青森県議会:野党会派が最終処分拒否宣言条例案を提出
六ヶ所再処理工場
青森県議会:野党会派が最終処分拒否宣言条例案を提出
◆六ヶ所村では現在高レベル廃棄物が大量に貯蔵され、さらに六ヶ所再処理工場の試験・稼働により今後全体で約四万本が中間貯蔵されることになっている。このような状況について、多くの青森県民が「青森がなし崩し的に最終処分地になるのでは」ないかという不安を抱えている。開会中の青森県議会では、野党の会派が共同で最終処分拒否条例案を提出を提出した。条例案は、「青森県を高レベル放射性廃棄物最終処分地としないことを宣言」することを求める内容となっている。(下記に全文紹介)
◆しかし青森県の三村知事は条例は必要ないという立場を貫いている。1994年、1995年にそれぞれ当時の科学技術庁が提出した「青森県を最終処分地にしない旨の確約書」があることを理由あげている。しかし「確約書」は、元県幹部が報道に語ったように、「”知事の了承なくして青森県を最終処分地にしない”とは、知事の了承があれば処分地を造れる」もので、将来とも青森県が最終処分地にならないことを担保するものではない。そこで知事は「新たな確約書」を国(内閣総理大臣、経済産業大臣)に求めると表明している。
◆県議会最大会派の自民党、公明・健政会など多くの会派が、知事の「確約書は重い」という姿勢を評価し、拒否条例には賛成しなことを表明しており、この条例案は11日には議会で否決される可能性が高い。
◆「最終処分場としない確約書」を求める青森県で、なぜ最終処分拒否宣言条例案が否決されるのか。なぜ、法的根拠のない「確約書」で、最終処分となる可能性を否定できるのか。三村知事や県議会多数派は、議論を尽くし、県民の納得がいく説明を行うべきである。
◆また、もし国(内閣総理大臣、経済産業大臣)が青森県だけに「確約書」を出すのならば、高レベル放射性廃棄物処分地選定問題に関して、他の都道府県と青森県を区別する立場をとるということを意味するのか。このような「確約書」を出すことに、多くの国民が納得するであろうか?
◆六ヶ所再処理工場を運転する日本原燃は、本格操業を08年2月から5月に延期した。昨年11月から高レベルガラス固化体の製造試験が開始されている。現時点で59本のガラス固化体が製造されている(他に2本が製造中)。
www.jnfl.co.jp/press/pressj2007/pr080204-1.html
◆六ヶ所再処理工場の敷地内には、海外委託再処理によって発生した高レベルガラス固化体を貯蔵する「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」がすでに1995年稼働しており、現時点でフランスから返還されたガラス固化体が1310本貯蔵されている。
www.jnfl.co.jp/daily-stat/000000-month/high.html
www.jnfl.co.jp/daily-stat/20080307/high2.html
=============================================
■■■高レベル処分地拒否条例案全文■■■
今、数万年の安全性の確保が必要とされる高レベル放射性廃棄物の最終処分地に関し、国における最終処分地の選定及び必要とする安全規則等の整備は遅れ、かつ、六ケ所再処理工場で高レベル放射性廃棄物の製造が始まり、海外からの返還高レベル放射性廃棄物と同様、本県での貯蔵も始まり、「本県がなし崩し的に最終処分地になるのでは」との県民の不安が高まりつつある。
したがって、本県で高レベル放射性廃棄物の貯蔵、製造が行われた時代の県政の責任として、県民の不安を解消し、あわせて後世にわたり、不安や負担、苦悩を残さず、「誇れる青森県」を創るためには今、最終処分地としないとの県民の総意を形として表すため、この条例を制定する。
私たちの「ふるさと青森県」は豊かで美しい自然に恵まれ、「北のまほろば」と言われ、縄文の時代から先人のたくましい努力により、自然と調和した「青い森」の文化と歴史を創り上げてきた。
私たちは、先人から受け継いだ「ふるさと青森県」を美しく豊かな青森県として次世代に引き継ぐ責務を果たさなければならない。
私たちは、これまで青森県を、高レベル放射性廃棄物(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(平成12年法律第117号。以下「法」という。)第2条第1項に規定する「特定放射性廃棄物」をいう。)の最終処分地(法第2条第7項に規定する「最終処分施設建設地」をいう。)にしないことを、県内外に明らかにしてきた。
私たちは、県民の不安を解消し、後世への責務を果たすためにも、青森県を高レベル放射性廃棄物最終処分地としないことを宣言する。
附則 この条例は、公布の日から施行する。
—————————————————————————————————————-
青森県を高レベル放射性廃棄物最終処分地としないことを宣言する条例提案の理由と経緯
◆1、理由
<1>(条例と国の回答文書の相違点)
(1)条例は、憲法の規定により、地方公共団体の権能として、県民の信託を受けた知事と県議会議員によって、県政の最高議事機関である県議会において議決されて、その効力を発する県政で最も権威のある、かつ県政の最高の規範である。
(2)一方、歴代知事のいわゆる回答文書は、県民の関与及び県議会の議決を得ることなく、協定書及び契約書等の性質を有することもない、国の一行政長からの知事に対する回答文書である。
<2>(法の措置と条例制定の必要性)
(1)木村前知事が国に求めてきた最終処分地の早期選定や、処分に必要な安全規制評価等の研究・技術開発の国の取り組みは大幅に遅れ、更に六ケ所再処理工場でガラス固化体の製造が始まった。このままでは当初から県民が抱いている「青森県がなし崩し的に最終処分地にされる」との不安がますます高くなり、県民の不安を解消する担保が必要となっている。
(2)他県に処分地が選定されなければ、ガラス固化体が既に貯蔵され、今後製造も計画されている本県が、地理的、経済的、合理的理由で最終処分地に選定される可能性が極めて高く、その担保は早急に必要である。
(3)その担保は、国政、県政の各々の場に必要である。
国政においては、特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律に、「青森県を最終処分地にしない」旨を明記させることであり、県は国に立法措置を求め、国に約束させるべきである。
県政においては、県政の最高法令である条例により「最終処分地としないこと」を明確にするべきである。
<3>(拒否する県民の意志を明確に)
(1)県民、県議会議員及び歴代知事、三村知事から処分場受け入れを認める声がないことから、「拒否」するとの県民の総意を形として明確に表すことが今、必要であり、それは県議会議決による条例である。
<4>(条例の優位性)
(1)県政の担保として、県議会が議決する条例がもっとも有効で、県民にもわかりやすく、国政にも県民の総意として明確に発信され、県民の不安が高まっている今日必要である。
(2)条例は知事、県議会、県民の総意として法的に明確化されたもので、今後の県政にも拘束力と影響力を持ち、歴代知事の回答文書や知事の議会等での言動よりもはるかに重い。
(3)仮に知事が最終処分地を受け入れようとするなら条例改正等による県議会の同意が必要となり、条例制定により、県議会と県民の意志反映が保証され、県民参加の県政進展にも寄与するものであり、国の回答文書にはないものである。
(4)条例を制定すれば本県知事が、国の担当大臣が変わる度に国に確認に行く必要はなくなり、類似する条例を制定している北海道知事は三村知事のように国に確認に行っていないと聞いている。
<5>(本県のイメージアップ)
(1)高レベル放射性廃棄物深地層処分のための研究施設のある北海道が拒否条例を制定している中で、同廃棄物の貯蔵、製造施設のある本県が条例を制定しなければ、本県の「安全、安心」のイメージが北海道よりも劣ることになる。
(2)世界自然遺産に登録されている知床半島の北海道と屋久島町に「拒否」条例があり、白神山地のある本県になければ他の世界自然遺産地よりも劣ることになる。
(3)条例の制定は青森県が「安全、安心」を目ざし努力していることを県内外に明確に発信することになり、新幹線時代の青森県のイメージアップにもつながる。
◆2、経緯
1984年7月、青森県が電気事業連合会から、核燃料サイクル計画立地要請があった時に、多くの県民から施設の危険性と併せて、青森県が「核のゴミ捨て場」になるとの不安が高く、計画に対する反対の声が多くあった。
1985年4月9日、北村県知事は計画受け入れを決定し、併せて、再処理工場から発生する高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分場については、本県で受け入れる考えが全くないことを証明した。
1994年11月19日、田中真紀子科学技術庁長官から、北村県知事に「処分予定地の選定は、地元の了承なしに行われることはない」旨の回答文書が提出された。(1994年12月26日、高レベル貯蔵施設安全協定締結)
1995年4月25日、田中真紀子科学技術庁長官から、木村県知事に、「知事の了承なくして青森県を最終処分地にしない」旨の回答文書が提出された。(同年4月26日にフランスからの高レベル放射性廃棄物が六ケ所村に搬入、貯蔵が始まった。)
1998年3月13日、橋本総理大臣は「最終処分については、知事の要請に応えるよう政府一体としての一層の取り組みの強化を図る」旨の(関係大臣等四者による合意)文書を木村知事と確認した。(1998年11月22日、再処理工場ウラン試験安全協定締結)
2000年5月31日、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が成立し、処分地選定については知事及び市町村長の意見を十分尊重しなければならないことが規定された。
2002年4月から、最終処分地選定作業を開始したにもかかわらず、誘致検討の声は上がっても当該地域住民及び当該県知事等から反対の意見が表明され、候補地は1件もなく、国の選定スケジュールが数年延期される方針が2008年1月決まった。
2007年11月、六ケ所再処理工場アクティブ試験第4ステップで高レベル放射性廃棄物の製造が始まった。にもかかわらず、同年12月末に製造工程にトラブルが発生し、製造は停止となっている。
2008年2月時点で、六ケ所再処理工場に貯蔵されている英仏からの返還ガラス固化体は1310本、六ケ所再処理工場で製造されたものが57本で、今後、再処理工場が本格操業すると年間約1000本のガラス固化体が製造され、六ケ所村で貯蔵されることになっている。
====================================
◆関連報道
【東奥日報】
www.toonippo.co.jp/kikaku/kakunen/new_index.html
【デーリー東北】
www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kakunen-top.htm
============================================