チェルノブイリ被災地での新たな農業を目指して

『原子力資料情報室通信』第447号(2011/9/1)より

チェルノブイリ被災地での新たな農業を目指して

NPO法人チェルノブイリ救援・中部 河田昌東

はじめに
 NPO法人チェルノブイリ救援・中部は、1990年以来チェルノブイリ原発事故によるウクライナの被災者救援活動を行なってきた。ソ連崩壊直前だったこともあり、事故直後は圧倒的な物不足で、被災地への医薬品や医療機器の提供、事故処理作業者等の医療支援が大きな活動内容だった。ウクライナが独立し、次第に経済も立ち直るにつれて医療現場も改善されるようになった。私たちが長く支援してきたジトーミル州立小児病院にはICU(集中医療室)が作られ、州内各地からやってくる子どもたちの治療成績もあがり死亡率も減少した。
 しかし、汚染地域での病気の発生自体は相変わらず上昇傾向にあり、問題の本質的解決には程遠い、というジレンマに私たちは悩んだ。病気の原因は住民の内部被曝と考えられた。事故から15年経っても住民の体内放射性セシウム量は数千~数万ベクレルと高かった(図1)。その原因は明らかで、日常的な食生活にあった。
図1 ナロジチ地区住民の体内放射能(2001年)
 原発から70km南西にあるウクライナのジトーミル州ナロジチ地区は、土壌汚染レベルが185?555キロベクレル(以下kBq)/m2以上もあり、義務的移住対象地域である。ソ連時代に住民の約3分の2が移住したが、ウクライナが独立し経済が破綻して国家による移住は中止された。自主的避難が勧められたが、主力産業の農業と畜産業は崩壊し、約10,000人の住民はそこに留まらざるを得なくなったのである。この人々を私たちは支援してきた。人々の内部被曝を軽減させなければ問題は解決しない、そんなジレンマから新たな活動が始まった。

1.汚染土壌に菜の花を植える

 土壌中の有害物質を生物の働きで減らすバイオレメデーション(Bioremediation)という方法がある。核実験当時から土壌汚染対策として研究が進み、たくさんの論文がある。1年間の調査を行ないその可能性を探った。しかし、ほとんどの論文は大学や研究機関の試験栽培に関するもので、実際に汚染した大地での経験は皆無に等しかった。
 私たちの試みは半ば実験をかねたものにならざるを得なかった。また、現地を訪問するとかつてのコルホーズ(現在の農業企業体)は広大な面積を保有しているにもかかわらず、ガソリンや軽油不足でトラクターも満足に動かせない、という実態があった。
 幸い私たちのグループには長野県伊那市で地域エネルギー自給運動を永年行なっているメンバーがいた。バイオディーゼル油(BDF)やバイオガス(BG)の製造と運転経験があった。彼らの技術を生かせば、ナロジチでバイオレメデーションとバイオエネルギー生産をリンクできるかもしれない。こうして生まれたのが「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」である。その概要を図2に示す。
 事故から20年経って、弱酸性ポドソル質※のナロジチの土壌では、セシウム137(以下137Cs)は地表から約20cm、ストロンチウム90(以下90Sr)は約40cmまで浸透している。これらを植物の吸収力を使って除去する。セシウムはカリウム(K)と、ストロンチウムはカルシウム(Ca)と化学的性質が似ている。植物はそれらを区別せずに吸収するのである。したがって、セシウム吸収には一般的にカリウム濃度の高い植物を使えば効率が良いが、後の利用を考えて私たちはナタネを採用した。

 ナタネ油を採りBDFに利用し、放射能を含む油粕やその他のバイオマスはメタン発酵させてBGをつくり燃料とする。放射能は最終的にBGの廃液に水溶性の形で含まれるが、これはゼオライト等の吸着剤で処理し、最終的には低レベル放射性廃棄物として処分する。バイオレメデーションとバイオエネルギー生産をカップルさせ、循環させる計画である。

2.実施の体制

 事業を実施するに当っては、現地でのさまざまな支援が必要である。栽培条件の設定や放射能、化学分析などはジトーミル市にある国立農業生態学大学の全面的な協力を得ることができた。ナタネの栽培や日常の管理などは、非常事態省所属のナロジチ地区汚染土壌管理ステーションが担当することになった。BDF生産設備もここに設置し運転も担当する。全体の資金管理は、永年私たちと活動をともにしてきたNPO「チェルノブイリの人質基金」が担当することになった。ナロジチ地区行政庁もさまざまな許認可などで便宜を図ってくれる。
 ナタネ畑は、555kBq/m2以上の汚染のある、居住禁止区域の第2ゾーンにあるナロジチ地区スターレシャルノ村(現在住民はいない)を無償で借上げることができた。BDF装置はウクライナではまだ普及していないため日本から搬入した。山形県天童市にあるMSD社の装置で、3.5時間の運転で200リットルのBDFを生産できる。BG装置は既製品がないため、伊那市のメンバーが長期滞在し、設計から製造までを自力で行なった。
 試験的な装置であるため、発酵槽容積は8m3、BG生産量は1日当り2m3の予定である。こうして体制はできたが、実際の事業実施に当ってはさまざまな困難が待ち構えていた。詳細は省略するが、旧ソ連時代のまま残っているさまざまな許認可体制や、永年にわたる社会主義体制が育んだ人々の主体性の弱さが主なものである。

3.始まった菜の花プロジェクト

 20年以上にわたって放棄され、雑草で荒れ果てていたナロジチの土地で、2007年春から土起しが始まり、4月には2ヘクタール(ha)にナタネ(西洋ナタネ:Brassica napus)が植えられた。土起しの際にはたくさんのコウノトリが飛来し、汚染したミミズや昆虫を食べた。鳥たちもまた体内被曝は避けられないが、いつの日かきれいな餌を食む日がやって来ることを願って播種した。
 もともと、この土地にはナタネ栽培の経験がなかった。住民たちはナタネ栽培で土壌が疲弊しだめになる、と信じていた。事前調査に出かけた2006年春に、偶然に大量の西洋カラシナ(Brassica juncea)が自生している場所を見つけ、この地でもナタネが栽培できることを確信した。最も137Csや90Srの吸収効率が良い条件を見つけるため、さまざまな肥料条件で栽培した。①対照の無肥料区、②窒素(N)、リン(P)、KCaの完全肥料区、③Nだけの区、④N、P区、⑤N、K区の5種類である。

 それぞれの区画から土壌や生育中のナタネ、収穫期のナタネを採取し、根や茎、鞘、種子などの化学成分と放射能の分析を行なった。分析はすべて農業生態学大学の准教授ニコライ・ディドフ氏が指導し研究者や大学院学生によって行なわれた。ウクライナではナタネが2種類あり、春蒔きナタネと秋蒔きナタネがある。それぞれに分析試料を採るため年間の分析サンプル数は800検体に及んだ。
 ナタネの収獲量や放射能の吸収度合いは、栽培期間中の降雨量にも大きく左右されるため、この計画は5年間継続し、データを分析して判断することにした。分析の結果等は毎年報告書を作り、最終年度の2012年3月までに最終報告書をかねた政策提言書を作成する。数千万円に及ぶ費用は、会員の寄付の他に旧郵政事業庁の国際ボランティア貯金、地球環境基金、三井物産環境基金、高木基金その他の民間助成金のお世話になっている。
図2 ナタネによる土壌浄化とバイオエネルギー生産(概念図)

4.ナタネ栽培の分析結果

 土壌の汚染レベルは、土壌表面から40cmまでの平均値では、137Csが500~1000Bq/kg、90Srの汚染は100~150Bq/kgであった。90Srは137Csの5分の1~10分の1である。ついでだが、福島の場合は90Srの汚染は極めて少なく無視できる程度である。これは、爆発時の温度の違いと考えられる。

 ナタネの収穫量は、春蒔きの種子は1.5トン/ha、秋蒔き種子は3.0トン/ha である。種子とその他のバイオマスの重量比は、バイオマスが種子の1.7~2倍である。秋蒔きの方が10月~翌年7月と生育期間が長い分収量が大きい。この収量は日本でのナタネ栽培の収量とほぼ同じである。ナタネの汚染はどうだったか。137Csでは種子の汚染が最も高く、肥料条件で違うが200~800Bq/kgであった。

 90Srの汚染もナタネの部位で異なり、茎が最も高い汚染で300~400Bq/kgに及び、吸収効率はセシウムより良かった。これはストロンチウムの方がセシウムより土壌中での水溶性が高いことと関係がある。

 いわゆる移行係数は、137Cs(種子)で0.6~2.0で90Srでは2.5~3.2(茎)であった(ナタネの放射性物質のBq/kg÷土壌の放射性物質Bq/kg、旧ソ連圏ではこれを蓄積係数といい、移行係数はナタネの放射性物質Bq/kg÷土壌の放射性物質KBq/m2で表すので要注意)。137Csの吸収では科学的にも興味深い現象が観察された。

 生育中の開花期までは137Csはバイオマス(植物体)全体に均等に分布しているが、種子が実り収穫期に近づくと、内分布が大幅に変わり、バイオマス全体の60%近くの137Csが種子に移動するのである。これは新たな発見で、生物学的メカニズムを調べる必要がある。90Srにはそうした傾向は見られなかった。

 肥料別ではカリウム肥料は137Csの吸収を抑制する傾向があり、窒素肥料は大幅に137Csの吸収を促進した。しかし、バイオマス全体でみれば、完全肥料区の方が吸収量は多い。事前に予想したことではあったが、種子中の137CsもSr90もナタネ油を絞ると、どちらも検出限界以下(<6~7Bq)でほとんどは油粕に残った。この結果は、汚染地域で栽培してもナタネ油は安全に利用できることを示している。食用や石けんなどへの加工も可能であるが、私たちはこれをBDFに加工し、自分たちの畑のトラクターやトラックに利用している。

 最も気になるのは土壌汚染レベルがどうなったか、である。結論から言えば、土壌中の137Csと90Srを短期間に顕著に減らすことは不可能であった。1年間にナタネで吸収できるのは土壌中の1~3%に過ぎず、土壌を浄化するには数十年かかることになる。これは事故から20年経って137Csや90Srが土壌粒子に固く結合し、植物が吸収できる水溶性成分が少ないからである。これは土壌の性質にも大きく左右されると考えられ、日本の土壌でも同じかどうかは確かめる必要がある。

5.汚染土壌での新たな農業の可能性
 土壌浄化の可能性は難しくなったが、新たな発見によって土壌汚染環境下でも農業復興の可能性が開けた。ナタネには連作障害があり、毎年同じ土壌で栽培はできない。3~4年間空けてまた栽培する必要がある。その間は別の作物を植えるか空地にする。私たちは、ナタネの裏作に蕎麦やライ麦、燕麦、大麦、小麦などを植えた。
 その分析結果によって、私たちはあきらめかけていた汚染地域での農業復興の手がかりをつかんだのである。裏作の作物はどれも極めて汚染が少なかった。ナタネでは500~700Bq/kgあった畑でも、裏作の小麦では検出限界以下、その他の作物でも137Csは10~50Bq/kgでウクライナの食品基準以下であった。90Srは20~40Bq/kgで、食品の基準(20Bq/kg)を超えるものもあったが、家畜飼料としては問題ない濃度である。

 これは、初年度にナタネで水溶性成分を吸収した結果、土壌から固着した137Csや90Srが再び水溶性になって出てくるまでに時間がかかることによる効果である。この発見は、これまで汚染によって農業をあきらめ、永年放棄されてきた農地で新たな農業の可能性を示すものである。汚染があるからといって農業をあきらめる必要はないのである。ナタネ(その他の吸収作物)栽培①裏作作物1(汚染しやすいものでも可能)②裏作作物2(汚染しにくい作物)③ナタネ栽培、の循環を作ることによって、ゆっくり土壌浄化を進めながら、その間も汚染しない作物栽培は可能である。

 この7月にウクライナを訪問し面会した際、ジトーミル州の行政長(知事)は、「日本とウクライナの共同研究の成果を評価し、来年度から汚染地域を含む州内の30万ヘクタールでナタネ栽培とバイオエネルギー生産に着手する」と記者団の前で公表した。現在、その計画策定中である。こうしたウクライナでの経験を福島で生かすことができれば本望である。

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