美浜3号炉の運転再開をやめよ

美浜3号炉の運転再開をやめよ

伴英幸(共同代表)

 関西電力は2年前に事故を起こして止まっている美浜原発3号炉の運転を1月11日に再開すると発表した。この事故では警察が刑事責任に関して調査していたが、その結果と判断は固まり運転再開の直前にも出されると推察される。原子力安全・保安院による事故調査や原子力安全委員会によるこのチェックはすでに済ませている。5名の方が不幸にも亡くなり6名が重症を負う大事故だったがゆえに、運転再開に対するご遺族の気持ちはいかばかりであろうか? 必ずしも納得がいかないのではないか。

 事故は2004年8月9日午後3時22分ごろに起きた。タービンを回した蒸気が水に戻り、低圧給水過熱器で温められ脱気器へと送られる二次系の復水配管が突然に破断し、高圧(9.3気圧)高温(140℃)の水・蒸気が噴出した。同月14日から始まる予定の定期検査の前準備作業が建屋内で行なわれていたために11名が死傷したのである。当日準備作業に携わっていた人は221名、内104名が建屋内にいた。ちょうど3時の休憩のために半数近くの人が外にいた。事故が起きる時間が前後していたら被害者はさらに多かっただろう。

 報道や事故調査報告などによれば、破断した配管の肉厚調査は1976年に運転が開始されてから一度も検査されてこなかった。関電は三菱重工に委託して減肉調査とデータ評価を行ない、1990年に二次系配管の肉厚の管理指針を策定、具体的な点検リストを作成したが、この際、当該箇所がリストから漏れた。関電はその後、三菱重工から日本アーム(関電出資会社)に委託先を変更したが、点検リスト記載漏れはそのままになった。関電が記載漏れをいつ知り、余寿命評価をどのように行なったのか、未だに明らかでないが、遅くとも2003年4月には日本アームがリスト漏れを発見したとされている。

 しかし、2003年5月に予定されていた第20回定期検査では点検せずに21回定検で点検することにした。交換配管の発注や修理に伴う定検期間の延長を避けたかったのだろう。また、2004年7月に大飯1号炉で予測よりも早く配管の減肉が進んでいることを発見したが、美浜3号炉をそのまま運転し続けた。定期検査が1ヶ月ほど先の8月中旬から予定されていたからだろう。

 関電はリスト漏れの発見の報告を日本アームから「受けていない」としているが、それは常識では考えられないことである。関電が「大丈夫だろう」と判断をしていたに違いないのであるが、原因究明の中で充分に追究されていない。刑事責任を巡る調査がどこまで迫っているか、注目される点のひとつである。

 計画期間内に定検を終えることを安全性よりも優先する姿勢は2002年の東電トラブル隠しで浮き彫りになったが、関電にとっては対岸の火事だったのだろうか、教訓が活かされなかった。しかも定検期間の短縮のために運転中に準備を進めていた。作業員の安全性よりも経済性を優先させる姿勢が明白だ。原子力政策大綱をまとめた新計画策定会議で、筆者は、藤洋作関電社長(当時)に運転中に定検準備をしていたことが人身災害につながったと指摘したが、藤氏は「安全が確認されれば」このような作業を継続していくと述べた。

 「安全の確認」は誰が行なうのか? 関電の判断能力にも大きな疑問があるが、なによりも問題なのは、安全意識や法令順守意識の欠如だ。原子力安全委員会の最終報告にも記載されたが、「PWR管理指針の不適切な適用が常態化していた時期があったことが明らかになっている」。美浜3号炉の死傷事故でも意識改革は進んでいないのではないか。それを示す出来事が繰り返されているのが最近のデータ改ざんである。大飯3・4号炉の復水器や取水口の海水温度データを長年にわたって改ざんしてきた。

 運転再開の前に体質改善を最優先課題として取り組むべきだろう。隠蔽体質を残したままの運転再開は新たな事故を待つようなものである。