2011年、混迷からぬけ出よう
2011年、混迷からぬけ出よう
山口幸夫
新しい年を迎えたが、政治・経済・社会は、国内のみならず国際的にも混迷の中にある。先ゆきは深い霧につつまれており、見通しはきわめて難しい。その中で、原子力資料情報室の私たちが直面している主な課題を以下にあげてみる。
暦とはかかわりなく、旧年12月も下旬になって、原子力委員会の「原子力政策大綱」の見直し会議が始まった。それに先立つ11月には、学術会議が「高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会」を立ち上げた。これは原子力委員会が第三者の専門家集団の学術会議に提言を求めたものであり、きわめて異例なことである。10月、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開かれた。そのさなかに、瀬戸内海の祝島の海を埋め立てて上関原発を建設する工事が中国電力によって強行されようとした。ここは世界的に見て稀有な動植物種が生存し、みごとに生物多様性が保たれ、学術的に高い価値を有する貴重な海域なのである。
1995年12月、冷却材のナトリウム漏れからの火災で運転中止に追い込まれていた高速増殖炉原型炉「もんじゅ」は、さる5月に14年半ぶりに再開したが、8月末に重さ3.3トンの「炉内中継装置」落下事故を起こした。明確な再開の目処は立っていない。
「もんじゅ」とともに日本の核燃料サイクルの要の六ヶ所再処理工場では、ガラス固化体の製造過程で失敗を繰り返したままだ。9月に、今度こそという完工時期を2012年10月へと先延ばししたが、運転開始できるかどうか疑わしい。技術的な可能性を、希望としてではなく冷静に検討し判断しなければならぬ時期である。
一方で、日本の技術のすばらしさが語られる。7年の歳月をかけて小惑星「イトカワ」に到達して帰ってきた惑星探査機「はやぶさ」にみられた技術力と、原子力技術とが同列に論じられたりする。それぞれの技術の特徴を考えないといけないだろう。
国内でゆきづまった原発ビジネスが、当然のようにして、海外へ舞台を移そうと動きだした。業界と政府は一体となって、ベトナムへの原発輸出を目論んでいるが、おおいに問題である。インドとの原子力協力問題は核拡散のおそれにつながる。武器輸出三原則の見直しの是非がとりざたされる中のことでもあり、ゆるがせにすることはできない。
40年を経てなお未成熟の原発
それにしても、次々に明らかになってくる国内の既存の原発の危うさは覆いようがない。去年、島根原発で1100箇所あまり、浜岡原発で100箇所あまりの点検洩れが発覚した。28年間、点検を怠っていたために5人死亡・6人重軽火傷の事故が美浜原発で起きた。2004年のことだが、まるで忘れられているかのようである。他の原発では点検がきちんと行なわれているという保障はない。日常的に起こった2009年度の原発および核燃料関係施設での主な事故・故障の一覧(本誌434号)には、安全上とくに問題がある80件が載っている。それは日本においても原子力分野での技術が今もって成熟していないこと、そして、原発の制御がいかに困難なのかを物語っている。
MOX燃料を装荷したプルサーマル方式が玄海、伊方、福島、高浜の各原発で開始され、浜岡も用意を始めた。原発の危険性がさらに増した。これ以上進めることは阻止しなければならない。
地震、原発の老朽化
2007年7月に新潟県中越沖地震に直撃された7基の柏崎刈羽原発。その設備と建物・構造物はどのような被害をうけたのか、次なる地震に耐えられるのか。マグニチュード6.8の地震にたいして十分な余裕があったと強弁する原発推進の専門家がいる。しかし、地震発生以来今日にいたるも、国と県の双方の委員会で議論が続いている。県の委員会での審議の様子は本誌で報告してきたところであるが、いくつもの肝心な疑問が残されたまま、再開を前提にして工学的判断がまかり通ってきた。それを知る地元の人たちと県民の不安は解消されていない。危うさを抱えつつ、4基目の運転再開が途上にある。
やがて確実に襲ってくる東海(東海・東南海・南海)地震に浜岡原発が耐えられるか、「原発震災」というべき事態が起こらないか、憂慮されている。09年8月の駿河湾の地震はマグニチュード6.5の中規模の地震だった。すぐ近くに位置する他号機に比べて5号機の揺れが異常に大きかった。その理由が解明されていない。柏崎刈羽原発の場合に推定されたような、地盤の特殊な地質構造が疑われているが、はっきりしない。
下北半島に位置する六ヶ所再処理工場や東通原発、あるいは建設が予定されている大間原発などの敷地周辺の活断層が、変動地形学の専門家によって明らかになってきた。
地下の地質構造の知見が不足したまま、日本列島上に原発は建設されてきた。地震学や変動地形学の最近の著しい進歩をとりいれて、抜本的な見直しが迫られているのである。
その日本列島上には現在54基の原発が稼動中だが、2010年末現在で、18基が30年を超えた老朽化(高経年化)原発になった。安全性は維持基準によって保たれるとされるが、維持基準の元になる基礎データはかならずしも確かではない。配管の肉厚の減少、応力腐食割れとよばれる機器のひび割れ、電気系ケーブル系統の劣化、さらに、中性子を長年にわたって浴び続けてきた圧力容器がもろくなって(脆化)、割れやすくなっていることが心配である。最近のことだが、予想を遥かに超えた高い脆性遷移温度が玄海1号機で見つかった。そういう状態のところへ、急激な熱変化や大きな地震の揺れが来たらどうなるだろうか。
上関に原発をつくってはならない
ドキュメンタリー映画の「祝の島」と「ミツバチの羽音と地球の回転」は昨年、各地で上映された。今年も上映されるだろう。この二つの映画は、静かに、しかも底知れぬ深い問いを私たちに投げかける。文明とは何だろうか、と。生物多様性条約は自然界の希少な遺伝子資源を守るために意味を持つのではない。その遺伝子資源を経済性の視点で論じていては、瀬戸内の自然を理解することはできない。
映画には、中国電力が計画した137.3万キロワットのABWR型原発2基の建設に28年間反対してきた祝島の人たちの生きざまが、明るく描かれている。自然とともに、さまざまな生き物とともに、先祖代々引き継がれてきた生き方がゆったりと流れる時間のなかで語られる。ヒトという生きものは高度工業化社会になじむだろうかと思う。アジアで経済成長のために原発で電気エネルギーが必要だという主張は分らないではないが、たちどころに原発輸出ビジネスで応じようという姿勢には疑いを抱かせる。
核エネルギー(の平和利用)には核兵器・核武装という国際政治がつきまとって離れない。北朝鮮やイランのウラン濃縮、インドの原発増設、日本の核燃料サイクルにもそれがある。高速増殖炉「もんじゅ」に、再処理工場に、どんなに費用をかけようとも、どこまででも追求しようとする意図はそこにある、と誰もが思っているだろう。かつて、日本の核武装に備えて技術ポテンシャルを保持すべきだ、との主張が指導的政治家と官僚たちのなかにあった。最近の尖閣問題はじめ、アジアにおける政治的・軍事的緊張状態は核問題と無縁ではない。
原子力委員会の動き、学術会議の対応
公表された文書によると、昨年9月、原子力委員会は、高レベルの放射性廃棄物の処分に関する取り組みについて、日本学術会議に意見を求めた。よく知られているように、国(原子力発電環境整備機構、NUMO)は、2002年12月以来、処分地の選定ができないまま、途方に暮れた状態にある。第一段階の文献調査に手を挙げた高知県東洋町では、町長が辞任、出直し選挙に追い込まれ、反対の町長に代わった経緯があった。
すでに保有しており、今後も増え続ける高レベルの放射性廃棄物の処分方法を見出せなければ、やがて原発は運転できなくなる。「原子力政策大綱」(2005年10月閣議決定)も「エネルギー基本計画」(2010年6月閣議決定)も、絵に描いたもちになる。
そこで、原子力委員会は「技術的事項のみならず社会科学的な観点を含む幅広い視点から検討することが重要である」と考えて、「第三者的で独立性の高い学術的な機関に対して幅広い視点からの意見、見解を、これまで以上に積極的に求めていくことにした」のである。学術会議はこれを受け入れて、11月に第1回の検討委員会を16人のメンバーで開いた。原子力業界に近い委員が何人も加わっているので、「第三者的で独立性の高い」委員会として、政治と経済に左右されず、学問の名に恥じない議論をどのようにすすめ、答申をまとめるのか、注意深く見守りたい。
原子力委員会はまた、2005年に策定された原子力政策大綱を、その後の現実の変化を踏まえて見直す必要があると判断し、26名からなる新委員会を発足させ、12月21日に第1回の会合を開いた。当室の伴英幸・共同代表も前回に引き続いて、委員の一人に就任した。
新政策大綱をまとめるに当たっては、学術会議の検討委員会からの答申は重要な役割を担っている。一般的には、日本学術会議はもっとも公平な第三者とみなされているからである。半世紀前に、熱に浮かされたかのように、政治主導で始められた夢の原子力の〈平和利用〉は、すくなくとも数万年の期間の安全性を確保しなければならない高レベルの放射性廃棄物を生んだ。「国家のための科学技術」を推進させた、当時の責任者の一人の故・伏見康治氏は、考えが甘かったと晩年に述懐したが、取り返せることではない。
学術会議の検討委員にも、政策大綱見直し会議の委員にも、「解のないかもしれぬ難問」をどう解くのか、きわめて厳しい状況にあることが自覚されているかを問いたい。