福島はいま(22)11年を迎える東電福島核惨事
あの核惨事からまもなく満11年を迎えようとしているが、東電福島原発事故の原因、事故の進展、事故の結果についての評価は、未だ定まっていない。それらに最も力を入れて取り組んだ新潟県の技術委員会の記録をみればわかる。高い放射線レベルのために、現場の調査ができないことが最大のネックだ。この事実は、あのような事故の再発を防ぐ対策を立てることができないということを意味している。
感情や政治経済的配慮が入りにくいとされる科学の世界にかぎっても、多くの場合、真実が何かを断定することは極めて難しい。データはどれだけ正しいか、どの面から対象に向きあうか、また、価値の評価はどうか。これらが一意的な結論を導かないからである。政府は頑なにALPS処理水の海洋放出に固執しているが、その危険性についての判断は、科学、技術、政治経済が関係した一つの典型例である。風評被害の問題、などと言って済む話ではない。
東電福島原発事故によって福島の人たちがどれだけの被ばくをしたか、よくわかっていない。とくに初期の内部被ばくについては、曖昧な推定値があるだけである。いざ、という時の準備が、全くできていなかった。福島の子どもたちの将来がとても気にかかるのである。
震災の記憶を俳句にする指導を続けてきた夜間高校の先生の文章(本誌前号)を読んで、高校生たちの思いに心を揺さぶられた。「こんなに汚染がひどいのに、俺たちは避難させてもらえない。俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされるってことだべした」と怒る生徒。「放射能悲鳴のような蝉時雨」、「放射能無知な私は深呼吸」、「フクシマよ埋めても埋めても葱匂う」と詠む生徒たちの心の闇を想う。
『放射線副読本』の解説書
福島県の教員たちが編んだ「生きるための学び」というレポートがある。福島県教組放射線対策委員会のとりくみの記録で、2021年度の日教組全国教育研究集会に提出された。また、それに関連した解説書2冊が発行された。福島県教組は、福島の未来そのものである子どもたちに対して、従来同様の「核利用教育」を推進することはできないと考えた。本部と福島県全16支部から委員を募って対策委員会を発足させ、アドバイザーを招いて学習会を重ねた。
放射線教育には人権教育の面があるので、新潟水俣病、足尾鉱毒事件などとも関連させて学びをすすめるが、文科省発行の『放射線副読本』が恰好の教材となった。
この副読本は改訂を重ねて、2011年度版、13年度版、18年度版の3種がある。そのそれぞれの問題となる箇所の記述を取り上げ、そうではない、こうではないかと反論する。政府や電力会社の側ではなく、子どもたちの身になっての反論である。たとえば、「私たちは、自然にある放射線や病院のエックス線撮影などによって受ける放射線の量で健康的な暮らしができなくなることはありません」と副読本は言う。放射線は役に立つのだと説かれるが、誤魔化してはいけない、事故で環境に放出された放射性物質からの放射線は全く余計なもので、そういう放射線は避けなければならないのだ、と反論する。また、電球から光が出ている図を示して放射線を説明するのはオカシイ。放射線は線香花火モデルで説明すべきだと指摘する。
子どもたちにとって必要な知識とは何か。何よりも、子どもたちの命・人権が大切だ。子どもたちが自分で自分を守る力を身につけることができるような教育こそが求められていると主張する。その立場からの解説書である。小学生用と中学生・高校生用の2冊がある。福島県教職員組合のHP*からダウンロードできる。
(山口幸夫)
*福島県教職員組合 放射線副読本の解説等:www.f-t-u.or.jp/document_cat/housya/
(本誌571号に同封した『別冊TWO SCENE scene19放射線副読本という安全キャンペーン』も併せてぜひご覧ください。B4両面フルカラー。こちらからダウンロードすることもできます。cnic.jp/41109)