原発労働の闇に司法の光を ―福岡地裁不当判決を乗り越えて―

 『原子力資料情報室通信』第504号(2016/6/1)より

 弁護士 池永修

1.原発労災梅田裁判

 2016年4月15日、福岡地方裁判所は、原発労働の放射線被ばくによって心筋梗塞を発症したとして労災認定を求めていた福岡市在住の元原発労働者、梅田隆亮さん(81)の訴えを退ける判決を下した。
 梅田さんは1979年、島根原発1号機と敦賀原発1号機の定期検査に配管工として従事した。梅田さんと同じように全国から集められた労働者は、名ばかりの安全教育により放射線被ばくの危険性も教えられないまま、超高線量の原子炉内に送り込まれた。原子炉内の余りの暑さや息苦しさから防護マスクを外したり、作業を中断させるアラームメーターなどの計器類を外し、他人に預けるなどして被ばく労働に従事した。線量記録の改ざんも横行していた。
 原発の定期検査を終えると、原因不明の鼻出血や吐き気、めまい、全身倦怠感等に襲われて医療機関を転々とし、長崎大学で行なわれた精密検査によってコバルト、マンガン、セシウムなどの内部被ばくが確認された。労災の申請を試みた梅田さんに対して元請会社からの圧力がかかり、僅かな見舞金と引き換えに、健康な体と誇りとしていた配管工の職も失った。
 その後も原爆ぶらぶら病のような全身倦怠感に苦しみ、2000年に心筋梗塞を発症した。「心筋梗塞の発症は(諸要因に加え)1979年当時の被ばくが関与している可能性は否定できない」との長崎大学病院医師の協力を得て労災を申請した梅田さんに対し、国は「被ばく線量は事業者提出の記録上8.6mSvに過ぎない」などとして労災を認めなかった。
 2012年2月、梅田さんは労災給付不支給処分の取消しを求めて福岡地方裁判所に提訴した。これが原発労災梅田裁判である。

2.再び光が当てられた原発労働の闇

 約4年に及ぶ第1審の審理は、その大半が1979年当時の原発労働の実態に再び光を当てることに費やされた。
 フォトジャーナリストの樋口健二氏の著作「闇に消される原発被曝者」(三一書房1981年)やジャーナリストの柴野徹夫氏の著作「原発のある風景」(未来社1983年)など、当時の原発労働の実態を克明に記録した文献が出版されており、そこには他ならぬ梅田さんの当時の証言も残されている。
 また長年、原発銀座と呼ばれる若狭の原発労働者の聴き取り調査を行なってこられた高木和美氏(岐阜大学教授)による膨大な研究成果は、当時の原発労働者の実態を知り、原発労働者を取り巻く社会的背景を解明する上で極めて重要であった。
 裁判では、梅田さんをはじめ、当時の原発労働の実態を知る元原発労働者たちが歴史の生き証人として証言台に立った。原告側証人として証言台に立った2名の元原発労働者(斉藤征二証人、升元弘証人)は、いずれも悪性腫瘍や眼疾患、甲状腺疾患、循環器疾患など放射線被ばくの影響と疑わざるを得ない満身創痍の身体で、命がけの証言を行なった。以下、その一部を紹介する。
 原発は、13ヵ月に1回の定期検査が法令によって義務付けられている。原子炉内部の定期検査や補修工事は、科学技術が進歩した今日でも、生身の人間によって支えられている。
 原発1基の定期検査には、多いときで4,000~5,000名の労働者が必要になる。超高線量の作業環境下では労働者1人当たりの作業時間が極端に制限され、人海戦術が行なわれる。そのための「被ばく要員」として大量の労働者が必要となる。このような労働者の圧倒的多数は、全国からかき集められた原発ジプシーと呼ばれる日雇い労働者たち、そして原発に産業を奪われ、ほかに働く場所がない地元住民たちである。
 放射線業務に従事する労働者の許容線量は、法令によって規制されている。このような規制を厳密に遵守しようとすれば、事業者は、許容線量を超えた労働者の代替要員を次々に補充しなければならなくなる。代替労働者の確保は必ずしも容易ではなく、コストの増加や工期の遅れを招く。
 下請け労働者にとって、許容線量を超えてしまうことは失業を意味する。技術者として作業に従事する労働者にとっては、任された仕事を完結させないまま作業を終えることは職業的な責任感が許さない。このような双方のいびつな利害が一致したところに原発労働は成り立っている。
 1980年に敦賀原発で働いた経験もある斉藤征二証人は、「原子炉内の作業に放射線管理者は立ち会っておらず、防護マスクをずらしたり計器類に不正をしても誰からも注意を受けることなどなかった」、「自らも放射線管理者から管理区域立入カードに線量計の数値よりも低い数字を記載するよう指示され、しかも、そこで記載した鉛筆書きの数字すらも後日書き換えられていた」など、当時の杜撰な被ばく管理の実態を自らの経験に基づき証言された。
 事業者から提出された梅田さんの線量記録にも、被ばく労働に従事したはずの1979年2月中の線量が記載されていなかったり、当時鉛筆書きで記載した高い線量の数字が全て消され、30、50、10、10、10(単位はいずれもミリレム)といった切りの良い数字の羅列に書き換えられていることが、梅田さんの証言により明らかにされた。
 高木教授が集積された原発労働者の証言1)には、「“工作室のおっちゃん”がいて、工具を借りに行った時に線量計を預かってもらった。おっちゃんは、『預かっておいちゃるで』と言った。一緒に行くわけではないから放射線管理担当者はその時見ていない」(電力会社正社員の証言)。「労働者自身が、フィルムバッジとポケット線量計を、実際に作業する場所とは違う場所に置くと、線量を低く記録できた」(元1次下請正社員の証言)等の、原発労働者が進んで被ばく線量を低く見せようとしていたことを示す証言が多数存在している。
 梅田さんも、このような線量のごまかしを行なっていたことを樋口健二氏の前記著作の中で認めている。裁判では、東北から来たグループの同宿の“おいさん”が小さな段ボールのような箱でグループごとにみんなの線量計を預かってくれた。梅田さんたちも、その“おいさん”に名前を書いた紙とともに計器類を預けていたという当時の状況が克明に証言された。

3.梅田さんの被ばく量に対する科学的解明

 このような原発労働者の証言による原発労働の実態解明と併せて、梅田さんの被ばく線量を科学的に解明する作業も進められた。事業者が提出した当時の作業指示書等の資料には、梅田さんが作業に従事したとされる作業場所の雰囲気線量が記載されている。この雰囲気線量を手がかりに、梅田さんの被ばく線量の推定計算が行なわれた。この作業には、三好永作氏(九州大学名誉教授)、森永徹氏(元純真短期大学講師)、永井宏幸氏(理学博士)、岡本良治氏(九州工業大学名誉教授)、豊島耕一氏(佐賀大学名誉教授)ら九州の科学者が協力してくださった。
 この推定計算の結果、梅田さんの被ばく線量は、島根原発においては、最小でも2.9mSv、最大で127.4mSv。敦賀原発においては、最小で19.1mSv、最大で206.3mSvという結果となった。しかもこの試算ですら、配管の開放などによって作業環境の汚染度が高まった状態を反映できていないなど、過小評価の可能性があるという。
 1979年当時の梅田さんのホールボディカウンタの再解析も行なわれた。この作業には、矢ケ崎克馬氏(琉球大学名誉教授)が協力してくださった。その結果、当時の梅田さんの体内からは、半減期の短いヨウ素131などの核分裂生成物のスペクトルが検出されていたことが新たに判明し、国が主張する被ばく線量は内部被ばくにおいても著しい過小評価であることが明らかとなった。
 また、敦賀原発の作業を終えた1979年6月、原因不明の鼻出血や吐き気、めまい、全身倦怠感等の諸症状を訴えて医療機関を受診しており、九州大学病院の当時の医療記録が奇跡的に現存していた。
 この医療記録については、松井英介医師(岐阜環境医学研究所所長)の協力により医学的な解明が行なわれ、当時、梅田さんに発症した諸症状が急性放射線症であった可能性が指摘された2)。

4.放射線被ばくと心筋梗塞の関連性をめぐる攻防

 原爆被爆者を対象とした放射線影響研究所の疫学調査において、非がん疾患のリスクの増加が認識されるようになったのは1992年LSS調査3)第11報に至ってからのことである。近年、急速に知見の集積が進んでいるものの、いまだ未解明部分も多い。
 国は、放射線影響研究所の疫学調査で「現在得られている0.5グレイ未満の結果は統計的に有意ではない」とされていることなどを根拠に因果関係を争った。これに対し、三好名誉教授らのグループは、この疫学調査を統計学的に解析し、リスクの増加が94%という極めて高い確率で支持されていることを明らかにし、「有意ではない」の一言でこのリスクを切り捨てようとする国の姿勢を厳しく批判した。
 また、三好名誉教授らの尽力により、低線量域において虚血性心疾患のリスクが有意に増加している最新の疫学調査の結果が集積され、松井医師の協力により、放射線被ばくが心筋梗塞発症のリスクとなる医学的なメカニズムも明らかにされた。

5.福岡地裁不当判決

 しかし、福岡地裁は、機械的に読み取られる「外部被ばく線量記録の数値を改ざんすることは困難である」といった形式論を並べて線量記録の改ざんを否定し、「放射線管理員等の監視の目もある原子力発電所の管理区域内において、そのようなことが容易に実行し得たとは考え難い」などとして計器類を預けたという事実も否定した。
 梅田さんに当時発症した急性放射線症様の諸症状には完全に目をつむり、被ばく線量を記録上の8.6mSvと認定した上で、この被ばく線量は「CTスキャン1.5回分にも満たない程度の低線量」などとして心筋梗塞発症との因果関係も否定した。
 この判決は、原発労働の生き証人が証言した原発労働の実態から目を背け、放射線被ばくの実態や因果関係の証明において末端のいち労働者に過酷な証明責任を課す、極めて不当な判決である。

6.たたかいの舞台は控訴審へ

 「今も福島で生み出されている被ばく労働者のために、命ある限りたたかい続けたい」。このような梅田さんの決意表明を受けて、たたかいの舞台は福岡高等裁判所へと移された。
 私たちは、これから始まる控訴審の審理の中でも、歴史の闇に葬り去られようとしている原発労働の実態に再び光を当てるべく、徹底した事実審理を求めていく予定だ。この裁判に勝利するためには、一人でも多くの元原発労働者たちに原発労働の真実を語っていただかなければならず、そのためには、より広範な市民の理解と支援の広がりが必要だ。
 そもそも原発は、過酷事故など起こさなくても、おびただしい数の労働者を人海戦術に用い、労働者の生命や健康を人柱にすることによって初めて成立する非人道的な発電技術である。
 放射線従事者中央登録センターには原子力施設における放射線業務従事者として約59万人(2015年3月時点)が登録されているが、同月現在、放射線被ばくを理由として労災が認められたのは僅かに13件である。つまり、原発の経済合理性は、梅田さんたちのような原発労働者の生命、健康を何の補償もなしに搾取することによって成立している。
 すべての原発の廃炉を願う市民の皆さんの、より一層のご理解とご支援をお願いしたい。


 

1)高木教授と労働者との約束によりいずれも匿名とされている。

2)国が定める電離放射線に係る疾病の業務上外の認定基準において急性放射線症が生ずるのは「おおむね50レムを超える場合」(50レム=500ミリシーベルト)とされている。  

3)寿命調査、Life Span Study。広島・長崎の被爆者約94,000人と“非被爆者”約27,000人を追跡調査した。

 原発労働裁判・梅田さんを支える会事務局: grssasaerukai@gmail.com

原子力資料情報室通信とNuke Info Tokyo 原子力資料情報室は、原子力に依存しない社会の実現をめざしてつくられた非営利の調査研究機関です。産業界とは独立した立場から、原子力に関する各種資料の収集や調査研究などを行なっています。
毎年の総会で議決に加わっていただく正会員の方々や、活動の支援をしてくださる賛助会員の方々の会費などに支えられて私たちは活動しています。
どちらの方にも、原子力資料情報室通信(月刊)とパンフレットを発行のつどお届けしています。