同団体が中心となって94年に設立された「第4原発の住民投票を進める会」が、いずれも草の根民主主義をすすめる立場で主導してきた。いずれも第4原発の建設に反対する声が多かった。とりわけ、原発周辺に行くほど反対が多い傾向にあった。ところが、これらの投票は法的根拠がないということで政府からは結果の受け入れを拒否されてきた。

エリア実施日投票率反対票率
貢寮郷(村)94年3月22日58%96%
台北県94年11月27日18.5%89%
台北市*96年3月23日59%54%
I-Lan県98年12月5日44% 64%

*台北市は行政単位としては県と同等の特別市。他に高雄市などがある。

民進党(DPP)は戒厳令が解除される前年の1986年に設立された。同党は設立以来、原子力新規立地に反対し再生可能エネルギーの導入を積極的に進めることを党綱領に掲げてきた。同党は「反核家園(Nuclear Free Homeland)」政策を打ち出し、政府の方針としていることから、再生可能性エネルギーの導入は台湾政府の大きな課題である。その目標は2010年までに514万kWまで増やす。2004年が249万kWなので、あと5年の間に倍以上に増やす目標だ。そして、これは設備容量の約10%に当たる。結構大きな目標で、今の政府のおよび腰の対応では達成を危ぶむ声も聞かれた。

上記のように紆余曲折の結果第4原発の建設は再開された。そこで「第4原発の住民投票を進める会」は政府に対して国民投票の実施を求める運動を再び活発に展開し始めた。彼らは国民投票を求める「1000km行進」を3次にわたって行い、主要都市の辻々を回った。2003年6月に政府が行なった「反核家園」会議で陳総統は2004年の大統領選の時に併せて第4原発を巡る国民投票を行なうことを表明した(原子力資料情報室通信350号参照)。しかし、その半年後の12月に立法院が「公民投票法」を成立させてしまった。同法によって、国民投票の実施にはその題材含めて国会の議決が必要となった。なぜなら、大統領選でDPPが勝利して与党となったが、国会にあたる立法院では依然として国民党(KMT)を主体とする野党が多数派だからである。さらに、同法は発議に全有権者数の5%の署名を必要とし、投票率は50%を超えないと有効でないとする厳しいもので、実質的に国民投票をできないようにしたものである。DPP単独の判断では国民投票はできない状態になった。国民党の巻き返しだった。これに対して、台湾環境保護連盟の人たちは法改正を要求していく方針だとNNAFの会議で説明していた。

報告によれば、この2年間に環境保護連盟は上記公民投票を求める運動のみならず、原発の安全を求める運動(ヨウ素材配布要求もその一環)、放射性廃棄物問題への取り組みなどに加えて、再生可能エネルギーの推進やライフスタイルの見直しなどを訴えるパンフレットの配布や320回を超える講演会を開催したりして草の根運動を丁寧に展開している。彼らの運動も幅が広がってきたように感じた。