原子力長計策定会議意見書(第21回)

原子力長計策定会議意見書(21)

2005年3月16日
原子力資料情報室 伴英幸

1. 放射性廃棄物か二酸化炭素かではなく、放射性廃棄物も二酸化炭素も削減
 原子力発電は放射性廃棄物を作り出します。本策定会議でも議論してきましたが、その処理処分については未だ解決していないと考えています。例えば高レベル放射性廃棄物に関して、捨てることを前提にして工学的な解決策は語られますが、地震や地質などの学問的な視点からは、とりわけ日本のような地質環境では確実に安全な捨て場はないと指摘されています。原子力発電所の長期にわたる維持はそれだけ多く放射性廃棄物を生み出すことになります。「長期的な視点に立って目の前の課題に対応する」には、放射性廃棄物をこれ以上発生させないことを念頭に置くべきだと考えます。その意味で、二酸化炭素排出削減を原子力に依存するのではなく、放射性廃棄物も二酸化炭素も削減する、省エネ対策+再生可能エネルギーのよりいっそうの積極的導入が必要です。資料第1号の今後の方向1-(3)では「省エネルギー」や「新エネルギー」の積極的導入がなされるかの印象ですが、さらに多くの導入の可能性があると考えます。
 他方、省エネの進展と人口の減少によりエネルギー消費は減少するとしながらも電力需要を一定に仮定することの根拠が不明です。さらに加えて、原子力を58GWで一定と仮定することは、資料の「3.原子力をとりまく環境」「4.電気事業者側の対応」から、非現実的といわざるを得ません。
 原子力を一定に仮定してしまうために、電力化率を上げる結果になっています。そのことは、エネルギー転換ロス率を増やすことになり、ひいては省エネの進展を阻害することになります(添付の西尾メモ参照)。

2. 「既設炉の最大限の活用」策は原発の危険をいっそう高めるもの
右図は2004年8月に起きた美浜原発3号炉二次系配管破断事故に関する三菱重工の報告書ですが、「管理指針」適用前後で点検箇所が大幅に減ったことを示しています。このような「合理化」が進んでいる中で、「定期検査の柔軟化」が行なわれることになります。加えて、「高経年化対策」という長期間運転によって配管の応力腐食割れや減肉が避けられない状況と上記「合理化」が重なります。さらに「出力増強」などが行なわれれば、原発はより過酷な運転環境に置かれることになり、原発の危険性をいっそう高めることにつながるのではないでしょうか。「今後の政策課題」の第一に挙げられている「安全の確保」はより困難になると考えます。

3. 資料第1号の内容に対するコメント
3-1. 「海外における原子力発電の動向」で、ドイツの電力輸入量に言及しています。これには、脱原発を合意したにもかかわらず、フランスの電気を輸入しているので、実質的には脱原発でないかのような、あるいは脱原発が困難であるとの印象を与えたい意図があるようです。しかし、ドイツは電力を輸出もしています。比較的最近までの資料では、輸出入はおおよそバランスしています。この事実には一切触れていません。資料はたいへん偏った提示の仕方をしていると思われます。1991年から2001年までの電力輸出入のデータを下図に示しました(最新のデータが手元にありませんので、補足してくださると幸いです)。

3-2. 「わが国の現状」として石油は輸入量と輸入先を示して85%は中東からと地域依存性を強調していますが、これはエネルギー政策の誤りの結果でしょう。地域依存性が原子力によって解決されるとは考えられません。
 一方、「原子力発電の供給安定性(1/2)」としては在来型既知資源量の分布を示しているのみです。石油輸入の偏りと比較するならウランについても輸入先を示すべきです(以前に策定会議事務局へは要請しましたが未回答)。これを原子力委員会が公表している移動量でみると、2002年においては、濃縮ウランはアメリカから700tU、フランスから75tU、イギリスから21tU、その他2tU、また、天然ウランについてもフランスから379tU、カナダから461tUとなっています。オーストラリアなどのウランはアメリカで濃縮されて日本に入ってきています。これはウランの輸入先を示すものではありませんが、日本に輸入されるウランの99%がアメリカ、フランス、カナダの3カ国を経由していることを示しています。この点からは強く偏っているといえます。
3-3. 「原子力発電の供給安定性(2/2)」では、高速増殖炉サイクルが「実現されれば」といった、実用化の見通しのない話を供給安定性の説明に用いるのは誤りです。
3-4. 中国やインドのエネルギー需要が急増するという見通しと両国のエネルギー確保の動向が強調されています。両国のエネルギー需要が大きく増大すると考えられますが、他方それに対抗する政策もとられると考えられます。例えば中国では「世界的にエネルギー資源が不足する状態の下で、いかにして限られたエネルギー資源を有効に利用し、経済の持続的発展を図るかは、中国政府の重要課題となっている。去る7月、国務院が原則的に採択した『エネルギー中長期発展計画要綱2004-20年(案)』は、新しいエネルギー戦略の8要点の第1位に省エネを位置づけ、全面的に省エネ制度を実施することにした。」(しん穎、ワールドレポート、04年9月29日付、電気新聞)と報告されています。資源ナショナリズムを煽るのには疑問です。むしろ協調・協力の道をさぐるべきではないでしょうか。
3-5. 原子力についてはプラス面のみを記述し、他のエネルギー源ではマイナス面を掲げているのは公正ではありません。
3-6. 化石燃料と原発を二酸化炭素の排出量で比べたり、新エネルギーと原発を所要面積で比べたりすることは本質的でないと考えます。比較をするなら社会全体のあり方として比べるべきです(添付の西尾メモ参照)。
3-7. エネルギーの半分を石油に依存と言いますが、電力で見れば10%(2003年度)。原発を増減しても石油への依存度は大きくは変わりません。

4. 質問事項
4-1. 「各種電源の発電量当たりのCO2排出量(メタンを含む)」のグラフについて、電力中央研究所のもの以外に同種の研究結果が他にあれば、例を示してください。
4-2. 「1-(3) 今後の方向」の仮定として「2100年のGDP当たり最終エネルギー消費は、現在の約3分の1」とありますが、GDPはどう想定しているのですか。
4-3. 同じく「新エネルギーの導入は、2100年に現在の約180倍」とありますが、太陽光、風力などそれぞれの内訳は? 同じく化石燃料の内訳は?
4-4. 同じく「[参考1] 2100年までの需給(最終エネルギー消費)見通し」で、「2030年以降は財団法人日本エネルギー経済研究所試算」と出典がありますが、試算内容の詳細(前提や条件、構成など)を示してください。第5回策定会議の資料には同財団の報告は紹介されていませんでした。
4-5. 天然ガスに関連して、『エネルギーに関する年次報告』に「最近の取組」として紹介されているメタンハイドレート、GTL・DME、サハリンプロジェクトなどに触れられていないのはなぜですか。また、クリーン・コール・テクノロジーについても触れられていない理由は?

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添付)原子力か新エネルギーか

原子力資料情報室 西尾漠

「エネルギー政策の目指す方向は、『原子力か新エネルギーか』ではなく、『原子力も新エネルギーも』」である、と資源エネルギー庁原子力政策課の資料は言う。そう言いながら、おびただしいページ数と贅言を費やして原子力の利点を謳い上げる一方、新エネルギーにはわずか1ページで、その弱点を強調するのみなのが、何とも可笑しい。それだけ世の中では「悪玉の原子力か善玉の新エネルギーか」というイメージが定着している、と被害者意識に凝り固まっているのだろう。そこで、本音を抑え込んで新エネルギーを敵視しないようにし、むしろその人気にあやかることで原子力も認めてもらおうというのが「原子力も新エネルギーも」らしい。確かにAかBかよりAもBものほうが、穏和に聞こえ、誰にでも受け容れられやすそうだ。
 しかし、やはり問題は「原子力か新エネルギーか」である。「新エネルギー」は定義も一定でなく、いい言葉だと思わないが、ここでは総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会の用法に従って、風力、太陽光、小水力、バイオマス、燃料電池、天然ガスコジェネレーションなどとする。
 さて、「原子力か新エネルギーか」というのは、同じだけの発電量を得るのに原発を選ぶか太陽電池を選ぶかといったことではない(実際には、太陽電池の効率や使用形態は大きく変わりうるので、比べるのはそう簡単ではない)。重厚長大型の原子力はエネルギー消費を拡大しながらでなくては使えないエネルギー源であり、他方、新エネルギーは、分散型のメリットを活かしてエネルギー消費を小さくすることにつながるエネルギー源だという点で、両者は対極的であり、対立的なのである。現実的には当面、化石燃料にエネルギー供給の多くを頼らざるをえないが、原子力を選ぶ社会か新エネルギーを選ぶ社会かによって、化石燃料の利用の仕方も違ってくる。「原子力も新エネルギーも」とは「化石燃料も原子力も新エネルギーも」であり、「原子力か新エネルギーか」での新エネルギーは脱原子力・脱化石燃料を目指すものである。
 1.原発はなぜ省エネルギーに逆行するのか
 なぜ原発は、エネルギー消費を拡大しながらでなくては使えないのか。それは、原子力では電気しかつくれないからである。原発の増加は、エネルギーの利用形態を電気中心に変えていくことで初めて成り立つ。日本のエネルギー消費は大胆な(?)省エネルギーの進展と人口減少によりやがて減少に向かうとしながらなお電力化率の上昇を見込むのは、まさに原発が存在するゆえである。ところが電気は、発電をするときのロスが大きく、電力化率が高まるほど、エネルギー消費は増大することになる。電力化率を高めなければ、より大胆な省エネルギーが可能なのである。
 原子力は、電気の形にしてからでなくては利用できない。原子力自動車も原子力ストーブも存在しないことは、周知の通りである。原子力で水素をつくり燃料電池で自動車を動かすとの宣伝もあるが、実際的ではなさそうだ。
 そのうえ原発は、刻一刻と変化する電力需要の変化に合わせて出力を細かく調整することはできない。需要の小さい夜間だけ出力を下げるような大まかな調整は可能だが、その場合も温度変化のくり返しが燃料を傷め、放射能の放出量が増えることのほか、複雑な運転管理が事故の機会を増やすこと、経済性を悪化させることなどの問題がある。そのため、停止しているとき以外は常にフル出力で運転される。それに見合った電力需要が必要とされるのである。
 泊原発が運転を開始した直後の1989年7月20日付電気新聞のインタビューで、北海道電力の戸田一夫社長(当時)が述べていたように、「作ったものは売る」しかないのだ。現に北海道電力の電力需要実績をグラフにしてみれば、原発の運転開始に合わせて電気料金を値下げし、需要の増大を促していることがわかる。同じ傾向は、他の電力会社の需要実績にも見られる。
 電力需要が低下する時に火力発電などの出力抑制を命じる「優先給電指令制度」がつくられたのも、原発の発電分の需要を確保するためにほかならない。
 2.原発がすすめるエネルギーの無駄遣い
 原発の増加がエネルギーの利用形態を電気中心に変えていくことの結果、何が起こるのかを見るとしよう。
「原子力への傾斜は電気の形の燃料供給の割合を増すことになり、したがって放出熱対供給燃料比を著しく増大せしめる結果になる」と、P・チャップマンはエネルギー収支を論じた『天国と地獄』(中西重康訳、みすず書房、1981年)のなかで書いている。原発や火発で電気をつくるには、供給燃料に比して多くの熱を捨てなくてはならないのである。
 最新の原発で発熱量の65パーセント、最新の火発でも50パーセントが、温排水の形で捨てられる。放出熱はきわめて大きなものとなるのだ。そこで省エネルギーのためには、電気を使う必要のない用途には電気を使わない「電気のノーブルユース」が望ましいとされる。電気の形にしてしか使えない原子力は、省エネルギーに反するのである。
 しかも、電力化率を上げていくということは、熱で電気をつくって(多くの熱は捨てて)その電気を熱として利用するような無駄な使い方をすすめる。『天国と地獄』から、もう少し引用をつづけよう。「一次燃料で電気に変換されるものの割合がふえればふえるほど、不適切な用途に用いられる電気の量はふえるであろう」「したがって、電気への転換は燃料使用効率の低下を必然的に導くものではないけれども、現実には低下を招くことになろう」
 3.原発を増やすと火発も増える
 原発は、自身が電力消費の増大を要求するだけでなく、他の発電所も増やして、さらに電力の消費増を求める。電力の需要の変化に合わせた出力の調整ができないため、出力調整用には他の発電所が要るからである。原発を増やせば、それに応じて出力調整用の発電所も増やさなくてはならないことになる。
 出力調整用には、石油や天然ガスを燃料とする火力発電所(火発)と、揚水発電所が用いられる。揚水発電所は、山の上と下などに2つのダムをつくってその間を結び、電気が余っている時にその電気を動力として下のダムの水を上のダムに汲み上げ(揚水)、電気を必要とする時に上から下に落として水力発電をする発電所である。雨が少なくふつうのダムには水がない時でも、揚水発電所なら水を蓄えておいて発電をすることができると言われるが、実際には、発電より揚水の機能のほうが重要視されている。
 原発がフル出力で動き続けていると、どうしても電気が余ってしまう時がある。そのままにしておけば、機器を保護するために、原発はすぐ自動的に停止してしまう。それは困るので、そんな時の「電気の捨て場」として、揚水発電所は利用されているのである。このため、出力調整ができない原発の弱点を補うものとして、原発とセットにして揚水発電所がつくられている。
 4.バックアップの発電所も必要
 また、事故で止まることの多い原発は、バックアップ用の発電所も増やす必要がある。
 原発は1基あたりの出力がとても大きく、事故で停止すると、そのぶんのマイナスも大きくなる。さらに、事故によっては、当の事故をおこした原子炉の停止だけですまず、そのあおりを受けて同じ原発にいくつかある全部の原子炉をいっせいに停止せざるをえなくなるという可能性がつきまとっている。さらに、事故の大きさによっては、ほかの発電所も全部止めなくてはならないことだって、おこらないとは言いきれない。
 事故そのものというより、事故隠しの発覚でたくさんの原発が止まる事件も、2002年8月の東京電力の点検結果虚偽報告をきっかけに起きている。東京電力の原発全17基が、03年4月15日にはすべて止まることとなった。原発に頼ろうとするほうが電力危機を招きやすいと言うべきだろう。
 事故で原発が止まる時の対策として、低出力で運転しながら待機していてすぐに出力を上げられる火発や、揚水発電所(出力の調整が迅速にできるので、事故の際に急遽応援をするのにも適している)を必要とすることになる。また、長期にわたる原発の停止に対応するには、ふだんは停止したまま休んでいて、イザという時に起動する火発が要る。
 原発を増やせば、出力調整用やバックアップ用の発電所も増やさざるをえない。結果として電力化率をいっそう高め、ますます省エネルギーに反するのである。
 ちなみにこのことは、原発が二酸化炭素削減に貢献しないことをも示している。削減における原発の役割を大きくしておけば事故などの際に足元をすくわれるわけだし、そもそも原発を増やせば火発も増えてしまうのだ。
 5.未来をしばらない技術
 議論の分かれ目はエネルギー消費を拡大しつづけるか否かであり、原発はエネルギー消費を拡大しつづけることと切り離せないところに問題がある。エネルギー消費の拡大を支えるために原発が要るのではない。原発のある社会が、エネルギー消費の拡大を促すのである。
 たくさんの原発をもつ私たちの社会は、エネルギー選択の柔軟さを失い、これからおこるかもしれない大事故におびえ、プルトニウムと放射性廃棄物をどっさり抱えて、未来まで縛られてしまっている。原発のある社会は、現時点でエネルギーを大量に使うだけでなく、この先エネルギーを大量に使いつづける建物や製品をつくることで、そんな異常事態がさらに数十年つづくことを、すでに織り込んでいるのである。
 これに対し、分散型の新エネルギーの活躍する社会は、エネルギーをつくりだしつつ社会全体のエネルギー消費を減らしていく方向性をもつ。
 分散型エネルギーは、需要のあるその場でエネルギーをつくり出し、送電などのエネルギー輸送を減らす。小回りがきくことから、需給の不均衡を小さくできる。大型発電所などでは利用できなかった「未利用エネルギー」も活かせる。
 再生可能な自然エネルギーこそ、消費を減らすエネルギー技術の代表である。太陽の熱や光、風や水などの力を利用する自然エネルギーは、使ってもなくならないエネルギーである。植物の成長分だけを使うバイオマス利用も、再生可能と考えてよい。自然エネルギーの利用は、省エネルギーの意識を高め、また、分散型の特長を生かした省エネルギーをすすめる。
 もちろん、自然エネルギーの利用も、普及して大きな役割を果たせるようになると、新しい難題が姿を見せるかもしれない。しかし、大規模集中型の原発とちがって小規模分散型の太陽エネルギーなら、それに見合った解決方法があるであろう。それが「未来を縛らない技術」ということになる。
 原発を止めれば、一時的に化石燃料の消費が増えることは避けられない。そのことが少しは許されるとしたら、それは、より好ましい未来に向けた移行期間として、脱原発・脱化石燃料をすすめていく準備をする場合だけである。この考えは、田中直の論文「適正技術・代替社会」(『岩波講座現代社会学第二五巻 環境と生態系の社会学』岩波書店、1996年)に多くを拠っている。田中は言う。
「再生不能なものを使ってしまうということは、多少にかかわらず、いま存在する者のエゴイズムをともなうことはさけられない。もしそのエゴイズムが少しでも免罪されるとすれば、それは、その再生不可能な資源を使っている間に、そのような資源がなくとも快適な生活ができるような、再生可能なシステムを準備できた時だけである」