長尾さんに労災認定 切り捨てられてきた原発労働者の救済を!
長尾さんに労災認定 切り捨てられてきた原発労働者の救済を!
渡辺美紀子(原子力資料情報室)
「原発で働き、被曝して多発性骨髄腫になった」と労災申請していた長尾光明さんに対して、福島・富岡労働基準監督署は1月13日付けで業務上疾病として認め、19日、その通知が長尾さんのもとに届き、認定されたことがわかった。白血病以外の認定は初めてで、今後認定枠を拡大させるという大きな意味をもつ決定だ。
長尾さんは、6年前に発症した多発性骨髄腫という病気に苦しみながら、「原発の作業でたくさんの労働者が被曝している。私のように訴えてほしい。そのためにも勝たなくては」と、この日を待ち望んでいた。
2月14日の長尾さんの労災認定報告討論全国集会では、長尾さんから「支援して下さったみなさまへのお礼」のビデオメッセージが届いた。
この問題を本誌で伝えた直後から深い関心を寄せ、署名などに取り組んでいただいた全国のみなさんとともに、よろこびを分かち合いたい。
困難だった労災申請から認定までの経過
長尾さんが、身体の異常を感じたのは、86年に定年退職してから6年経った頃だった。血圧が変動し、首が痛みはじめ、98年には前歯が折れ、次いで頚椎骨折が起き、多発性骨髄腫と診断された。その後も鎖骨から肩にかけての痛みが続き、左鎖骨の病的骨折で手術、放射線や抗がん剤治療を受けてきた。
長尾さんは、病気が原発で働いたときの被曝によると確信し、かかりつけの医師をはじめ、区役所、労基署、大学病院などに相談したが、被曝が原因とは認められなかった。地元の労基署で放射線管理手帳を出すと、「もう時効だ」と言われたという。新聞でチェルノブイリ被災者の救援の記事を見つけ、阪南中央病院の村田三郎医師と出会い、ようやく労災申請の道が開けた。関西労働者安全センターが長尾さんとともに申請の手続きをし、広く支援運動の呼びかけを行なった。
2002年11月に大阪中央労基署に提出した申請は、書類不備で差し戻される。長尾さんの雇い主であった石川島プラント建設(株)(IPC)に事業主証明に関して連絡をとるが、「元請けがわからない。調べる」ということで回答がないまま1カ月が過ぎる。福島・富岡労基署にIPCへの指導を要請した直後、ようやくIPCから「元請けは東芝」との回答があったそうだ。東芝の事業主証明が2003年1月8日付けで出され、9日再提出。大阪中央労基署から、長尾さんが最後に従事した福島第一原発を管轄する富岡労基署に回送された。富岡労基署は、長尾さんと関連会社からの資料収集、事情聴取を行なった後、業務上・業務外の判断を厚生労働省にあずけた。
5月16日、関西労働者安全センターは、福島・双葉地方原発反対同盟とともに、富岡労基署に対し、早期認定、認定幅の拡大、法規遵守・監督強化・監督指導実績などの開示を求める申し入れを行なった。翌17日には現地支援集会が開かれた。
6月には、長尾光明さんの労災認定をかちとる会が発足し、7月に学習会や厚労省交渉、東京電力交渉などを行ない、11月には全国に署名を呼びかけた。
厚労省は、電離放射線障害の業務上外に関する検討会(座長:酒井邦夫・新潟大学医学部放射線科教授)をたちあげ、2003年10月から月1回のペースで開催し、3回目の12月11日の検討会で業務上の疾病と結論を出した。
2月13日、厚労省に全国から集まった34116人の署名を提出し、①十分な情報公開を行なうこと②東芝など事業主、東京電力に対する徹底した調査を実施し、その結果を公表すること③放射線作業従事者に対する健康管理対策、労災補償の再検討、改善を行なうこと④多発性骨髄腫を職業病リスト例示疾患に加えること――などを要請した。出てきた担当者には労働者の安全衛生面を担うという意識がとぼしく、得られた回答は、多発性骨髄腫を職業病リスト例示疾患に加えることを次の検討会の課題にすることを確認したことと、ホームページで公開されることになっている検討結果の基礎となった多発性骨髄腫に関する疫学研究の文献レビューのコピーを出しただけだった。
電離放射線障害の業務上外に関する検討会は、個別事案のため非公開とされ、配布資料と簡単な議事概要をホームページに示しただけだ。厚労省は、どのような審議過程を経て、どのような根拠で今回の認定をしたのか明らかにすべきである。
長尾さんの労災認定のもつ意義と問題点
日本で原発が稼働してすでに37年が経過したが、原発労働者が被曝労働に起因する病気にかかったとして労災申請した事例は、わずか14例(うち3件はJCO臨界事故によるもの)にすぎない。いかに申請への道が困難で、多くの原発労働者が切り捨てられてきたかがわかる。
これまで業務上疾病として労災認定された5人はすべて白血病で、その他の疾病はいずれも却下されてしまってきた。長尾さんの多発性骨髄腫が認定されたことは、認定枠を拡大させ、その他のがんの認定にも道を開くことになる。とくに、悪性リンパ腫など、白血病類縁疾患の認定の可能性が拡がることを期待したい。
今回の認定の大きな決め手となったのは、長尾さん自身が作成していた克明な作業環境と被曝線量の記録、健康診断結果である。一般的には、被曝したという事実を証明する「放射線管理手帳」は会社が管理していて、労働者の手元にはない。放射線被曝の危険性についての教育もほとんどされないまま、自分がどれだけ被曝したかという認識もなく働かされている場合が多い。また、がんなどの病気は被曝してから発症するまでの潜伏期間が長いことも、被曝労働との因果関係を証明することを困難にしている。
被曝線量と健康診断の記録の保存は、2001年4月1日の改正で30年間となったが、それ以前は5年ときわめて短かかった。下請け労働者の場合、倒産などで事業所が消滅することも多く、労働者の被曝や健康診断の記録が消失している場合がある。放射線影響協会が運営する放射線従事者中央登録センターは、本人が申請しても、被曝記録を明らかにしない。事業所に問い合わせても誠実に対応しないことや企業からのさまざまな圧力がかかり、労災請求の機会を失ってしまうこともある。行政機関はこれらの問題を重視し、早急に改善しなくてはならない。
離職後の健康管理対策を
放射線影響協会が行なっている「原子力発電施設等放射線業務従事者に係わる疫学調査」(第Ⅱ期調査1990年~99年の調査)では、50ミリシーベルト以上の被曝をしている労働者は1万人を超えた(11551人)。がん・悪性新生物での死亡は2138人、白血病は23人、多発性骨髄腫は8人となっている。
しかし、この疫学調査は死亡調査にもとづくもので、長尾さんのように生存して闘病中の数は不明だ。また、これらの病気は潜伏期間が長いので、離職後に発症することが多いであろう。厚生労働省はただ労働者からの労災申請を待つだけではなく、これらの病気の登録制度を早急に整える必要がある。そして、50ミリシーベルト以上の被曝をした労働者の罹患調査を行ない、健康管理手帳を交付するなど、具体的な対策を講ずるべきだ。
作業現場の汚染実態を明らかに
「原発のなかは気圧を下げているので、空気は乾燥して息苦しい。暗くて図面は読めないので全部頭に入れておくが、熱くて頭がぼぉーっとしてしまう。現場は段差も多くてあぶない。いっしょに働いた仲間たちで病名もわからないまま死んだものも多い」(長尾さんの話から)
重要なことは、長尾さんの被曝の8割をもたらした福島第一原発で起きていた、燃料棒破損事故が原因とされるプルトニウムなどアルファ核種による汚染の事実の解明だ。1978年から82年にかけて、労働者の被曝線量は、それまでの年の3倍にもなっている。その時期、働いていた人たちの健康が心配だ。東京電力は情報を開示する責任がある。また、東芝、石川島播磨重工、IPCなどの企業、原発労働者の安全衛生を監督する行政機関の責任を徹底的に追及するなど、課題は多い。みなさんとともに、これらの問題に取り組んでいきたい。