「科学的に安全」とは?(2) 小児甲状腺がんをめぐる混迷
原子力資料情報室共同代表 山口幸夫
この2月から顕在化した新型コロナウイルスへの対処という予想外の事態もあって、福島で子どもたちの甲状腺がんの検査が滞るようになった。検査を縮小しようという声は以前からあったのだが、これを契機に声が大きくなったという(東京新聞、2020・5・24)。
福島県で小児甲状腺がんは多発したのかどうか。放射線被ばくの影響があるのかどうか。さまざまな発言を見てみよう。
1)あの3・11の10日後、福島市で500名ほどの聴衆に対して、「放射線の影響はニコニコ笑っている人にはきません」と発言した放射線災害の専門家がいた(山下俊一長崎大副学長)。
20年3月4日の「子ども脱被ばく裁判」で証人として出廷した山下氏は、原告側からその真意を問われ、「緊張を解くためだった」と言い訳した。政治家ならいざ知らず、医学という分野の専門家の発言としては許されるものではない。人々が知りたかったことは、放射性物質の健康影響についてだったはずである。これから生きていくうえで、どのように覚悟して、どのような方針を選択するか、とくに子どもを抱える人たちは、信用できる専門家の示唆が欲しかったにちがいない。
2)20年2月はじめ、福島県立医大が主催して、「第2回放射線医学県民健康管理センター国際シンポジウム」が福島市で開かれ、海外からも3名の専門家が参加した。シンポジウムの目的は「よりよい復興を、ともに~県民健康調査の今:甲状腺と心の健康~」とある。
本誌549号の6ページに、福島県民健康調査などで確認されている小児甲状腺がんに関する詳しいデータが2つの表でしめされている。そのシンポジウムでの鈴木真一氏(福島県立医大)発表データである。先行調査で約30万人、その後の3回の本格調査で27万人、21.8万人、13.7万人を診断した。その結果、先行調査と本格調査を合わせて、悪性・悪性疑いは237名が確定し、手術は187名に対しておこなわれた。「小児甲状腺がんは通常では100万人に1~3人の発症と言われていますから、これらは明らかに多発です」(崎山比早子、「高木学校通信」、127号、2020・4・2)。
3)福島県立医大で、甲状腺がん手術を180例について執刀した鈴木氏は、診断結果から、ほとんどが手術の必要があったもので、過剰診断が無いとは言い切れないが、極めて限定的だ。子どもたちに小児甲状腺がんが多発しているのは、精緻な超音波診察を大規模におこなった結果のマススクリーニング効果によるものだと説明した。そして、「福島での小児若年甲状腺がんの発症増加のリスクに放射線の影響があるかないかを検討するために長期にわたり続けなければならない」と述べた。
4)福島県県民健康調査検討委員会甲状腺検査評価部会が、19年6月に公表した「甲状腺検査本格検査(検査2回目)結果に対する部会まとめ」によると、
先行検査における甲状腺がん発見率は、わが国の地域がん登録で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推計される有病率に比べて、数十倍高かった。本格検査(検査2回目)における甲状腺がんの発見率は、先行調査よりもやや低いものの、依然として数十倍高かった。
とある。その「部会のまとめ」の所見には、現時点において、甲状腺検査本格検査(検査2回目)に発見された甲状腺がんと放射線被ばくの間の関連は認められない」とある。そして、今後の評価の視点について、「より詳細な推定甲状腺被ばく線量を用いて、交絡因子等を調整した症例対象研究や前向き研究として、線量と甲状腺罹患率との関連を検討する必要がある。」としている。
5)チェルノブイリと福島とを比べて、甲状腺被ばく量が桁違いだとして、がん専門家のひとりは次のように述べる。「福島では、もともと子供たちが持っていた「無害な」甲状腺がんを、精密な検査によって発見しているにすぎません。がんが「増加」しているのではなく、「発見」が増えているのです。小児甲状腺がんの検査は東京で行っても、福島と同じ割合で患者が見つかります。福島での甲状腺検査を中止することが医学的には望ましいと言えるでしょう。」(中川恵一、FBニュース、No.519,20・3・1)
上に紹介してきたことと正反対で、福島での検査をやめよ、と言っているのである。
6)あの事故後の福島県民の被ばく量は、混乱の中で、避難に右往左往し、気象の変化、放射能雲の流れ、情報の乱れなどによって、はっきりとは判っていない。避難所でのサーベイメーターによるスクリーニングは当初の判断目安13,000cpmから100,000cpmに引き上げられ、記録もあいまいだった。甲状腺の被ばく検査も当初はおこなわれなかった。
甲状腺がんの罹患率に地域差があるか、ないか。避難区域等13市町村、中通り、浜通り、会津地方の4つの地域に分けたデータがある。1巡目と2巡目のデータを比べると、2巡目では地域差があるようにみえる。しかし、評価部会(鈴木元座長)は2巡目の解析を1巡目とは別の方法に変えて、「甲状腺がんと被ばくとの関連は認められない」と結論した。委員の中には、「因果関係については、肯定・否定とも断言することは出来ないと考える」と、慎重な意見があった(上記、4)の文書)。
7)小児甲状腺がん発症の基本データ
1986年4月のチェルノブイリ原発事故で、放出された放射性ヨウ素(ヨウ素131、半減期8日)によって、ロシアとベラルーシの子どもたち(15歳未満)に甲状腺がんが多発したことは知られている。その特徴のひとつは発症時期のことで、事故後4年目あたりから急増した。小児10万人当たりの罹患率は、ほぼゼロ人から4年目に2人弱、9~10年目にはベラルーシで6人、ロシアで11人。ウクライナでは、ほとんど増えてはいない。(環境省、平成28年度版:UNSCEAR2000年報告書)。
3・11後、福島では、これまで見てきたように、ずっと議論になってきた。しかし、議論のベースに必要な福島の子どもたちの被ばく量、とくに、甲状腺がヨウ素131によってどれだけ内部被ばくしたかが、よく分かっていない。
日本全国についてのデータの一部を表にしめそう。10万人あたりの数字である。これで見ると、100万人当たり、1~5人の発症と言える。全国の場合、健康に問題があった子に検査がされたであろう。1975~2017年の男女計、女、男、それぞれ5歳幅で85歳以上まで、毎年のデータがある。甲状腺がんは年齢が進むと普通に見られるがんだが、小児甲状腺がんはめずらしいがんであることがわかる。
だが、福島では精緻な超音波検査と、先行調査で81.7%という高い検査実施率になっていることに注意せねばならない。直接的な比較ができない。
科学的に論ずる際に、信頼できて元になるデータが不可欠だが、それが無いので、福島県の子どもたちの甲状腺検査はやめるわけにはいかない。科学的に何かを言うためには、未だ道半ばであろう。
(未完、不定期掲載)