放射線防護の民主化に向けて

『原子力資料情報室通信』第594号(2023/12/1)より

慶應義塾大学商学部、 原子力市民委員会・福島事故部会メンバー

 濱岡 豊

ICRPと勧告、 勧告改訂プロセスにおける問題
 福島原発事故後に20mSv/年を基準に、 校庭の使用が許容され、 除染の長期目標として1mSv/年が設定された。 これら基準は、 国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づいている。 基本勧告の最新版は2007年 に 刊 行 さ れ た 「ICRP Publication(以 下Publ.) 103 国際放射線防護委員会の2007年勧告」 ⅱであり、 これに基づいて、 放射線治療、 放射線診断など、 各分野特有の問題に注目した勧告がまとめられる。2009年には緊急時被ばく状況、 およびその後に基本勧告を適用したPubl.109ⅲとPubl.111ⅳが刊行されていた。 これらでは、 緊急事態では20-100mSv(急性もしくは年間)の範囲から参考レベルを設定し、 中長期的には1-20mSv/年の範囲の下方に参照レベルを引き下げ、 長期的には1mSv/年を目指すとされている。 上述の数値は、 これらの勧告に基づいて決定された。
 2020 年、 ICRPは、 上 述 の Publ. 109とPubl.111を1つにまとめたPubl. 146を刊行したⅴ。 その改訂段階ではパブリックコメントが行われⅵ、 草稿の内容に問題があるとした市民団体が勉強会ⅶを開催し、 日本語でも受け付けたことなどもあり、 300通以上のコメントが寄せられた。 それらのほとんどは批判的な内容であり、 「参考レベルの変更のように見える部分もあり、 基本勧告改訂後に行うべき」「共同専門知は除染や測定を被災者に行わせることによって、 電力会社や政府など原発事故の責任を免除している」 など、 根本的な指摘も含まれるが、 マイナーな改訂によって発刊されたⅷ。 ICRPの2007年(基本) 勧告などでは意思決定へのステークホルダーの関与が謳われているが、 重要なステークホルダーである被災者を含む市民の声を無視して改訂されたのである。

顕在化した 「ゆがめられた科学」
 放射線防護に関しては、 原子放射線影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が科学的知見をとりまとめ、 ICRPが勧告を作成、 それが国内に取り入れられる。 UNSCEAR が福島原発事故についてまとめた、 「2020/21福島報告書ⅸ」 については、 「放射線関連のがん発生率上昇は みられないと予測される」 というニュースリリースⅹの印象が国内外に浸透しているが、 分析結果をみると、 固形がんの増加が検出される可能性が高いことが示されている。 さらに、 被ばく量の推定のもととなったシミュレーションの結果が、 現実のデータとまったく異なっていることも指摘されているⅺ。
 ICRP2007年基本勧告では、 被ばく量に応じて放射線の健康影響が直線状に増加するという 「直線しきい値なしモデル(LNT)」 を100mSv以下でも 「仮定」 するとされている。 これは被ばく量の低いサンプルから順に用いて推定するという不適切な分析結果に基づくⅻ。 また、 福島原発事故時には100mSvまでは健康影響がないといった誤った説明が科学者によって行われ、 大きな混乱をもたらした。
 福島県で行われている甲状腺検査に関しては、 被ばく量と甲状腺がんの発見率には負の相関があるという結果すら県民健康調査検討委員会、 甲状腺検査評価部会では受け入れられているⅹⅲ。
 委員会や国際的な機関の名を借りて 「科学」 を振りかざすという手法は、 「IAEAによる汚染水放出へのお墨付き」 などでも使われてきた。 放射線防護を考えるためには、 市民も科学的にも正しい知識を得る必要がある。

ICRPの基本勧告の改訂とICRP2023東京
 ICRPは、 2007年に基本勧告(Publ. 103)の改訂作業を開始した。 その一貫として、 この11月6日-9日、 東京でICRP2023年シンポジウムを開催した。シンポジウムの内容が未確定であった2023年3月頃、 偏った情報に基づいた議論が行われないように、原子力市民委員会はICRPに対して次の3つのセッションの設置を提案した。
 “被災した市民の経験を放射線防護に活かすために: ICRP 146改訂のふりかえり”
 “ICRP新基本勧告に向けて:市民の観点から導入すべき点”
 “福島における甲状腺がん”
 あわせて市民の参加・発言を容易にするために、これらを福島で開催すること、 通訳の設置、 参加料金の免除などを要望したが、 すべてを拒否されたⅺⅴ。
 福島原発災害時の放射線防護の最大の問題は、 市民の人権や意向を無視した方策がとられてきたことである。 基本勧告などでは意思決定へのステークホルダーの参加を謳いながら、 ICRP東京での総会にすら市民の参加を認めないICRPのありかたには大きな問題がある。

放射線防護の民主化に向けた提言(案)
 基本勧告が改悪されないようにするためには、 市民も国際機関による報告書や勧告について理解する必要がある。 このために、 ICRP2023東京の直前に福島で対抗イベントを開催すること、 それに先だって、 ICRPの基本勧告などについて学習するための連続ウェビナーⅹⅴを開催することを決定した。
 ウェビナーを通じて 「放射線防護の民主化に向けた提言(案)」 を策定した。 そのポイントは以下の通りである。
(1)放射線防護3原則から市民の人権へ
 被ばくとそれを避けるためのコストを比較する 「正当化」 や 「最適化」 によって 「線量限度」 までの被ばくを許容する体系から、 市民の被ばくを避ける 「権利・人権」 の保護を前提とし、 被ばく自体の低減を目指す。
(2)科学的事実としてLNTを認めて参考レベルを引き下げ、 内部被ばくを再評価するⅹⅵ
(3)策定段階に市民を組みこむ 2007年勧告は15名程度のICRP委員によって策定された。 市民の意向が無視されるのは、 策定段階に市民が含まれていないことも一因である。 新勧告に関しては、 市民、 NGOなどを組み込んだ方法、例えばマルチ・ステークホルダー方式で策定すべきであるⅹⅶ。

放射線防護の民主化フォーラム2023-30 with 飛田晋秀写真展、 減思力展、原子力災害考証館furusato
 11月3-4日に福島市で標題のイベントを開催しⅹⅷ、ICRPに提案した3つのセッションを設置した。 加えて、 「連帯に向けて」 セッションでは、 原爆被爆者や公害問題との関連、 若い世代と連帯するための課題を論じた。 報告とあわせて市民団体、 訴訟団の方々からも、 取り組みなどをアピールして頂いた。 展示会場では3つの展示も行った。 報告会とあわせて見て聞いて感じることができたとの声を頂いた。
 このイベントの目的は、 国際機関、 政府による独裁的な放射線防護についての意思決定権を市民の手にとりもどすこと、 つまり 「放射線防護の民主化」を目指し、 実現する取り組むきっかけをつくることにあった。
 これまでの仕組みを変更するためには長期的な取り組みが必要であり、 今後、 「提言(案)」 の確定、ICRP、 UNSCEAR、 福島県、 福島県立医科大学、 日本政府など関係各所に具体的な提案を行う予定である。
 これまでに参加いただいた方、 未参加の方々ととも緩くつながったフォーラムとして 「放射線防護の民主化」 に取り組んでいきたい。

ⅰ 開催の背景、経緯については www.ccnejapan.com/?p=14386
www.icrp.org/docs/P103_Japanese.pdf
ⅲ Publ.109 緊急時被ばく状況における人々の防護のための委員会勧告の適用
www.icrp.org/docs/P109_Japanese.pdf
ⅳ Publ.111原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用  www.icrp.org/docs/P111_Japanese.pdf
ⅴ 大規模原子力事故における人と環境の放射線防護  www.icrp.org/docs/P146_Japanese_Final.pdf
ⅵICRPが過去に行ったパブコメは下記で公開されている。Publ.146の草稿およびコメントは” Radiological Protection of People and the Environment in the Event of a Large Nuclear Accident”である。 icrp.org/consultations.asp
ⅶ 例えば、原子力資料情報室・第101回公開研究会(2019/09/09)「ICRP新勧告(案)の問題点~パブコメ応募のてびき~」cnic.jp/8697
ⅷ Publ.146の改訂に関するシンポジウムの結果は下記にまとめられている。
「放射線防護とは何かーーICRP勧告の歴史と福島原発事故の教訓」『科学史研究』60巻298号(2021)p.150-174 www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/60/298/60_150/_pdf/-char/ja
濱岡によるコメントは下記。英文に続いて日本語。
icrp.org/consultation_viewitem.asp?guid={874F55E9-4417-458D-B41E-9BFE71D17A5D}
www.unscear.org/docs/publications/2020/UNSCEAR_2020_21_Report_Vol.II.pdf
www.unscear.org/docs/publications/2020/PR_Japanese_PDF.pdf
ⅺ 今回のフォーラムで報告された黒川眞一「UNSCEAR 福島報告書における被ばく量推定の問題」 www.ccnejapan.com/wp-content/3-3_20231103_Kurokawa.pdf         
ⅻ 濱岡 豊(2015), “広島・長崎被曝者データの再分析,” 科学 (9月号), 875-88.
ⅹⅲ 濱岡豊(2020)、 “福島県甲状腺検査の問題点,” 学術の動向, 25 (3), 3_34-3_43 www.jstage.jst.go.jp/article/tits/25/3/25_3_34/_article/-char/ja/.
ⅹⅳ ICRP2023東京への提案に関する経緯→ www.ccnejapan.com/?p=14001
ⅹⅴ 連続ウエビナーについては→「ICRP(再)入門」「ICRP Publ.146における福島の記述の問題点」「ICRP基本勧告の倫理性、科学性に関する根源的批判」「国際人権からみた福島原発事故対応の問題点」www.ccnejapan.com/?p=14426
ⅹⅵ ICRP Publ.146では、「(パラグラフ22)放射線被ばくが被ばくした集団のがん発生確率を増加させることを示す信頼できる科学的根拠がある。低線量および低線量率の放射線被ばくに伴う健康影響については大きな不確かさが残されているが,特に大規模な研究から,100 mSv を下回る線量-リスク関係の疫学的証拠が増えてきている。現在,入手可能なデータの多くは,直線しきい値なしモデルを広く支持している(NCRP, 2018a; Shore, 2018)」とLNTを認める報告を引用している。
ⅹⅶ ICRPと同様、政府から独立した組織である「国際標準化機構(ISO)」は、「組織の社会的責任ガイドライン」をマルチステークホルダー方式で策定した。プロセスの概要は下記を参照。
sr-nn.net/jigyo/seisakuteigen/iso26000
ⅹⅷ フォーラムおよびイベントについては下記を参照されたい。
放射線防護の民主化フォーラム sites.google.com/view/democratize-rp
原子力市民委員会・放射線防護の民主化2020-23 www.ccnejapan.com/?p=14386

 

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