心を新たにして、脱原発へ一歩進めよう

『原子力資料情報室通信』第463号(2013/1/1)より

 

新しい年を迎えました。
 しかし、新年を寿ぐ気持よりも緊張感と期待感のほうを強く感じています。
 去年1年間の市民・住民の多様な行動から、原発をやめようという市民・住民の意思はゆるぎないものであること、しかも、広範にわたっていることが明らかになりました。新しい年に求められていることは、どのようにして原発をゼロにしていくか、具体的に一歩を進める方法と段取りです。
 3・11福島原発事故について4種の事故調査報告書が出ました。それらのどれを見ても、科学的・技術的詳細はいまだ解明されてはいませんが、原発事故によって福島の人たちそれぞれが非情で大変な困難を強いられた有様と、今もって平安が得られず、その見通しもないことが判明してきました。
 他方で、政府・官僚や推進派の対応が福島原発事故に真剣に向き合っているのか、疑念をいだかせるような現実が数多く見られました。5名のうち3名が「原子力ムラ」の住民である新設の原子力規制委員会の発足は異様ですし、その審議内容にも期待を寄せることはできません。私たちは、「原子力ムラ」の人たちが既得権益を守ろうとするかたくなな姿勢と、長年かかって作り上げられてきた経済成長第一主義とが強固にこの国の指導者層に存在する局面を見てきました。

3・11福島原発事故の教え

 誰の目にも明らかになった重要な点の一つは、「原発は誰かを犠牲にして初めて成り立つシステムだ」ということではないでしょうか。
 そして、いったん原発事故が起これば、もはや取り返しがきかない事態が進行するということです。しかも、そのような事故は日本列島上に原発があるかぎり、どこにでも起こりうることです。明日は我が身がそれに直面するかもしれません。事故の混乱のなかで生命を落とす、方向もわからずにひたすら逃げる、一家離散が常態化する、子どもたちもおとなも健康不安におののく、事故を収束させるために作業者が被曝隠しのもとで働かされる、放射能・放射線が先祖代々暮らしてきた故郷に戻ることをさまたげる。
 60年前、夢のエネルギーだと原発に憧れた過去があったことを認めたとしましょう。いらい、試行錯誤とそれなりの経験をかさねてきて、結局のところ、原発は制御できない技術だったことがはっきりしました。「犠牲のシステム」という原発がかかえる絶対矛盾が白日のもとにさらされています。
 安全のための規制当局が事業者の「虜」になっていった様子が国会事故調報告書にはまざまざと記録されています。「原子力ムラ」に参入していった科学者と技術者の「学問」に深い疑問を感じます。「国家のために」が第一だったとするなら、そういう「学問」に同意するわけにはゆきません。何よりも、住民・市民が安心して暮らすことを犠牲にすることは許されません。日本の教育のありかたに、赤信号が灯っているとおもいます。
 福島原発事故はそういうことを私たちに気づかせてくれました。

「安全基準」を作ることは可能か

 世界一の安全基準をつくる、その基準にしたがって原発の再稼働を決めるというのが政府と原子力規制委員会の言い分です。
 原子力規制委員会は<RUBY CHAR=”更”,”ふけ”><RUBY CHAR=”田”,”た”>豊志委員が取りまとめ役で外部から6人の専門家を呼んで安全基準検討チームを作り、急いで新安全基準案を準備している最中です。そのチームのメンバーを見ると6人中の4人までも利益相反が明白です。この人たちに福島原発事故を反省している言動は見られません。事業者から研究費をうけとり、「原子力ムラ」の住人でいながら、事業者の主張を審査する基準を作ろうというのです。規制当局が事業者の「虜」になった過ちを避けることはできないでしょう。
 安全をどのように確保できるだろうかと考えたとき、このたびの福島原発事故は何が原因で、どこがどのように破損したのか、明らかにされていなければなりません。大津波が原因だったで片付けることはできません。国会事故調報告書は地震が第一原因だった可能性を否定できないと明記しているのです。陸上に1,500本、海底をふくめればその数倍という活断層だらけの日本列島に住む私たちにとっては、最も心配なことです。そしてまた、「震源を特定せず策定する地震動」をどう評価するか、です。原発に慎重な地震学者が加わっていない検討チームなどは信頼できないといわねばなりません。
 原子炉をはじめ、配管、ポンプ、弁、計測器、通信系などあらゆる機器の材料の安全性を確保できるのか、全システムの安全性を確保できるのか、いざというときの防災対策は可能なのか、だれが保証できるでしょうか。

まず、国のあり方を

 エネルギー政策をどうするかは、どのような国のありかたと国のかたちが望ましいかに依るのではないでしょうか。この上さらに工業化を進め従来路線を歩むのか、農業を重んじ持続可能な国をめざすのか、議論を尽くした上で選択をせねばなりません。
 私たちは、日本学術会議が原子力委員会からの求めに応えて、2年間の慎重審議のすえに2012年9月に公開した「回答」を高く評価したいとおもいます(本誌460号、462号参照)。原子力委員会は高レベル放射性廃棄物の地層処分に関する取組みについて、国民に対する説明や情報提供をどうしたらよいか、より第三者とみなされる学術会議に提言の取りまとめを依頼していました。高レベル放射性廃棄物は日本が従来の原子力政策を進めるかぎりは必ず生ずるもので、その地層処分の場所が決まらずに困惑しきっていたのです。
 学術会議の「回答」は、原子力委員会の要請を根本から批判しています。問題は国民に対する説明の方法というレベルではなく、エネルギー政策に関して国民的合意がないままに推し進め、高レベル放射性廃棄物の処分地を決めたいとする考え方にあると厳しい指摘をしました。原子力政策そのものを再検討するところから出なおせと提言しています。
 エネルギー政策は国のあり方と関係しています。福島原発事故を経験した今となっては、この国を住民・市民主体の国とするのか、戦後一貫して経済成長をめざしてきた財界・官僚主導の国を踏襲するのか、その議論をしなければならなくなったのではないでしょうか。

根源的な変化が始まった

 私たちはこの間、経済産業省の基本問題委員会の議論を傍聴し、子細に検討してきました。当室の伴英幸・共同代表も加わって原発に批判的な委員が三分の一を占める委員会が開かれてみると、すでに、日本の財界を代表する人物が委員長に決まっていました。官僚と政府の意向でしょう。事務局をどういう人たちが担うのか、委員長なり座長を誰がやるのかで、委員会の先行きと結論はほぼ決まってしまいます。委員の人選は二の次なのです。
 私たちはまた、原子力委員会による新大綱策定会議の議論が住民・市民の意思とかけ離れて、福島原発事故を軽視して展開される有様を見てきました。
 そして、これら基本問題委員会も原子力委員会も立ち往生しました。ゆっくりとですが、変化が起きています。
 福島原発事故は1年と9ヶ月して収束のめどが立っていません。その福島原発事故の「責任問題」をないがしろにしておいて、次を論じることは許されないのではありませんか。圧倒的多数の市民・住民は原発をやめようと意思表明しています。すでに、さようなら原発1千万人署名運動や17万人集会とデモ、毎週金曜日の行動、各地での裁判提訴、学習会、脱原発法制定運動などに取り組み始めました。歴史の歯車は確実に回っています。
 福島原発事故によって、「専門家」が決めるのではなく市民・住民が社会のありようを判断して決める時代が、ようやく始まったのではないでしょうか。民主主義のあるべき姿を福島原発事故が私たちに教えてくれたのではないでしょうか。

(原子力資料情報室・共同代表 山口幸夫)

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