行方不明になったイリジウム-192線源

行方不明になったイリジウム-192線源

古川路明

1.はじめに

2008年4月に起こったイリジウム-192線源の盗難事件について1971年にあった紛失事故と比較して述べてみます。

2.イリジウム-192とは

1)イリジウム-192の製造
 イリジウム-192は半減期が74.3日で、中程度のエネルギーのガンマ線を放出します。中性子の反応で精製しやすい人工放射能で、イリジウム金属1gの1日間原子炉照射で3千億ベクレルが生じます。

2)非破壊検査とイリジウム-192
 鋼材の溶接部の不具合などを調べる非破壊検査に、1,000億ベクレル以上のイリジウム-192線源を用いています。1,000億ベクレルの線源が10?の距離にあると1日で30シーベルト、体に密着していれば1時間で30シーベルト以上の被曝を受けます。30シーベルトは大きな線量で、一般人の年間被曝線量の約1万倍です。被曝した人には必ず急性放射線障害の症状が出ます。

3.イリジウム線源の紛失事故

1)事故の発端
 1971年9月18日、千葉県市原市の造船所で働いていた下請企業の若い労働者(A君)が、鉛筆状の金属製の物体を拾いました。彼は、面白いものだと思ったのか、車に乗って宿舎に持ち帰りました。部屋に居た5人の若者もそれを手で持ったりしました。これは危険なイリジウム-192線源で、取扱い中に不注意から落としたものでした。

2)事故の経過
 9月20日に、線源を所有していた会社が線源の紛失に気付きました。同社は、その3日後に最寄りの警察署と科学技術庁に届け出ました。一般の人が紛失事故の発生を知ったのは、これ以後です。約一週間、線源はA君が居る部屋に置かれていました。

3)被曝の状況
 A君の左右の尻の部分と手の指に重度の放射性皮膚炎の症状が現われてきて、造血器官の機能障害、精子数の減少なども認められました。また、A君以外の5人にも放射線障害の症状が出てきました。

4)被曝者に対する対応
 このような急性放射線障害の症状が一般の人にみられるのは、きわめて異例の事態です。科学技術庁も事の重大さを認めざるを得ませんでした。「放射線医学総合研究所」の付属病院にA君を入院させ、手厚い治療を受けさせたと伝えられています。

4.イリジウム線源の盗難

事件は、非破壊検査(株)京葉営業所(千葉県市原市五井)で起こった。

1)事件の発端
 2008年4月4日(金)22:50、同営業所ではすべての非破壊検査装置が保管庫内にあったことを確認していました。ところが、4月7日(月)7:00には、保管庫内の検査装置1台が所在不明になっていました。盗難の恐れがあると考えて、その日の内に市原警察署と文部科学省に紛失を届け出ました。

2)検査装置の形状など
 装置は円筒形(直径27cmx長さ40cm、重量22kg)で、3,700億ベクレルのイリジウム-192が入っています。
文部科学省のホームページには、「線源から1m離れた場所で50mSv/hの被ばくを受ける可能性がありますが、装置に収納された状態では容器表面から1m離れた場所で最大7mSv/hです。」と書いていあります。このような書き方がよく使われていますが、ふつうの人に親切な書き方ではないように思います。
私は次のように書いてみました。「線源から10m離れた場所で1日に100シーベルトの被曝を受ける。線源は取り出してはならない。線源が装置の中に入っていれば、被曝線量は低くなるが、容器表面から1m離れた場所で1時間に最大0.00017シーベルトの被曝を受ける。これはふつうの場所における線量の約100倍である。」

3)事件は解決へ
 内部事情にくわしい者でなければ、装置は持ち出せません。事件は早く解決すると予測されましたが、捜査の結果は1月後にようやく明らかになりました。5月7日、非破壊検査(株)の下請会社の役員(40)が窃盗容疑で逮捕されました。

4)事件の経過
 4月5日(土)1:50、容疑者は保管庫から装置を持ち出した。後に、装置を分解して外側の容器は海に、中心にある線源を含む鉛筆状の部分(直径0.7cmx長さ17cm)は横浜市神奈川区の川に捨てた。彼は、放射能の安全管理の知識が乏しかったように思います。

5)事件は終結へ
 5月8日、川の中で線源を探していた文部科学省の係官らが線源を回収し、事件は解決をみました。線源が人の近づきにくい場所にあって、水の中に放射能が漏れることもなかったと推定されます。彼の他に被曝した者は居ないと思われるのは、不幸中の幸いでした。

5.おわりに

二つの事件ともあってはなりません。放射能の取扱いが許されている「放射線管理区域」の外に放射能を落とすことは論外ですし、放射能に関連する業務に従事する「放射線業務従事者」は安全について十分な知識をもっていなければなりません。
放射能の管理を厳重にし、放射線業務従事者の教育訓練を充実させて欲しいのです。