【原子力資料情報室声明】憂うべき東京電力刑事裁判判決

憂うべき東京電力刑事裁判判決

2019年9月27日
NPO法人原子力資料情報室

さる9月19日、東京電力福島第一原発事故をめぐる強制起訴裁判で東京地裁は元東京電力経営陣の責任者3名に、無罪判決を下した。
判決要旨を読み、言語道断な判決だとおもう。裁判官の科学・技術に関する見識、および人間としての倫理・道義観とを疑う。

 マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震による地震動と巨大な津波とが東京電力福島第一原発の1~3号機のメルトダウンを引き起こしたことは間違いない。惨事に至る第一撃は地震動による細管損傷であるとしても、津波が決定的な破局をもたらしたことは事実である。その「津波が襲来する可能性について、どの程度の信頼性、具体性のある根拠を伴っていれば予見可能性を肯認してよいのかという点に争いがある」と裁判長は言う。

 原子炉では「止める・冷やす・閉じ込める」の三つの機能を確実に守ることが惨事を防ぐ基本だが、裁判長が言うように、「予見可能性」は認められなかったかどうかの一点に限っても、判決は誤りである。地球科学のすぐれた専門家たちが議論をつくして、国の公的機関「地震調査研究推進本部」で公表した2002年の「長期評価」を捨て、異論のある専門家たちの意見に与したのは何ゆえか。東京電力を救うための方策だったのではないか。

 科学・技術の分野で見解が分かれるとき、もっとも批判的・悲観的な見解に従うことが、全知全能ならざる人類が取るべき鉄則である。これは予防原則とも呼ばれ、現代社会に生きる私たちにとって基本の考え方である。当時の社会通念の反映としての法令や規制、指針、審査基準の在り方などに照らしあわせてもなお、しかりである。法令などが常に不完全なものであること、とくに自然現象に対して科学が本質的に抱える曖昧性を考慮すれば、この鉄則に従わねばならないのだ。そうでないと、科学・技術が高度に発達した現代社会において、ふつうの市民たちの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法第25条)が侵害されるのである。東京電力経営陣の誤った判断の結果、現実に、かぞえあげることが出来ないほど多くの犠牲が出たのである。そうであるから、原発の運転を差し当たって止めることに躊躇してはならなかったのである。

 このたびの裁判の過程で、東電社内のさまざまな事実経過や隠蔽工作など、そして経営陣の方針・判断の内容が明らかにされた。これらはじつに貴重な情報である。営利を追求する私企業が原発を運転することの危険性が広く知られるようになった意味は大きいと言わねばならない。                                

以上

→9月30日に 指定弁護士が控訴の手続きをおこないました。

 控訴審で引き続き東電旧経営陣の罪が追及されます。

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