東電柏崎刈羽原発、再稼働の是非を決めるのはだれ?

『原子力資料情報室通信』第598号(2024/4/1)より

1 東京電力、もう一つの原発
 東京電力の福島第一、第二原発は、2011年の第一原発の過酷事故のあと廃止になったが、東京電力はもう1箇所、新潟県柏崎市と刈羽村にまたがって、世界最大規模の柏崎刈羽原発を所有している。全7基、出力は821.2万kW。そのうちの6、7号機が適合性審査に合格しているが、未だ再稼働できていない。審査に合格後、次々に東電の不祥事が発覚し、特にテロ対策上の不備で運転者としての適格性が疑われ、原子力規制委員会から事実上の運転禁止命令を受けた。最終的に、去年12月末に原子力規制委員会がこれを解除して適格性を認め、いよいよ7号機の再稼働について地元合意が現実問題になってきた。

2 3つの検証
 だが、地元合意を得る対象とはどこだろうか。必ずしも明白ではない。柏崎市長と刈羽村長か、それとも県知事か、はたまた県議会、市町村議会か。福島事故を振り返れば、他県をも含めて被災するおそれのある広範な住民は対象外なのか。
 東電が柏崎刈羽原発を再稼働させたいのは、福島花角現知事は選挙公約として、「県民の安全を最優先。『3つの検証』をしっかり進め、結果がでるまでは再稼働の議論をしない」を掲げて当選した(2022年5月)。『3つの検証』とは、米山前知事が2017年に設置した3つの検証委員会とそれらを総括する検証総括委員会による検証のことである。

 これら検証委員会は県民が原発の安全性を判断するためのもので、全国や世界の原発立地自治体に寄与したいと米山前知事は壮大な意図を示したのである。このうち、「事故原因」を担当する技術委員会は、2003年に、2002年の「東電トラブル隠し事件」を契機に「新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」として設置されたものである。
これらは、あくまでも、柏崎刈羽原発の安全性を判断するために専門家たちが議論する場であり、事故による住民の生活と健康への影響、および、原子力災害時の避難方法に役立てるべく、福島事故の検証を有力な判断材料とすることにある。

3 検証総括委員会
 検証総括委員長には、当時の米山知事に請われて京都在住の池内了さんが就任した。池内さん(名古屋大学・政策研究大学院大学名誉教授)は天文学・宇宙物理学者として知られた人だが、軍事研究に反対し、社会における科学や技術のあり方を広く深く論じ、世界平和アピール七人委員会委員を務める。
 その池内さんが花角知事と意見が合わずに、とうとう2023年3月で任期切れという形で、解任されてしまった。5年間で、検証総括委員会はたった2度、開かれただけだった。以前から存在していた技術委員会を除いて、他の2つの委員会の委員たちも解任された。検証委員会は役割を終えた、と花角知事が判断したのである。米山前知事の意図が否定されたわけだし、花角知事の選挙公約も破棄されたに等しい。
 事故の廃炉に必要な資金のためという経営上の意図があることはよく知られている。原子力ムラの人たちの考えからすれば当然のことなのだろう。数年前から財界・業界・政界からの新潟訪問がしばしば報道されてきた。
 池内検証総括委員長は「県民のために検証するには、東電の適格性や柏崎刈羽原発の安全性を検証する必要があり、タウンミーテイングなど、県民の意見も検証ににとりいれる」という考えを明らかにしていた。途中から花角知事は「それは県がお願いした内容ではない。委員会は開かない」と応じるようになった。
 こうして、3つの検証委員会は報告書の提出を急がされ、検討課題を残しつつ、中途半端で終わったのである。しかも、それぞれの報告書は池内委員長にではなく、知事に提出されたのであった。最初に提出したのは技術委員会で2020年10月26日、最後は健康分科会の2023年3月24日だった。

4 『池内特別検証報告書』
 2023年9月13日に、知事に提出された3つの委員会からの4つの報告書(生活と健康は別々に)が公表された。だがそれは、県の事務方が簡単に要約し、それぞれの間の整合性をチェックしたもので、「総括」らしい内容はまったくないものだった。
これに対して池内さんは11月22日に記者会見して、全9章からなる『池内特別報告』(A4判、101ページ)を発表した。可能なかぎり各検証委員会を傍聴し、審議を追い、出された報告書を丁寧に読み、感想や批判や提案を書き込んだ、と言う。以下に大まかな目次をしめす。

はじめに-執筆するに当たって 3
第1章 検証総括委員長解任までの一部始終 5
第2章 技術委員会の「検証報告書」 14
第3章 生活分科会からの「検証報告書」 29
第4章 避難委員会からの「検証報告書」 37

第5章 健康分科会からの「検証報告書」 58
第6章 諸機関の適格性について 67
第7章 地域と自治体に引き起こされた問題 81
第8章 原発のテロ・戦争対応について 89
第9章 おわりに 98
参考にした文献 101

 「はじめに」のところで、委員長を解任されたので、この『特別報告書』は「誰に遠慮することなく自由に書ける利点がある」とし、新潟県民が特に求めている「柏崎刈羽原発の今後」について考える材料にできると思っている、と意図を述べている。
 第1章は、2018年2月に発令を受けてからの5年間の経緯をまとめ、知事や県の幹部とのやり取りを詳しく書いている。新潟県の検証委員会というものが何を目指したものか、各検証委員会の境界、狭間であるために議論されない重要問題や、「科学のみでは解決できない問題(トランスサイエンス問題)」を検証総括委員会で意識的に取り上げたいという著者の志を述べている。
 第2章から第5章まで、それぞれの委員会の「報告書」の概要と問題点を述べ、「検証結果」をまとめている。そして、何が不足しているか、議論をどの方向に発展させるべきであったかなど、具体的に指摘し、個別の検証委員会ではなく、全体で審議する検証総括委員会の重要性を説く。

5 技術委員会の「検証報告書」
 第2章について、およその内容を紹介する。2020年10月、まっさきに提出された(検証委員長へではなく、知事へ)技術委員会の「検証報告書」に対してはきびしいコメントが目立つ。この「検証報告書」は全体で274ページという大部のものだが、検証結果を記述したのはわずか59ページ分で、あとの215ページは参考資料であって審議内容ではない。
 しかも、柏崎刈羽原発の安全性に関わる事柄は参考資料のなかの「抽出した課題・教訓」として131項目を羅列しているに過ぎない。「福島原発事故の検証の目的」として、「柏崎刈羽原発の安全性に資することを目的とする」のに、実際には福島原発事故の検証でしかない、と著者は指摘している。
「検証結果」について、11点の丁寧なコメントが付いている。それらは、
(1) 地震対策
(2) 津波対策
(3) 発電所内の事故対応
(4) 原子力災害時の重大事項の意思決定
(5) シビアアクシデント対策
(6) 過酷な環境下での現場対応
(7) 放射線監視設備、SPEEDIシステム等の在りかた
(8) 原子力災害時の情報伝達、情報発信
(9) 新たに判明したリスク
(10) 原子力安全のための取り組みや考えかた
(11) 避難委員会への提案
である。
 さらに、「未解明問題」として13項目を挙げている。それは、現時点では明確な解答が得られず、「そうであるかも知れないが、そうでないかも知れない」問題のことである。原発の安全性に関わる根本的な問題なのだが、東電が情報開示を「断固拒否」するので、決着がつかない問題が多い、と著者は言う。
 次いで、「東電の安全文化」の問題として7項目、「東電の対応の問題点」として6項目、最後に、「原発運転前に検討すべきこと」として10項目を挙げて論じた。まことに、行き届いた内容になっているのである。
こう見てくると、池内委員長のもとでの検証総括審議が行われなかったことが、かえすがえす残念だと痛感する。実に貴重な機会が奪われたと思う。知事を含めて新潟県の姿勢は県民の意見などに耳を傾けるどころか、再稼働まっしぐらなのである。

6 諸機関の適格性について
 第6章から第9章まで、科学・技術・社会論が縦横に展開され、新潟県民だけではなく原発を持つ自治体、原発の影響を被る地域のひとたち、一般の市民にとっても、たいへん有益な内容になっている。
 著者は、原発に関わるさまざまな権益・権利・判断・布告・決定などに関与する機関や当事者の適格性を議論するわけを、次のように言う。一般人の一人として、原発行政に関して権力者の立場にある人たちの適格性を論じようというのは、批判的言辞と多くの人たちと議論することによって、社会の体制を変えるきっかけになると信じているからだと。
 取り上げた対象は、東電、県・立地自治体、原子力規制委員会、そして、司法(裁判所)の4機関である。東電の「2002年の事件」がどういうものだったかを振り返り、その時の姿勢がまったく変わっていないことを、具体的に示す。何度も失態・不正・不誠実・隠蔽・改ざん・手抜き事件を引き起こし、その度に、言い訳・謝罪・反省を繰り返したが、その約束事はことごとく裏切られ、反故にされてきた現実がある。東電に適格性はない、と言い切る。また、地震学者の島崎邦彦氏の言う、東電の科学を捻じ曲げる手法を引用する。①権威によって優位に立つ、②専門的な議論を一方的にまくし立てて自らの主張を押し付ける、③情報を非公開として不明なことを隠す、が常道であると断ずる。
 県・立地自治体について、県知事は安全協定を結ぶ当事者としての適格性が問われる。そこで、科学的知識を持たない知事は専門家による知見に頼らざるを得ない。せっかく立ち上げた検証総括委員会が県民の意思を聞くという作業が必須だったのに、それを実現させなかった花角知事は不適格だと結論する。
 柏崎市と刈羽村について、原発と持ちつ持たれつの関係にあり、それが、安全協定を単なる「申し合わせ」にすぎないものにしている。原発反対の首長が当選しても、法的には稼働を拒否する権限はない。地方自治体として原発を受けいれたとしても、不安がないはずはないのだから、東電の言うことに疑問があれば、問いただすことは必須の行為だし、県のを深める必要があると著者は言う。
 原子力規制委員会は「原発は経済活動に必要」の立場なので、「原発をスムーズに稼働させる」ことを当然の前提にしているとする。「中立性」や「市民性」を満たしているかには大いなる疑問がある。いざというときに、放射性物質が外部へ放出されるケース、つまり、IAEAの深層防護の第5層は技術的に阻止できないので、第5層は、規制委員会の責任範囲外にしたのである。住民の避難計画は原発の稼働条件に入れないということにしたと、説明する。自治体に丸投げした規制委員会は無責任極まると言いたい。これが著者の言い分である。
 司法について、1992年の伊方原発訴訟の最高裁判決が原因で、裁判官が国の言い分に従うようになったが、3・11以後は、運転差止の判決が増えたと具体的に例をならべている。そして、せめて裁判官は「予防措置原則」に立ってほしいと期待を寄せる。原発とテロ、戦争についても論じているが、紙幅がないので省略する。
 第9章「おわりに」のところで、原発問題の特異性として、「原発は本来的に非倫理的である」ので、この技術に手を出すべきではなかった、失敗の克服によって技術が進化を求めることはできない。失敗によって技術の放棄、諦めも必要だ、というのが著者の考えである。
 本書の第2~5章はさておいても、第6章以降は、誰にとっても、深く考えさせる内容になっている。 
去年発足した「市民検証委員会」は、相談会を5月7日に開いた後、6月3日のキックオフ集会に続いて、11月23日までに県内11箇所で開催した。今年1月21日新潟市でシンポジウム「柏崎刈羽原発の再検証~再稼働の議論を始める前に~」で議論を開始した(300名)。第2回が4月21日、新潟県立生涯学習推進センターで予定されている。今後、この運動がどのような展開をするか、大いに期待したい。

(山口 幸夫)

市民検証委員会 shiminkenshouiinkai.jimdosite.com/

原発市民検証委員会パンフレットPDF 
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