【4/18まで】総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会放射性廃棄物WG中間とりまとめ(案)に対する意見

2014年3月20日から4月18日にかけて、総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会放射性廃棄物WG中間とりまとめに対する意見が募集されています。

search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620214003&Mode=0

原子力資料情報室は以下の意見を提出しました。

また合わせて、当室スタッフの応募意見も掲載いたします。

4/15、当室共同代表の西尾漠の応募意見を追加掲載しました。

ぜひみなさまも、意見を提出してください。


 

1.    原子力政策の方向性を定めること無く放射性廃棄物の最終処分を定めることはできない(p.5ほか) 

 「最終処分の問題が原子力利用における避けて通れない課題の1つであることをしっかりと認識し、国民に対し原子力政策の全体像を示し、その中の重要な部分として最終処分の問題を丁寧に説明していくことである。また、使用済燃料の中間貯蔵の問題等も含めた廃棄物問題全般に対し、しっかりとした道筋を示し、責任ある対処を進めていくことである。最終処分という各論に閉じることなく、原子力政策、廃棄物政策全般について、丁寧な説明を行い、人びとの声に真摯に耳を傾け、必要に応じて方針を修正しながら、責任ある対処を進めていくことが、最終処分問題に対する社会的合意形成を図っていく上で重要」とp.22にある。それこそが、最終処分問題の解決方法であることを再確認するべきである。

 このように指摘する一方で、本中間とりまとめ案は、日本で最初の商業用原子炉である東海発電所が稼働して49年、放置し続けてきた放射性廃棄物の最終処分問題について、「道筋をたてなければ国民に不利益をもたらすことの、現に迫っている現実的な危機に応じるのが責務」(p.5)であるから、原子力政策の方向性の是非はこの際置いておくという。

 しかし、「現に迫っている現実的な危機」というのであれば、すでに顕在化した甚大な被害としての福島第一原発事故が存在する。核セキュリティの観点からも、運転中の原発こそが最大のリスクであることは言うまでもない。また、処理すべき放射性廃棄物の上限が設定されない以上、一旦、高レベル放射性廃棄物の処分場所が決定されたとしても、その後も新たに処分場所を設けなければならない。

 つまり、仮に現世代で放射性廃棄物の最終処分方法を決定し、実施したとしても、本中間とりまとめで繰り返し提示される「将来世代への負担の最大限の軽減」には繋がらない。

 したがって、本中間とりまとめでも指摘されている通り、日本における原子力の方向性について全国的な議論を行ない、その過程の中で、高レベル放射性廃棄物の処分に関する問題も議論されるべきである。またその中では、使用済核燃料の再処理を行うのか行わないのかについても議論されるべきである。

 実際、貴WGでは様々な委員から、原子力政策全体の議論を行わなければ、廃棄物問題は議論できないとの指摘が行われたが、増田座長は「大きな原子力政策との関係をどうしていくのか。さらに言えば、そこでの社会的合意というか、国民的な合意、政策として確立したものがなければ、こういった廃棄物の問題を議論できないのかどうかといったあたりは、大きな判断をしなければいけないと思うんですね。この小委員会は、やはり私はそういう大きな政策を議論する場ではちょっとないと。それは総合部会、今の組織でいえば、やっぱり総合部会の中できちんと議論しなければいけないというふうに思うんです。」(原子力部会放射性廃棄物小委員会第2回会合議事録)と述べた。その後、委員から節目節目で原子力政策全体にかかわる指摘が行われても、議論の俎上に上ることはなかった。

 今回、エネルギー基本計画で原子力について「重要なベースロード電源」であると記載されたため、貴WGとしては、原子力が推進されることを前提とすることが前提とされているのであろう。しかし、この間行われた各種世論調査では、原子力を廃止していく方向で一貫している。そういった前提を踏まえず作成されたエネルギー基本計画に、正当性は存在しない。

 よって、貴WGにおかれては、原子力政策全体の議論をしたうえで、廃棄物問題について検討されるべきである。


 

2.    現世代の定義について(p.5ほか) 

 本中間とりまとめにおいて、「現世代」という用語が多用されているが、現世代とはどの期間をもって現世代というのか。「便益を受けてきた現世代」(p.5)との記述があることから、東海発電所が稼働して以降の世代のことを指しているのであれば、ここ49年間ことを指すのか。

 しかし、東海発電所が稼働を開始するより前の1966年においても、高レベル放射性廃棄物の処分問題が議論されていることは、本中間とりまとめp.15にも記載されている通りである。つまり、導入期からすでに、高レベル放射性廃棄物が発生することは認識されていた。

 将来世代に巨大な負債を残すことになるにもかかわらず、原子力発電を導入した世代と、それ以降の原子力発電が所与の条件として生まれてきた世代を、まとめて現世代と称することには、極めて大きな違和感を持つ。


 

3.    高レベル放射性廃棄物は日本国内で処分することを明記するべきである(p.7) 

 本中間とりまとめにおいて、高レベル放射性廃棄物の処分は、「原子力の便益を享受する国にとっての責務であり、『発生した国において処分されるべき』であることは、『使用済燃料管理及び放射性廃棄物管理の安全に関する条約』において約束されている原則」(p.7)とされており、条約上規制されているため、海外で処分できないという記述になっている。

 しかし、本中間とりまとめは「その便益を受けてきた現世代が必ず解決しなければならない課題」(pp.9-10)と受益者負担の原則をより積極的に打ち出している。その趣旨からも、条約に縛られているから海外で高レベル放射性廃棄物の最終処分ができないとするよりも、受益者負担の原則により、高レベル放射性廃棄物の最終処分を日本国内で行うことを、より的確に明記するべきである。


 

4.    可逆性と回収可能性について、現実に保証する仕組みが必要である(p.9)

 本中間とりまとめにおいて可逆性と回収可能性という概念が提示されているのは、一歩前進であり、評価する。

 しかし、可逆性については、それを担保するための社会的システムが不明確である。従来、日本の政策は、核燃料サイクルにおける使用済み燃料の再処理計画に代表されるように、上手く行かなくなっても後戻りできないことが通例であった。そのような状況において、よほど制度的な担保がなければ、可逆性に対する信頼性を確保することはできない。

 よって、逆向きのプロセスを誰が発議し、どのようなプロセスで決定するのかを明記すべきである。

 また、回収可能性についても、技術的に可能であることと経済的に可能であることはまったく別の事象である。たとえば、本中間とりまとめに引用されるNEA R&R Projectは回収可能性の定義として、

 「国の処分プログラムの中で処分を実施する際の回収可能性について明言している場合に、回収可能性の目標は、将来の回収を容易にすることやコストがかからないようにすることではなく将来社会が、廃棄物の回収を実施する、あるいは回収したい意思を持つ(例えば、回収が経済的に実現可能であると判断している)ことを想定して、回収の実現可能性を保証することである。回収可能性を取り入れたプログラムでは、以下の三つを、その主な理由としてあげている:(a)将来に対する謙虚な態度あるいは新しい考えや提言を受けいれる姿勢を持つこと、(b)安全性にさらなる保証を与えること、(c)「不可逆的な」状況に縛られたくないという公衆の希望に留意すること、である。

一部の国の処分プログラムでは、操業安全のために閉鎖前の回収可能性が求められているが、廃棄物処分の基本的安全特性として閉鎖後の回収可能性を求めている処分プログラムはない。従って、これらの処分プログラムにおける規制は、回収可能性を実証することまでは求めていない。規制が求めているのは、原理的に回収を実施できるようにしておく、ということだけである。」(p.9)

と記載し、回収可能性とは、経済的に可能にすることではなく、単に技術的に可能にするのみであることを明記している。

 一方、本中間とりまとめにおいては、そういった違いは明記されておらず、現在、最終処分を決定したとしても、「最終処分場に定置した廃棄物を一定期間、回収可能な状態に維持し」(p.10)と記載されている。

 この記載では、将来世代は、経済的・技術的な困難もなく放射性廃棄物を回収して、容易に新しい選択肢を取りうるかのようにも読まれてしまうだろう。

 本中間とりまとめにおける回収可能性の定義は、単に技術的に回収可能であることを担保するにすぎないのか、それとも経済的にも回収可能であることを保証するのか。そういった定義が記載されていない状況で、「回収可能性を適切に担保する」と記載することは、解釈の幅が広く、誤解を招くことに繋がると考える。


 

5.    原子力小委員会地層処分技術WGにかかわる記述について削除すべきである(p.16

 本中間とりまとめにおいて、以下の記載がある。

 総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会地層処分技術WGが昨年10月に設置された。同WGにおいては、関連学会から推薦された専門家等により、最新の科学的知見を踏まえた検討がなされ、①地層処分に好ましい地質環境が我が国に存在すると考えられること、②将来にわたり火山活動等の天然事象の影響を受けにくい場所を選定するための現時点の考え方・方法論が確認されつつあり、現世代として地層処分場の立地選定を進めることは技術的に可能であると考えられる。(p.16)

  しかし、貴WGにおいてはこのような議論はなされていなかったと認識している。このように記載することによって、地層処分にかんする有望地が存在することを、議論なしに貴WGで追認することはできないはずである。

 よって、上記文言は削除すべきである。


 

6.    学術会議が提案する原子力政策に対する社会的合意や総量管理に関する記述について(p.21

 本中間とりまとめは、学術会議が提案する総量管理について、「しかし、原子力政策に対する社会的合意や廃棄物の発生量の上限が決まっているからといって立地選定が必ずしも進展するわけではない」(p.21)として、スウェーデンの例を挙げる。また貴WG第6回会合に招聘したスウェーデン処分実施主体関係者が、「脱原発政策が処分事業の進展に与えた影響について、ある程度ポジティブな効果があったことは否定していないが(to some extent, media has positive effects or indicates)、主要な要因との認識は示されなかった」(p.21)と述べたとしている。

 しかし、スウェーデン処分実施主体関係者であるSKB(Swedish Nuclear Fuel and Wastes Management Co.:スウェーデン核燃料・廃棄物管理会社))は「SKBにとっては、この国民投票があったおかげで、そして長きにわたって新しい原発も建たなければリプレースメントもなかったということで、その分、はっきりとプログラムを書くことができたと思います。既存の原発を対象にして。それは確かだと思います。今日のSKBのプログラムが対象としているのは既存の原発ですから、これがリプレースされたりということになると、これはまた別の決定が必要となります。今はそれは我々の範疇に入っていないわけですから、それは考えていないわけです。処分場をつくるといっても、これは既存の原発だけが対象とはっきり決まっています。」(総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員会放射性廃棄物ワーキンググループ(旧放射性廃棄物小委員会)第6回会合議事録 pp.16-17)と述べている。

 これは、脱原発政策が放射性廃棄物処分場の設置に「確かに」役に立ったこと、また、既設の原発がリプレースされることも他の原発が建設されることも想定していないことから、現状の処分場へ処分する量については、仮に、既存の原発の運転期間が延長されたとしても、その運転期間以上の量は発生しないこと、を明確に述べている。

 よって、スウェーデンの例から、学術会議の提言を否定することは失当であるから、この段落は削除すべきである。


 

7.    責任について(p.29ほか)

 本中間とりまとめにおいて、発生主体である電気事業者は「最終処分事業については、発生者責任の原則に基づき、電気事業者が主体的な役割を果たすことが不可欠」(p.29)と記載されている。しかし、その取組としては「電気事業者においては、NUMOに対する人的・技術的サポートに加え、国民・地域との共通認識の醸成に向け“自ら汗をかく”取組を進めていくことが一層求められる」(p.30)など、極めて曖昧な記載である。また、貴WGの各会合においても電気事業者は曖昧な立場に終始した。このような曖昧な記載では、電気事業者の“汗をかく”とは、ただNUMOに職員を派遣し、資金を提供している現状の役割を追認することにしかならない。

 電気事業者はその発生者責任として、自分たちが生み出した放射性廃棄物の処理の困難性を率直に認め、たとえば、NUMOが実施している説明会などにおいて電力会社の立場として説明と謝罪を行うべきである。

 電気事業者がその責任をまっとうすること無く、「現世代」「将来世代」に対して、責任を転嫁することを追認することは、本中間とりまとめの高い倫理意識に、相反するものだ。

 よって、本中間とりまとめに、電気事業者の責任をより明確に記載するべきである。


 

8.    信頼性確保に向けた第三者評価機関について (p.31)

 「原子力発電を巡って国や電力事業者等に対する信頼も大きく失墜している」(p.2)、「原子力利用全般に対する信頼、あるいは国や関係機関、関係事業者に対する信頼が失われている」(p.8)などと指摘されている通り、福島第一原発事故などを受け、国、政府、専門家、業界、そして制度そのものも、全て、信頼が失われた。

 そのことを前提とした、「第三者評価機関」とは一体どのように組織するべきなのか、貴WGの見解を伺いたい。

 なお、原子力委員会から原子力利用の推進機能が外されることが前提とされてはいるが、「(原子力委員会に)第三者評価の役割を担ってもらうことも1つの有力な選択肢である」(p.31)と記載されている。 

 しかし、原子力委員会は原子力基本法にもとづき設置された機関であり、原子力基本法はその目的として「この法律は、原子力の研究、開発及び利用(以下「原子力利用」という。)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」と、原子力利用の推進が明記されている。そのため、そもそも、国の推進機関であることを免れることはできない。

 また、仮に原子力委員会が改組されたとしても、その原子力を推進してきた過去を否定することもできず、住民から信頼される第三者となり得ない。

 原子力政策は根本的に信頼を失った状況であることを前提に物事を考えるべきであって、このような安易な落とし所を探るべきではない。

 よって、p.31にある原子力委員会関連の記載は削除するべきである。


 

9.    住民投票について盛り込むべきである(p.26ほか)

 本中間とりまとめにおいて、「多様な立場の住民が参画する地域の合意形成の仕組みが必要」(p.26)との記載があるが、加えて、最終的には住民投票で決定すると記載するべきである。

 本中間とりまとめの中に何度も記述されるように、国、NUMO、電気事業者等の主体は信頼されていない。よって、本中間とりまとめは、信頼の不在からはじめなければならない。その前提に立って考えれば、国やNUMOが前面に出た地域への理解活動は、国やNUMOが申入れ、それを受け入れると主張した住民と、それに対して国やNUMOの情報に対して不信感を持つ住民の間に大きな不和を招くことになる。よって、国やNUMOの前面にでた行動は、地域の分断と不信を増すのみである。

 よって、放射性廃棄物の最終処分を考えるにあたって、国がまず行わなければならないことは、地域住民が主体的に、“受け入れる・受け入れない”を決定可能となるような仕組みづくりを支援することである。また、地域がフェアな意思決定方法として同意できる住民投票の制度化を、推奨・支援するべきである。

 また、NUMOは理解活動と称して、地域の有力者に対して申し入れ活動を行うのではなく、地域の住民に対して、自分たちに都合が良い情報発信のみではなく、要望された情報を正確に伝えるべきである。


 

 10.  最終処分関係閣僚会議の決定について

  貴WG開催中の2013年12月13日、閣議にて、最終処分関係閣僚会議の開催が了承され、同17日、最終処分関係閣僚会議(第一回)が開催された。その場で、経済産業省は「高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた新たなプロセス」と題する資料を提出し、了承された。

 そこには、国が科学的有望地を提示し、国が前面に立って重点的な理解活動を行ったうえで、複数地域に対して申入れを実施すると明記されている。この内容は、まさに、貴WGで検討中の問題である。

 貴WGに諮問をおこなった経済産業省が、特に貴WGに諮ることもなく関係閣僚会議にこのような資料を提出し、了承を受けたことは極めて、問題である。

 貴WGにはこの問題について、見解を表明し、説明する責任がある。貴WGの見解を伺いたい。

 


 

スタッフ応募意見

責任を取るというのはどういうことか

 放射性廃棄物WG中間とりまとめ(案)において、議論が一貫しておらず、何をすることが責任を全うすることなのか理解できなかった。それにも関わらず、強引に結論をまとめている点で納得できない。

 文書中には「責任」という言葉が多数使われている。はじめに、では「原子力発電に伴い発生した高レベル放射性廃棄物についても、その原則は同様であろう。我が国でも、この極めて困難な課題に対して、持ちうる限りの叡智を絞って解決に向けて道筋をつけていくことが現世代の責務である」(p.2)とある。

 解決に向けた道筋の手段として、この文書で前提とされている地層処分については、日本学術会議の回答では「地層処分の安全性についての専門家間の十分な合意がない」(p.3)としている。一方、原子力委員会の見解では「地層処分は妥当な選択」(p.3)とあり、また、「地層処分が現段階で最も有望であるというのが国際的共通認識」(p.12)とも記述されている。

 両方の見解が述べられているので、地層処分に対する評価がどうなっているのか、安全なのか、危険なのか、よくわかっていないのか、読み手は判断できない。読み進めると「最終処分方法について十分な社会的信頼を得られていない」(p.3)、また「将来にわたっても絶対の処分方法であるとまでの共通認識は得られていない」(p.12)と認めており、そのため可逆性と回収可能性を確保するという。

 しかし、可逆性と回収可能性に関しては、継続的に評価・反映研究開発の推進(p.18)、などと記述されているだけで、現実的に実現可能であることを保証するには弱すぎるように思う。また、将来世代が、選定の逆向きプロセス(可逆性)や高レベル放射性廃棄物の回収(回収可能性)を実行するには、相当の負担と苦しみをもたらすことは想像に難くない。

 文書全体として、現世代が高レベル放射性廃棄物の処分問題に責任をもつということは、地層処分候補地の選定プロセスを前進させること、そのため国が科学的有望地を選定する、ただし、可逆性・回収可能性を担保すること、と主張されている。現段階で地層処分にむけたプロセスを進めることが、果たして現世代の責任を取ることになるのだろうか?  

 「人的管理か最終処分かの選択は、現時点においては、将来世代に対し、管理負担というリスクを残すのか、不確実性というリスクを残すのかというトレードオフの問題を内包しており、将来世代が管理を継続できなくなったとしても大丈夫なように最終処分を実施可能にしておくべきではあるものの、想定している最終処分方法について十分な社会的信頼を得られていない段階においては、社会が実行可能な範囲で人的管理を継続し続けることを積極的に否定すべきではないとの考え方もあることから、将来世代に社会的価値の選択肢が十分委ねられる仕組みを確実に担保していくことも重要であろう」(p.8)と指摘されているように、どちらを選択したとしても将来世代に一定の不利益をもたらさざるを得ない。地層処分を進めることが現世代の責任の取り方と決めてしまうことが、イコール責任を取ったとは言えない。 

 再三指摘されているように、高レベル放射性廃棄物の処分問題は解決困難な問題であるから、その量を増やさない、すなわち原子力発電所をもう動かさないと決定することが、現世代の責任の取り方だと思う。


 

 

放射性廃棄物ワーキンググループ「中間とりまとめ(案)」に対するコメント

西尾漠(原子力資料情報室共同代表)

 

原子力資料情報室としてのコメントに加えて、以下の個人コメントを送付しました。

 

「地層処分」ありきの説明は信頼を損ねる

 

 15ページに記されているように、地層処分は「他の処分方法との比較で消極的に選択されたものであり、将来にわたっても絶対の処分方法であるとまでの共通認識は得られていない」。にもかかわらず、他の処分方法との比較を繰り返して「現時点では、科学的及び技術的に最も有望な唯一の長期的な解決策であることに変わりはない」としている。

 同義反復で消極的に導かれた結論を、言葉のみ強めて押しつけることは不正直である。

 「我が国における検討の経緯」では、1962年の原子力委員会専門部会中間報告で「国土が狭あいで、地震のあるわが国では最も可能性のある最終処分方式としては深海投棄」とされたことが引用されている(16ページ)。引用では省かれているが、同中間報告は地層処分について「ちょう密な人口、狭あいな国土、複雑な地質構造、地震などの多い環境条件などからわが国においてはその実施が困難と考えられる」とも述べていた。

 消極的選択とはいえ、それらの課題についてどう克服の道をつけて地層処分が選択されたのか、あるいは他の方法が国際条約で禁止されるなどで困難とされただけで選択したのかが説明されるべきではないか。海外のレポートから都合のよい部分を我が田の水に引いてくることも、いかにも自信がなさそうで、かえって信頼性を損ねている。

 正直に実情を明らかにすべきである。

 


 

 

「最終処分」ありきでよいのか

 

 そもそも高レベル放射性廃棄物の後始末は、「最終処分ありきで進めることに対する社会的支持は十分でない」(8ページ)。7ページで「『制度的管理/人的管理』については、数十年程度の期間については安全に実施してきた実績がある一方、管理期間が長期化するほど、将来世代の負担が増大するとともに(中略)リスク・不確実性も増大すると考えられる」と言うが、当然ながら最終処分には数十年程度の実績もなく、始めから大きなリスク・不確実性を抱えているのである。

 「人工バリア」についても「天然バリア」についても、放射性廃棄物ワーキンググループ、地層処分技術ワーキンググループの委員らをふくむ多くの専門家・技術者からさまざまな疑問が投げかけられてきたし、今も投げかけられている。最終処分ありきで進めた結果、将来世代に甚大な負担をもたらす蓋然性こそ大きいのではないか。

 将来世代の負担を考えていると言えば、聞こえはよい。しかし以前には、将来世代は頼むに足りない・信頼できないから最終処分だと主張されていたことも忘れられない。聞こえのよい言葉だけで、単に自分の手から放したいだけのわがままを取り繕っているのではないか、と社会は見ている。

 高レベル放射性廃棄物を生み出してしまった以上、将来世代に負担をかけないことはありえない。少しでも負担を小さくするには、少しでも発生量を小さくし(もう原発は動かさない)、既に発生したものについては当面、「制度的管理/人的管理」を継続しつつ、少しでもリスク・不確実性の小さい処分方法(地層処分のリスク・不確実性を小さくすることも含む)を見出していくしかないと思う。

 


 

「処分」ありきの可逆性・回収可能性はごまかしである

 

 「最終処分」ありき、「地層処分」ありきを糊塗するために、可逆性や回収可能性を喋々することは許されない。

 10ページには、「将来世代が最良の処分方法を再選択することが可能となるよう適応的なアプローチが不可欠である」と書かれている。しかし具体的なアプローチのあり方は何ら示されておらず、どのように可能となるのかはまったく不明瞭である。段階的に処分を進めていくことが保証というのでは、可逆性の「か」の字もない。

 5ページに「高レベル放射性廃棄物であれ、使用済燃料の直接処分であれ」とあるように、処分の対象物も確定されないまま「処分地選定等の取組は、いずれにせよ必要」とごり押しをすることは、乱暴きわまりない。段階的に進める条件すら整っていないと言うべきだろう。

 回収可能性にしても、処分坑道はもとよりアクセス坑道等も埋め戻された後でも回収は可能などと、軽々に言うべきではない。回収が求められるのは「人工バリア」の健全性が損なわれている場合が多いと考えれば、さらに困難が予想される。

 イギリスのドーンレイやドイツのアッセのように、埋戻しもされていない中低レベル放射性廃棄物の回収ですら、長い年月と莫大なコストを要している(どちらも、最終的にどれだけの負担となるかはわからない)のだ。

 


 

 

「国の責任」ありきこそ無責任である

 

 25ページで、「国は、より適性が高いと考えられる地域(probably suitable)を科学的に示した上で、立地への理解を求めるべきである」とし、そのようにして政府が「合意形成に最後まで責任を果たしていくこと」を32ページで求めている。しかし、それは国なり政府なりがすべきことだろうか。

29ページで「発生者責任の原則に基づき、電気事業者が主体的な役割を果たすことが不可欠」と書きながら、その責任の果たし方には一顧だにすることなく、国なり政府なりの役割ばかりを強調している。ワーキンググループの増田寛也委員長が東京電力の社外取締役に就任するとされたことは、電力会社の責任逃れを許している「中間とりまとめ(案)」に利益相反の疑いを抱かせずにおかない。

もともと電気事業者は、1998年1月23日の記者会見で当時の電気事業連合会会長が「国のエネルギー政策でやっているのだから、廃棄物も国が責任を持ってほしい」と発言したのに顕著なごとく、発生者責任の自覚に欠けている。電気事業者の責任を問うことこそ、いまなすべきことではないのか。

国の責任は、電気事業者が発生者責任を持てないというのなら原発を許可しないことだったのだと思う。今となっては、これまで問題をなおざりにしてきたことを自らの責任として、電気事業者が嫌がっても責任を全うさせることと、それに伴う安全規制を厳格に行なうこと以外にない。

 


 

 

「国からの申し入れ」ありきが選定プロセスの欺瞞性を明らかにした

 

 「中間とりまとめ(案)」には明記されていないものの、国からの処分場候補地申し入れが既定のごとく取り沙汰されている。ワーキンググループの委員長に「処分は国が責任者」と主張し、公募でなく「国が10から20か所の地点を示し、その中から進めて行くべき」と日本原子力産業協会主催のシンポジウムで提案していた(2011年1月5日付原子力産業新聞)増田寛也氏を据えたこと自体、「国からの申し入れ」ありきを疑わせるに十分である。

 24ページでは「安全な処分の実現に向けた処分地選定プロセスの改善」のタイトルの下、文献調査地域公募制の問題点を縷々述べている。それらは当初からわかっていながら、なお公募が望ましいとされたはずである。マイナス面をカバーする努力を怠った反省は見られない。

 むしろ問題は、「文献調査地域」に始まる選定プロセスのほうにあるのではないか。プロセスは変えずに申し入れ方式への変更が安易に語られている。結果として、「地層が安定しており処分に最適である」ことを理由に申し入れた地域について、「文献調査から分かる範囲で、最終処分施設建設地として明らかに不適切な地域を含まないように」調査するという逆立ちしたプロセスになった。

 文献調査についての説明は原子力発電環境整備機構のパンフレット「高レベル放射性廃棄物処分施設建設地の選定に向けた公募について」から引用したが、同パンフレットではさらに「文献によって得られる情報には限界がありますので、概要調査以降の調査で引き続き検討する場合もあります」としている。

 ここで明らかになったのは、現行の、そして変更されない選定プロセスが「安全な処分の実現」ではなく、国の圧力と交付金によって地元合意を取り付けるためのプロセスだということだろう。全面的な見直しが必要である。