ポロニウム-210について(改訂)

ポロニウム-210について(改訂)

古川路明(理事)
2006年11月30日 初版
2006年12月8日 改訂

 ロシアのリトビネンコ氏の死亡についてポロニウム-210の投与による毒殺との見解が流布している。放射化学の研究教育に従事した者としては、素直に飲み込めないところがある。11月30日にこの問題について考えていることを述べたが、説明不足な部分と誤解を招く表現があったので、より整理されたものを載せてみたい。

1.ポロニウムの毒性について

 「ポロニウムはもっとも毒性の高い元素」とよく言われるが、これは誤解を招く表現である。ポロニウムは周期表の16族に属し、同族のセレン・テルルと似た性質をもつと考えられる。セレン・テルルには有毒な化合物もあり、ポロニウムが毒性の高い元素であると予測できる。しかし、1グラム以上のポロニウムを入手することは非常に難しく、化学的な毒性が問題となる量を確保するのは、実際的でない。

 一方、ポロニウム-210の半減期(138日)が短いために、1グラムのポロニウム-210の放射能強度は1,700兆ベクレル(1.7×10^14ベクレル)に達する。体内に摂取すると、アルファ線による被曝の影響が大きい。致死量を1億ベクレルと仮定すると、その170万倍となる。化学的毒性よりもアルファ線被曝による身体影響がはるかに大きな問題となる。

2.ポロニウムの入手について

 ポロニウム-210を入手するには、天然ウランから分離する方法と原子炉または粒子加速器を用いる方法がある。どの方法を用いるにしても、専門知識と技術をもつ人材と大型の特殊設備が必要である。そのような条件を満たす機関はどこにでもある訳ではない。国が補助している組織が関係していると考えるのが自然である。

3.致死量について

 致死量を正確に決定することは難しく、ある仮定をおいて値を出さねばならない。短期間に健康に影響が出るには、10シーベルト以上の線量が必要であるとする。その線量を与えるに要するポロニウム-210の量は1億ベクレル(0.0006ミリグラム)以上であり、今度のように早く死にいたったのが放射能のみによるとすれば、さらに大量を投与する必要はあろう。

4.ポロニウムの取扱い

 体内取り込みを極力避けねばならない物質の取扱いは慎重に進められるべきである。大量の取扱いでは、そのために設計された大型設備が必要であり、1億ベクレル程度の少量を取り扱う場合でもグローブボックスのような放射能が直接手に触れない設備を利用することが望ましい。

 このような物質が普通の場所に持ち出されることは考えにくい。そのようなことをすれば、多くの場所が汚染されるのは当然であろう。

 
5.汚染の検出

 床や壁の汚染を検知するには、アルファ線測定用のサーべイメーターを用いる。ろ紙で床の表面をぬぐって、その放射能を測定する方法(スメア法)も役立つであろう。ただ、どちらの方法であってもポロニウム-210の存在を確定するには不十分である。確定するには、採取試料からポロニウムを分離し、得られた測定試料を精密測定する必要がある。

6.報道の内容から

 11月29日5時30分のNHKのラジオ・ニュースは、「ロシアが年間8グラム(1300兆ベクレル)のポロニウム-210を製造しているが、その管理は厳重におこなわれている」という内容を伝えた。このような大量のポロニウム-210が何のために製造されていたかはっきりしない。しかし、これが真実であるならば、製造されたもののほんの一部で人を殺すことができよう。

7.感想など

 私は、化学毒物に詳しくないので、はっきりしたことは言えないが、放射性物質による死亡であったか判断しかねている。化学物質を用いた方が目的を達しやすいのではないかとの疑いはぬぐいきれない。

 

「参考資料」
ポロニウム-210の性質などについて

【核種】
ポロニウム-210 (210Po)

【半減期】
138日

【存在と生成】

 天然では、ウラン-238(238U)が崩壊を繰り返して生じる。鉱石中のウラン1トン当たり0.07ミリグラムが含まれ、放射能強度としては、120億ベクレル、(1.2×10^10ベクレル)となる。ウラン鉱が精錬される時には、大部分が鉱滓などに入り、一部は環境中に放出されるはずである。

 ウラン-238の崩壊生成物であるラドン-222(222Rn)は希ガスであり、大気中に放出される。その崩壊によって生じるポロニウム-210も大気中に存在する。年間平均大気中濃度は0.2から1.5ミリベクレル/m3の範囲にある。

 人工的には、ビスマスの原子炉中性子照射でつくられる。ビスマス-209(209Bi)が中性子を捕獲して生じるビスマス-210(210Bi)がベータ崩壊してポロニウム-210となる。1キログラムのビスマスを原子炉で1月間照射すけば、3000億ベクレル(3×10^11ベクレル)が得られる。ビスマス板(厚さ0.1ミリメートル)を一千万電子ボルトの重陽子で10日間照射してもほぼ同量が得られる。

【化学的、生物学的性質】

 ポロニウムについては、0.1ミリグラム以下の微量について化学的性質を調べている。その化学的挙動は複雑で、予測しにくい。ふつうは水に溶ける形で取り扱う。
ポロニウム-210の放出するアルファ線は水中で0.04ミリメートルまでしか届かない。体内への取り込みによる内部被曝を考えればよい。1万ベクレル(5.8×10^-11グラム、58ピコグラム)を吸入摂取すると、実効線量は約20ミリシーベルトになる。
取り込まれやすい主な器官としては、肝臓、腎臓および脾臓が挙げられる。体内の総量は約40ベクレルで、食物などに含まれる一日の摂取量は約0.1ベクレルである。生物学的半減期:は約50日とされている。

【放射能の測定】

 試料を分解し、化学的にポロニウムを分離して測定試料を調製し、シリコン半導体検出器でアルファ線を測ればよい。床の表面などにあるものを検出するには2センチメートル以内に検出器を置かねばならない。体内に入っているポロニウムを決めるにはバイオアッセイによる以外の方法はない。

主な崩壊方式とエネルギー(百万電子ボルト):
アルファ線:5.31(100%).

放射線施設内の空気中濃度限度(酸化物、水酸化物及び硝酸塩、ベクレル/cm3):
9×10^-6

排気中又は空気中濃度限度(酸化物、水酸化物及び硝酸塩、ベクレル/cm3):
4×10^-8

排液中又は排水中濃度限度(酸化物、水酸化物及び硝酸塩、ベクレル/cm3):
6×10^-4

吸入摂取した場合の実効線量係数(酸化物、水酸化物及び硝酸塩、ミリシーベルト/ベクレル):
2.2×10^-3

経口摂取した場合の実効線量係数(酸化物、水酸化物及び硝酸塩、ミリシーベルト/ベクレル):
2.4×10^-4

参考
・馬淵久夫編集『元素の事典』(朝倉書店1994)p.250「ポロニウム」
・古川路明『放射化学』(朝倉書店1994)p.71「ポロニウム」