司法の独立はどこへ? 東電を告発する長尾裁判で不当な国策判決

『原子力資料情報室通信』409号(2008/7/1)より

司法の独立はどこへ?
東電を告発する長尾裁判で不当な国策判決

金沢裕幸
(長尾裁判弁護団・弁護士)

2008年5月23日午後1時10分、東京地裁527号法廷。民事第43部の松井英隆裁判長の声が法廷内に響き渡った。「原告の請求を棄却する」
 裁判長は判決理由の要旨を淡々と述べていく。その内容は、原告の主張をことごとく退け、被告東京電力の主張を認めるものであった。判決理由の朗読が進む中で我々原告弁護団は、ある種の驚きと空しさ、そして言いようのない憤りの高まりを押さえることができなかった。判決内容は、現在の裁判所がいかに国策としての原子力事業を重視し、支持しているか、いかに国民の生命・身体を軽視しているかを明白に示すものであった。果たしてこの国には司法の独立は存在しているのか――疑問を感じざるを得ない程に「ひどい」判決がそこにはあったのである。

本件提訴に至る経緯

 本件は、原子力発電所の労働者であった長尾光明さんが放射線被曝により多発性骨髄腫に罹患したことを理由として、東京電力に対し損害賠償を求めた裁判である(なお、訴訟途中から国が被告補助参加人として加わった)。
 長尾さんは、東京電力の福島第一原発等において配管工や現場監督として4年3ヵ月にわたり、放射線作業に従事した。蓄積総被曝線量は70ミリシーベルト(mSv)に及んでいる。退職後の1992年頃から体調に変化が現れ始め、次第にさまざまな症状に苦しめられるようになっていった。1998年に多発性骨髄腫の診断を受けた長尾さんは、その後、原子力発電所での放射線被曝が病気になった原因ではないかと考え、支援者の援助を受け、労災認定を求めた。
 これを受けて、厚生労働省は専門家による検討委員会を設け、多発性骨髄腫と放射線被曝との因果関係等について検討を重ねる。そして、2004年1月、福島の富岡労働基準監督署は、長尾さんの病気が原子力発電所での放射線被曝に起因するものとして労災認定を行なった。
 しかしながら、労災認定では慰謝料等の法定外補償を受けられない。また、何よりも長尾さんの心の中には、原子力発電所を設置、管理する東京電力の責任を明らかにし、今も危険に曝されながら働いている後輩たちに、これ以上の被害を受けさせたくないとの思いがあった。そのような強い思いに突き動かされて、長尾さんは2004年9月7日、東京電力を被告として、東京地方裁判所に対し損害賠償請求の裁判を提訴したのである。

訴訟の経緯と主な争点

 本件は、原子力損害の賠償に関する法律(いわゆる「原賠法」)に基づく請求であり、同法においては原子力事業者の無過失責任が定められている。従って、過失の有無は争点となりえず、すでに厚労省も因果関係を認めて労災認定がなされている以上、損害額が中心的争点となるように思われた。
 しかしながら、被告東京電力は全面的に争う姿勢を見せる。当初、被告は多発性骨髄腫と放射線被曝との間には因果関係がないという因果関係論、損害賠償請求権は時効により消滅しているという時効論を中心に争ってきた。原告はこれに対し、多くの疫学論文や判例を示して反論を加えた。
 ところが、被告は途中から、そもそも長尾さんの罹患した疾病は多発性骨髄腫ではないとの主張を加えてくる。診断論が争点となり、被告は、名古屋大学大学院医学研究科教授である清水一之医師の意見書を4度も提出し、徹底的に争ってきたのである。
 しかし、学会の重鎮とされる清水医師の意見書は、矛盾と歪曲に満ちた甚だ不当な内容に終始するものであった。清水医師は、複数の診断基準を恣意的に使い分け、原告の診療記録の記載を歪曲して都合よく引用し、意見書ごとに矛盾した見解や自らの過去の論文にすら矛盾する見解を述べるなど不当な議論を展開した。
 そこから透けて見えてきたのは、何としてでも本件訴訟の敗訴を回避し、原子力事業の推進を図りたいという国策企業、被告東京電力の強い意志であった。目的実現のためには真実を曲げることすら厭わない被告東京電力の隠蔽体質であった。
 もっとも、清水医師の意見は明らかに不当であり、長尾さんが多発性骨髄腫であるとの診断の正確性は疑いようのないことであった。原告は、清水医師の矛盾や歪曲を突いて反論を展開し、2007年12月7日、3年余りに及ぶ第一審は結審を迎えたのである。

多発性骨髄腫の罹患を否定する
不当な判決内容

 2008年3月28日に予定されていた判決言渡しは、裁判所の都合により延期され、同年5月23日に言い渡された。その内容は、原告の主張を全面的に退け、被告東京電力の主張を認めるものであった。
 まず判決は、長尾さんの病気が多発性骨髄腫であることを否定した。多発性骨髄腫か否かについては、国際骨髄腫作業グループ(IMWG)が2003年に発表した国際診断基準を基本として判断するのが相当であるとし、①血清又は尿にM蛋白を検出、②骨髄におけるクローナルな(クローン性の)形質細胞の増加又は形質細胞腫、③関連臓器障害の存在のすべてを満たす必要があるとした。その上で、①及び②の要件は充足しているものの、③の要件について、同要件にいう骨病変はクローナルなもので複数ある必要があるとし、右鎖骨の骨破壊はクローナルと認められるが、他の骨病変はクローナルなものとは認められず、複数性を欠いているため要件を満たさないとした。
 しかし、③の要件について右鎖骨以外の部位にクローナルな骨病変の存在を認めない判決の認定は明らかに不当である上、そもそも複数のクローナルな骨病変が必要という解釈自体に大きな疑問を抱かざるを得ない。
 本件においてクローナルな骨病変の存在を判決の要求するレベルで証明するためには、苦痛を伴う骨髄検査を重ねなければならず、実際上極めて困難である。病苦と闘う日々を送っていた長尾さんに更なる苦痛を要求するかのごとき判決の論理は、正に「血の通っていない判決」の論理に他ならない。

驚くべき国策判決

 そして、今回の判決で我々が驚き、憤りを感じたのは、多発性骨髄腫と放射線被曝との因果関係の有無についてまで判断し、これを否定したことである。判決は、各疫学調査について内容がさまざまであるにとどまらず一部相反する内容を含んでおり、一致した一定の傾向を読み取るには至らないとし、厚労省の検討会結果をも否定した。
 その判決内容自体、各疫学調査についての厳密な検討も行なっておらず、疫学の基本的理解を欠いた不当なものである。しかし、ここで我々が驚き、憤りを感じたのは、多発性骨髄腫への罹患を否定した上でなお因果関係の有無を判断した裁判所の姿勢である。裁判所は、長尾さんが多発性骨髄腫でないとした。従って、因果関係の有無について判断するまでもなく、原告の請求を棄却できたはずである。むしろ判決を下す上で必要のない因果関係の有無について判断することは完全な蛇足であり、判断をしないことが裁判の常識と言えるものである。
 それをあえて裁判所は判断し、因果関係を否定した。何故であろうか。それは、裁判所が国策である原子力事業に安全性のお墨付きを与えたかったからであると我々の目には映る。果たしてこの国には、司法の独立は存在しているのか――暗澹たる思いを禁じ得ない。

控訴審に向けて

 原告である長尾さんは、昨年12月13日に鬼籍に入られた。もし生きてこの判決を聞いておられたらと思うと複雑な心境になる。生前の長尾さんは、とても明るく、大病を抱えているとは思えないほどに元気な方であった。それでも裁判の話になると被告や被告側の医師に対する怒りを露わにされた。法廷では原発労働の過酷な実態を詳細に証言され、訴えられた。今もなお、かつての自分と同じく不安や恐怖を抱えながら原発労働に従事している後輩たちへの熱い思いがあった。
 我々は、長尾さんのご遺族の控訴意思を受け、6月5日、東京高等裁判所に控訴を行なった。長尾さんの遺志を継ぎ、原発労働の現場を変えるために、我々はしっかりと前を向き、歩んで行かなければならない。

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