原発で働き、悪性リンパ腫で亡くなった喜友名さんの労災認定を支援しよう
原発で働き、悪性リンパ腫で亡くなった喜友名さんの労災認定を支援しよう
『原子力資料情報室通信』399号(2007/9/1)より
昨年12月、本誌390号で、「平均値からは視えない被曝労働の実態―6年4ヵ月間に99.76mSv被曝し、悪性リンパ腫で死亡したKさんの労働」を報告しました。
cnic.jp/8
Kさん、喜友名正(きゆな・ただし)さんは、泊、伊方、美浜、大飯、敦賀、玄海など全国各地のおもに加圧水型原発を次々移動し、放射能漏れを検査する仕事にたずさわっていました。喜友名さんが被曝した線量は、1997年9月から2004年1月までの6年4ヵ月間で99.76ミリシーベルト。経済効率を優先する長期連続運転、定期検査の短縮化の影響をもろに受けています。次第に体調が悪くなり、2004年2月に退職。5月に血液のがんの一種である悪性リンパ腫と診断され、苦しい闘病の末、2005年3月に53歳で亡くなられました。
遺族が05年10月、大阪の淀川労働基準監督署に労災を申請しましたが、悪性リンパ腫は例にないとして、りん伺(資料を提出して本省に判断を仰ぐこと)もされないまま、06年9月に不支給の決定が出されました。10月に不服申し立てを申請し、現在審査中です。
今年6月8日、さまざまな被曝問題に対して政府への申し入れ・交渉を行なった際、喜友名さんの労災申請を「りん伺に戻し、再検討する」ことを、厚生労働省に認めさせることができました(本誌397号)。淀川労基署が下した不支給の決定を取り消し、労災認定を勝ち取るための大きな一歩を踏み出したのです。
喜友名さんが働いた現場は、原発の老朽化に伴うさまざまなトラブルを抱えたきびしい状況だったことが、勤務した親会社から提出された被曝管理台帳のデータから推察されます。労働基準監督署は、喜友名さんの被曝の実態を把握するため、喜友名さんが各原発の何号炉のどこの現場でどのような作業をしていたかについて、詳細に調査を行ない、明らかにすべきです。
過酷な原発の被曝労働で命を奪われた喜友名さんの労災をなんとしても認めさせなければなりません。これまでに労災認定されたのは、長尾光明さんの多発性骨髄腫を除けば、いずれも白血病のみです。喜友名さんの悪性リンパ腫の労災認定を勝ち取ることは、多発性骨髄腫の労災認定と併せて、日本のきわめてせまい労災認定の窓口を開くことになり、日本の原発労働者の補償を前進させます。
労基署からのりん伺を受けて開かれる電離放射線障害の業務上外に関する検討会に向けて、全国の支援する人びとの意志を結集するための署名や対政府交渉が大きな力となります。そのために、「原発被曝労働者、喜友名正さんの労災認定を支援する会」(仮称)の立ち上げを準備しています。
先日開かれた会議にご遺族の喜友名末子さんが出席され、「夫は、放射能漏れの箇所を調べていた。退職直前には沖縄に戻り治療を受け、再び原発労働に戻って、ぎりぎりまで働いた。病気になり、苦しんで死んでいった夫の労災をぜひ認定してほしい。名前を明らかにして支援を訴えたい」と発言されました。
全国の皆さん、喜友名さんの労災認定を勝ち取るため、ご支援をよろしくお願いいたします。
(渡辺美紀子)
■原発被曝労働者「喜友名正さんの労災認定を支援する会」の発足集会開催のお知らせと「支援する会」への参加のお願い
9月24日(月)午後13時半から、大阪森ノ宮のアピオ大阪で、集会には遺族も出席されます。
喜友名さんは、当時の全国で被曝線量が最も高い労働者約100人に入る過酷な被曝労働に従事し、悪性リンパ腫で命を奪われました。喜友名さんこそ労災認定されなければなりません。
①悪性リンパ腫は放射線起因性がある
②悪性リンパ腫各国の被曝補償で対象疾病となっている
③悪性リンパ腫白血病類縁の疾病である
④喜友名さんの被曝線量は白血病認定基準の3倍以上もある
など医学・疫学的な根拠もあります。
長尾光明さん(2004年1月、多発性骨髄腫で認定された)に続き、喜友名正さんの労災認定を勝ち取ろう!
「支援する会」への参加呼びかけ文、趣意・規約、経過の概要、関連資料などは、原子力資料情報室のホームページからダウンロードしてください。