アジアの原発事情(9) マレーシア 原子力発電への密やかな進出と、 立ち上がり始めた民衆の抗議の声
キア・ジア・ヤウ
(マレーシア弁護士会環境気候変動委員会所属・弁護士)
マレーシアは、東南アジアに位置する人口約2,900万の国だ。石油や天然ガスなどのエネルギー資源に恵まれ、日本にも輸出されている。1次エネルギーの40%がガス、37%が石油、19%が石炭で賄われている(2012年時点)1)。資源の豊富なこの国にも原発の建設計画があり、2021年に初号機が運転を開始することとなっている。日本政府もマレーシア原子力協力協定の締結を検討し、原発輸出を目差している。今号では、マレーシアで環境問題に携わっている弁護士のキアさんに、マレーシアの原発建設計画とその問題点などについて、寄稿いただいた。 (松久保 肇)
2009年6月、マレーシア政府は2020年以降の発電オプションに原子力を選択肢として盛り込む決定を下した。そして、2011年にマレーシア原子力発電公社(MNPC)を設立した。 今日まで政府は、公式には原子力を発電に利用すると決定してはいない。しかし、この国に原子力発電を導入するためのステップは進めている。このことがマレーシアの住民を不安にさせている。
政府の原発政策
2009年6月の決定以降、政府は原発2基の建設可能性を検討するための委員会を組織した。初号機の運転開始は2021年に計画されている。そして2010年7月に政府は原子力発電を選択肢に含んだ第10次国家エネルギー政策を策定し、これに基づき、2011年にMNPCが原子力発電計画の推進主体として設立された。
2010年9月、経済変革プログラム(Economic Transformation Programme :ETP)が発表された。このプログラムは、マレーシアが2020年までに先進国2)の地位を獲得できるよう、経済成長の起爆剤となることを目指すものだ。ETPは12の国家主要経済領域(National Key Economic Areas:NKEA)に焦点を合わせ、NKEAそれぞれに、新しい成長分野とビジネスチャンスを生み出す一連の導入プロジェクト(Entry Point Project:EPP)が計画された。NKEAの領域の1つは「石油、ガス、そしてエネルギー」であり、その最も大きなEPPは2基の原発開発とされているのだ。
MNPCは2011年1月に有限責任会社として設立され、首相府に対して報告をおこなっている。同社は2013年までにマレーシアの原発建設準備を可能とし、政府が原子力によるエネルギー生産に進むか否か決断するための補助をすることが任務として与えられた。ETP報告によれば、原子力による発電の開始は2021年とされた。
MNPCが設立された2ヶ月後、福島第一原発事故が起こった。
政府の発言とその行動の矛盾
原子力発電の導入がETPの主要プロジェクトとして記載されたにもかかわらず、マレーシア政府は原子力発電を導入するかどうかの最終決定をおこなうには程遠い段階であると、市民に対して言い続けてきた。
アジア戦略リーダーシップ研究所が2014年8月7日に開催した公開討論会において、マー・シウ・ケオン(馬袖強)首相府大臣は、政府は原子力発電の導入について慎重に判断を進める必要があり、全てのステークホルダーが公開での対話と「教育」を通じて適切に関与しなければならないと指摘した。このことは、政府がまだ決定を下していないこと、この問題について実質的な公的協議をおこなうつもりがあることを示している。
しかし、同じ公開討論会において、マー大臣は1984年原子力免許法に替わる新法(マレーシアの原子力産業を推進・規制するための法律だと推測されている)に言及し、新法は「原子力産業の新しい地平を切り開く」だろうと述べた。新法は2014年末に国会に上程されると見られていたが、2015年3月現在、まだおこなわれていない。
政府の原子力産業を管轄する法制度準備の動きは、原発を積極的に導入しようという動きだといえる。この動きは、原発の導入可否についてはまだ決定されていないとする政府のマレーシア民衆に与えている印象や、そのような重要な意思決定にあたっては実質的な公的協議を実施するという政府の保障と、まったく矛盾している。 野党の国会議員であるチャールズ・サンティアゴ氏は、度々国会で政府の原子力発電に対する姿勢を問いただしてきた。回答は、「包括的検討」と「公的協議の実施まではそのような決定は保留されている」というものだった。
これに対して、サンティアゴ氏は、世界の原子力産業界の連合体である世界原子力協会(World Nuclear Association:WNA)が、マレーシアはすでにマレー半島に5箇所の建設候補地を選定しており、「政府は他の東南アジア諸国と、共通の原子力発電開発に関する規制を検討している」3)としていることを指摘した。サンティアゴ氏は、WNAはマレーシア政府からしかそのような情報は入手できないと考えている。
実際、早くも2011年には、それらの候補地が選定されていた。2011年11月14日に開催された原子力セミナーにおいて、MNPCのCEOモハメド・ザムザム・ビン・ジャファー博士は、すでに建設候補地は選定されているが、発表してしまうと、ペハン州のライナス・レアアース製錬工場のように反対運動が起きてしまうので(後述)発表しないと述べている。
マレーシア弁護士会が2015年1月に主催した、政府の原子力発電開発計画にかんする公開フォーラムに、サンティアゴ氏とザムザム博士は講演者として参加した。サンティアゴ氏は直接ザムザム博士にWNAの原子力発電所建設候補地はすでに選定されているとするレポートについて問いただした。ザムザム博士は回答を拒否したが、代わりに衝撃的な暴露をおこなった。彼は、政府はMNPCに対して、原発の建設候補地がどこにあるのか政府に報告しないように命じていると語ったのだ。知らなければ、政府は人々に候補地を知らないと言っても嘘をついたことにはならないからだ。
それゆえ、政府が原子力発電所の導入について最終決定を下していないとする公的な立場を維持する一方で、人々の抗議を回避するために、人々に知らせないままマレーシアに原子力産業を確立するための積極的なステップを踏んでいることは明らかだ。
人々は沈黙を破り始めた
このような政府の誘導に対し、ペナン消費者連合(CAP)と環境NGOのサハバット・アラム・マレーシア(SAM、FoEマレーシア)は2014年8月、マレーシア政府が人々を原子力から目隠ししていると強く抗議する声明を発表した。2つのNGOの声明は、原子力免許法に替わる新法の導入が、政府が問題を人々の目から隠しながら、熱望している原子力の導入実現のための大きなマイルストーンを築いてしまうことについて憂慮を示すものだ。
この声明に先立ち、マレーシア反原子力同盟(Malaysian Coalition Against Nuclear:MYCAN)が世界自然保護基金(WWF)や第三世界ネットワーク、JOAS(Jaringan Orang Asal SeMalaysia)、マレーシア消費者協会連合会、CAP、SAMなどを含む数多くのNGOや市民社会組織の参加のもと結成された。また、2011年10月には同盟のメンバーは原子力発電の導入に反対し、マレーシア政府に対し計画を公表するよう要請する声明を発表した。
最近では、元マレーシア医師会会長で、国際反核医師の会元共同議長であり、マレーシア政府の原子力計画を声高に非難してきたロナルド・マッコイ博士が代表となり、草の根レベルの反原発組織であるAMAN(Anak Malaysia Anti Nuklear)が結成された。
しかしながら現状、一般のマレーシア人が、政府の原子力への野望とその導入に着実に歩みをすすめている状況に気が付いていないことは明らかだ。もし、ライナス・レアアース製錬プロジェクト反対運動のときのように民衆を喚起できるなら、原発に対する抗議は何倍にも大きくなるだろう。
おそらく2012年のライナス・レアアース製錬プロジェクトは、これまでのマレーシアの環境運動のなかでも最大の運動だった。これは、オーストラリアからレアアースを輸入し、地元の工場で製錬し、放射性廃棄物をマレーシアに永久に保管し続けるという計画だった。何万人ものマレーシア人が路上に出て計画に反対した。
公的協議の重要性
原発導入へのどのようなアクションも、事前の実質的な公的協議がなければ、正統性を欠くものとなる。そして、エネルギーミックスの一部としての原子力を人々が拒否した場合、多額の税金を無駄に消費することにもなる。
1998年に制定されたオーフス条約は、人々が情報にアクセスできる権利と、政府の意思決定に参加する権利の重要性を打ち出した。この条約は現在及び将来世代のすべての人々の、健全な環境のもとで生きる権利および知る権利を前提とするものだ。
オーフス条約の第一の柱は人々の情報へのアクセス権だ。この意味は、公共機関は主要な環境政策にかんする情報を収集し、適切なタイミングおよび透明性のある方法で、一般に公表しなければならないということだ。第二の柱は、意思決定に際しての市民参加の権利だ。人々は関係のある全てのプロジェクトについて知らされなければならず、また意思決定および立法プロセスに関与する機会を与えられなければならない。
情報へのアクセス権と意思決定への市民の参加権は、たとえば原子力発電のように技術的でかつ論争のある物事について特に重要だ。情報の欠如は、ライナス・レアアース製錬工場問題で市民グループと近隣住民による訴訟チームが情報不足によって立ち向かわなければならなかった大きな壁のように、人々に大きな不利益をもたらす。反対に、人々が権限を与えられ、誠実に相談されたなら、政府の意思決定の質は向上するうえ、その成果はより受け入れられ、手続きの正当性は信頼と責任感を生み出すことだろう。
カマル・マルホトラ元国連常駐調整官兼国連開発計画駐在監督官(マレーシア・シンガポール・ブルネイ担当)は、マレーシアの原発導入について、「人々が民主的な意思決定プロセスに参加することが不可欠だ。そこで、計画についての疑問や質問が双方向に議論され、彼らの懸念が聞き取られ、真剣に考慮されたと関係者が確信できなければならない。原発プロジェクトにおいては、広範囲にわたる情報と事実の開示の後、実効性のある市民参加が国レベルと地域レベルの両方でおこなわれる必要がある」と指摘した。さらに「市民が、原発にまつわる社会的、倫理的、政治的な問題提起をすることを許さなければならず、また原発とその他の代替手段の比較対照が必要で、長寿命の放射性廃棄物や気候変動の負の影響、資源枯渇などの将来世代に繰り延べられる負債についての分析を含まなければならない」とも指摘した。
まるでバスが乗客を乗せずに走りだすかのように
国家として、もし我々が、エネルギー生産のためにあえて原子力技術を受け入れることを決定した場合、マレーシアの原子力エネルギー計画遂行機関であるMNPCは極めて重要な存在となる。しかしながら、MNPCが現在おこなっている作業は、政府が市民の意味ある意思決定プロセスへの参加を受けた後におこなわれるべきことだ。政府は物事の順序を誤っている。
現在のマレーシア政府の行動は、まるでバスが乗客を乗せずに走りだすかのようだ。本当に人々の利益を中心に据えた責任ある政府ならば、バスの運転を止めて乗客のもとに戻り、どこへ向かいたいのか、どういった道順を取りたいのかを議論して、全ての乗客が乗り込んでから発進するべきだ。
マレーシアの市民社会は、原発の問題に詳しくならなければならない。原発にまつわる議論は多岐に渡り、そして、原発推進側の人間による情報操作もあふれている。ノーベル賞を受賞した「社会的責任を負う医師団」は「原子力産業の歴史は秘密と隠蔽と矮小化でできている。その文化が今日も蔓延していることは明らかだ」と指摘している。原子力産業がマレーシアに原子力を受け入れるようおおっぴらに圧力をかけてくるときに備えて、マレーシア市民社会は、問題をよく知り、効果的な対応が出来るよう備える必要がある。マレーシアの現在及び将来世代と、この地域の人々の権利がかかっているのだから。
*本稿で述べられた意見、見解は、筆者個人のものであり、筆者の所属する組織のものではありません。
(翻訳:松久保肇)
1) www.iea.org/statistics/statisticssearch/report/?country=MALAYSIA&product=Balances&year=2012
2) 国民一人あたり国内総生産1万ドル以上