再刊:「チェルノブイリ」を見つめなおす 20年後のメッセージ

品切れとなっておりました『「チェルノブイリ」を見つめなおす 20年後のメッセージ』が再刊になりました。

再刊 「チェルノブイリ」を見つめなおす?20年後のメッセージ

今中哲二・原子力資料情報室編著再刊「チェルノブイリ」を見つめなおす?20年後のメッセージ

再刊第一刷:2011年9月20日
発行:2006年
定価:600円

このブックレットは、トヨタ財団助成研究「チェルノブイリ原発事故の実相解明への多角的アプローチ:二〇年を機会とする事故被害のまとめ」(代表・今中哲二)の一環として、2006年に原子力資料情報室との共同作業としてまとめたものである。原子力資料情報室では、渡辺美紀子が執筆と編集を担当した。2010年再刊

◎ 再刊にあたって

この4月に発行される原子力資料情報室通信の原稿に、『チェルノブイリと同じ規模あるいはその規模を越える原子力災害をこの25年間私たちが経験しなかった幸運に感謝するとともに、これからも経験しないことを願いたい』と私が書いたのは3月9日のことでした。そして、その2日後に東北太平洋沖地震が発生しました。福島原発事故が『チェルノブイリになってしまった』と私が確信したのは、3月15日午前の記者会見で、『2号機の格納容器が破損し、4号炉で水素爆発と思われる火災が発生した』と枝野官房長官が発表したときでした。いまでは、福島原発周辺からは約10万人の人が”強制的に”避難させられ、”自主的に”避難をした人を合わせると数十万人の”原発難民”が生まれてしまうに至っています。
これまで私は、チェルノブイリの被災者から『事故によって時代が”チェルノブイリ前”と”チェルノブイリ後”に引き裂かれた』と聞かされてきました。そして私たちも、福島原発事故によって”フクシマ後”の世界に放り込まれてしまいました。”フクシマ後”を生きて行かざるを得ない私たちにとって、チェルノブイリを知っておくことの意味は格段に増したものと思っています。再刊されたブックレットが、”フクシマ後”の世界に向きあうにあたって少しでもみなさんの役に立てば幸いです。

2011年8月 今中哲二

[目次]
再刊にあたって(上掲)
・はじめに
・その前日
・四月二六日未明、4号炉が爆発炎上した
・周辺30キロから12万人が避難した
・事故処理作業と石棺の建設
・チェルノブイリは北半球のほとんどを汚染した
・運転員に押しつけられた事故原因
・正のボイド反応度係数とポジティブスクラム
・数百キロも離れた高汚染地域の存在が暴露された
・事故で放出された放射能の量
・事故被災者の分類
・急性放射線障害死亡者二八名
・周辺住民の急性放射線障害
・子どもたちの甲状腺がんが増加した
・子どもたちの白血病やその他の健康悪化
・汚染地域の食品汚染データ
・汚染地域住民の体内のセシウム137データ
・事故処理作業者(リクビダートル)の健康調査
・遺伝的影響と胎内被曝影響
・スウェーデンの放射能汚染地域でがん増加
・チェルノブイリ・フォーラム報告:総死者4000人
・チェルノブイリ事故とIAEAの役割
・日本に飛んできた放射能
・日本の原発で大事故が起きたら
・日本への輸入食品の汚染状況と市民による放射能測定
・ヨーロッパへの放射能汚染の広がり

―資料1:事故経過(1986年4月25?26日)
―資料2:RBMK1000炉の仕様
―資料3:旧ソ連のRBMK型原発
―資料4:旧ソ連の主な放射能汚染地域
―資料5:旧ソ連の原子力開発:原爆からチェルノブイリまで
―資料6:第2石棺建設計画
―参考文献

===訂正=====================

【p.50】
第11 → 第11回
第12 → 第12回
第13 → 第13回

【p.57】
「?バター」 → 「バター」
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※2006年5月当時、正会員・賛助会員の皆様には『原子力資料情報室通信』383号(2006/5/1発行)とともに一冊お送りしたものの再刊となります。

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チェルノブイリ原発事故 ― 25年のメッセージ