原発事故の対応を左右するICRPの草案

『原子力資料情報室通信』第543号(2019/9/1)より

 6月17日、ICRP(国際放射線防護委員会)は、「大規模原子力事故における人と環境の放射線防護」の草案[※1]を公表した。ICRP2007年基本勧告(Publ.
103)に基づく、2009年の「緊急時被ばく状況における人々の防護のための委員会勧告の適用」(Publ. 109)と「原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」(Publ.111)の2つの勧告を改訂して1つに統合する草案である。
 草案では、大規模原子力事故時の社会・経済・心理的影響を考慮した上で、公衆と環境の放射線防護について述べている。主なポイントは以下の5点。
①緊急時被ばく状況での緊急時対応と、現存被ばく状況での復旧過程への移行を区別する。
②すべての影響を考慮し、線量基準の参考レベルを使用した最適化の原則は、緊急時対応で起きる事態を軽減し、事故の影響を受けた地域の生活状況を改善するために不可欠である。
③緊急時対応の参考レベルは100ミリシーベルト以下とする。一方で、命を守り壊滅的な状況を避けるには、より高い値が必要であることを認識すべき。
④復旧過程の長期汚染地域で、参考レベルは年間1~20ミリシーベルト以下で、10ミリシーベルトを超える必要はない。目標は1 ミリシーベルトのオーダー(甲斐・本間両氏の仮訳[※2]では「1ミリシーベルト程度」)となるよう徐々に低減する。
⑤復旧過程の公衆と環境の防護は、当局・専門家・ステークホルダー(関心のある個人および団体)が協働して相互に専門的取組みをおこない、実践的な放射線防護文化を醸成し、経験や情報を共有する。
 草案の大きな改訂箇所は、④の線量基準に関する提言。Publ.109では、原発事故の緊急時に住民の被ばくが年間20~100ミリシーベルトの間で、避難指示の基準を定めることを推奨している。草案ではこれを「100ミリシーベルト以下」とした。この基準が日本で導入されると、現行の原子力防災計画による避難の基準も緩和されるおそれがあり、避難が可能な人たちに大量の被ばくを強いることになる。草案は、福島原発事故で50人以上が避難途上で亡くなった事実に触れているが、避難計画など基準値以外の問題への言及はない。
 Publ.111では、長期汚染地域の基準は年間1~20ミリシーベルトの下方部分から選択すべきとしていたが、草案では「10ミリシーベルト以下」とされた。1ミリシーベルトのオーダーという表記は、1ミリシーベルト程度にとどまらず、10ミリシーベルト以下ならよいと容認するものだ。費用対効果や社会的要因を考慮に入れて、合理的に達成できる限り被ばく線量を低く保つ「ALARAの原則」[※3]で決まる、と解釈できる。
 大規模な原子力事故では、緊急時および復旧過程の防護基準が厳しすぎると人々に悪影響を与え、放射線防護や被ばくのリスクよりも、震災関連死・避難・帰還の問題など、社会的影響を重視すべきと述べている。100ミリシーベルト以下の被ばくは影響が少なく、被ばくを恐れて避難や移住をするほうが死亡のリスクが大きいというICRPの考え方が前面に出ており、低線量被ばくの影響は軽視されている。
 付属書A・Bではチェルノブイリと福島における事故の経過と、事故後の対策・政策の評価が述べられている。福島の住民との対話や測定の実践で、専門家と被災者が知識を共有したと記述しているが、住み続けたい住民としか対話しておらず、避難者を切り捨てている。
 草案を作成したICRP部会の座長・副座長は、放射線審議会委員の甲斐倫明氏と原子力規制庁の本間俊充氏。9月20日までパブリックコメントが募集され、来年春のICRP主委員会で決定される見通しだ。   

(片岡遼平)

※1 www.icrp.org/consultation.asp?id=D57C344D-A250-49AE-957A-AA7EFB6BA164


※2 drive.google.com/file/d/13Bh4_cJMRYg4YxmK5w_DsxusKRoJB0aO/view


※3 ALARA (As Low As Reasonably Achievable):社会・経済的なバランスも考慮するというが、コスト優先になる恐れがあり、必ずしも被ばくを最小化することではない。