【原子力資料情報室声明】3・11から7年、国は原子力政策を改めよ

NPO法人原子力資料情報室は2018年3月11日、以下の声明を発表いたしました。


声明 「3・11から7年、国は原子力政策を改めよ」

2018年3月11日
NPO法人 原子力資料情報室

7年前の未曾有の東日本大震災は、過ぎ去った日の出来事ではない
悲しみはひとびとの心に深く刻まれ、語り継がれる。記憶が消えることはない。あの3月11日19時03分に発令された「原子力緊急事態宣言」はいまだ解除されてはいない。
あらゆる生きものの、自然そのものの放射線被ばくの真実が少しずつ明らかになってきた。子どもたちの甲状腺がんは、もはや、隠しおおせるものではなくなった。だが、緊急に動員された多数の労働者たちの被ばくの実相は追跡調査されたか。帰還や復興という言葉が空疎にひびく。とりわけ、未来を生きる子どもたちが故郷へ帰ることは困難である。ただ一度きりの人生が否応なしに奪われてしまった現実として、事態はますます深刻になっているのだ。
原発は絶対に事故を起こさない、安全だ、と言いつづけてきた国と電力会社、学者、政治家、マスコミはどのように責任をとったか。事故を起こしたプラントの後始末の見通しは、今もって立てることができない。核燃料と炉内構造物とが融け落ちて生じたと考えられる溶融物は、その様子も所在状況もよく分からない。取り出す方法も、取り出した後の始末の方法も分からない。巨費を投じて〈凍土壁〉なるものが作られたが、汚染水は増えつづける。広範に放射性物質がばらまかれて生じた汚染度の高い廃棄物の中間貯蔵は進まず、半永久的に保管されねばならない最終貯蔵にいたっては、全く見通しが無い。
原発はコントロールできない技術であったことが疑いえないものになった。

国は、福島原発事故の反省をしたか
エネルギー基本計画の見直し作業や再開した原子力小委員会では、まるで、あの原発事故はなかったかのように、原子力を推進するための議論が盛んである。原子力エネルギーなしには国が立ちゆかないとの発言が相次ぐ。驚きを禁じえない。あきれ果てるばかりである。経済産業省、資源エネルギー庁、文部科学省の官僚たちは、原発学者と電力業界の言い分には丁寧に耳を傾ける。若い〈人材〉を育てる方法探しに困り、高速炉研究で夢をあたえることができよう、とまで座長が言う。
3・11以前の制度を改め、国は独立性の高い原子力規制委員会を発足させたはずだった。だが、新規制基準には5層からなる深層防護の第5層が取り入れられなかった。過酷事故が起きた際の住民避難は自治体に任せるとした。しかも、規制委員長自身が、「審査に合格したからといって、安全だというのではない」とくりかえして言う。
原則40年、例外的に60年という原発の寿命を次々に60年までの延長をみとめ、疑問の多い審査で再稼働のお墨付きを出しつづける。新潟県が検証委員会を発足させて、未だ事故原因が明らかになっていない福島原発事故の検証作業をしている最中に、規制委員会は東京電力所有の新潟県柏崎刈羽原発の6,7号機の再稼働にも許可を下ろした。あたかも、原子力推進委員会のごとくである。独立性も中立性も幻想であったというべきである。

原子力時代は終わった。世界は変わりつつある
近現代の工業化社会の実現に欠かせなかったエネルギー源に核エネルギーを使う政策は、原発の制御不可能性と十万年にわたる放射性廃棄物の保管の困難さによって、破綻したと言わねばならない。〈人材〉とみなされる〈エリート〉たちに頼る中央集権国家の限界が明らかになった。民主主義の本義に基づいて熟議を重ね社会の在り方を合意形成していく、トランス・サイエンス時代に入ったのだ。

国は福島第一原発事故の責任を取らねばならない。自明のことである
その取り方は、原子力政策を改めることである。かつて国の総理大臣を務めた細川護熙、小泉純一郎、菅直人の3氏が、原発ゼロを法律で定めよと主張している。3月9日には立憲民主党などが「原発ゼロ基本法案」を国会に提出した。国は、それに応えるべきだと、わたしたちは考える。

(以上)